灰色ジゼル I

「パパとママどっちと暮らしたい?」

夕方、お菓子を食べながら賑やかな笑い声のするテレビを観ていた私は母の唐突な質問に困惑した。

「ママ」

考える余地もなくそう答えると母は、困った様な顔で
力無く微笑んだ

以前は体裁を気にしてか毎週末は家族で連れ立っていたが、ここ最近では父は朝から出掛けていて
ろくに口もきいていなかったのだから、当然だ。

父は、どのレジャー施設へ行っても癇癪をおこした

理由は些細な事である。

母の支度が遅い、弟が泣いた、挙句の果てには
私が気を遣い必要以上にはしゃぐと煩いと声を荒らげ手をあげた

誰一人楽しくないであろう家族での外出が次第に無くなったのは必然であり、何の疑問もなかった。

母と父は恋愛結婚だった

同じ会社の同僚、地元では名のしれた企業で
本来であれば生活に困る事もなく豊かな暮らしができていたはずだ。

数年前に父は脱サラし、小洒落たバーの経営を始めた。
夢をみる少年の様にキラキラした目をして不気味な程ご機嫌だったのも束の間

今では目に光を失い視点が定まらず、もう何処を見てるのかすら分からない。

「金出せ!!!」

母を追い回す日が増え、はじめは直ぐに出していた母が渋る様になるのを見る度に生活が困窮している事にも薄々気づいていた

「ユウカ、習い事楽しい?続けたい?」

母に諭すように聞かれた時には確信に変わった

「楽しくない!全部やめたい」

それを聞いた母はホッと胸をなで下ろした様な顔で
申し訳なさそうにごめんね、と呟いた。

「ユウカにまた我慢をさせちゃったね」

そこまで楽しかった訳でもなく、母に褒められたくて
義務で通っていただけで、私は辞めれて心底よかったと思ったのだ

こんな事なら早く辞めたいと言えばよかった......

月謝を無駄にした上に誤解で謝らせてしまい申し訳ない気分だったが、母が私を気にかけてくれる事が嬉しくて

「気にしなくて大丈夫だよ」

私は、残念そうな顔をして嘘をついた。

父は店をたたみ、工場の作業員を始めたらしい

母は今まで通りフルタイムで仕事をしながらも
弟の世話とリハビリに精を出し、実家に泊まり戻らない日が増え
夕食を父と祖母、三人で食べる日が続いていた。

これがプチ別居であったことはこの時は知る由もない

習い事も辞め、毎日の500円も無くなった。
真っ直ぐ学校から帰ると膨らんだ胃袋はどうにもできず食べ盛りも相まって

私は常に空腹だった

そんなある日、私が父と口をきかなくなる決定的な
事件がおきた。

残業で遅くてもいつもは七時には祖母の作ったご飯を三人で食べていた。
金曜日の朝、父が今日は外食に行こうと言い出したので、祖母と私は何も食べずに父の帰りを待っていた

八時.....九時......

五分おきに時計を見ても、父は帰らない。

祖母にお腹空いた、何か食べたい!そう言うと

「美味しい物食べに行くんだから、我慢ね」

何も口にできないまま、時間だけが過ぎた。

九時三十分を過ぎた頃、ガラガラっと激しく玄関が開いた

やっと帰ってきた!ようやく食べれる!!

「よし!食べいくか!ユウカ何食べたい?」

悪びれもせず......

タバコと汗が混じった強烈な匂いが鼻を突いて
パチンコ帰りだと悟った。

いつもなら不満をみせたらどうなるか分かる
分かっているのに、あまりの空腹で父の横柄な態度に苛立ってしまい正しい対応ができなくなった

言っちゃダメ、言っちゃダメだ......

「遅いよ!お腹空いたんだけど!!」

「そっかー!よーし!ユウカの好きなもんでも食いに行くか!」

私は心の中で叫んだ。ヘラヘラするな、謝れ!!

ここで止めておけばよかった。
父のバケモノスイッチなどとうの昔に攻略してるのだ
例外はあっても、これは考えたら直ぐに分かるやつだ

こんな風におどけてヘラヘラしてる時、父は謝っているのだ

ごめんねが言えなくておどけているのだ。

「もうお腹空いて、何も食べたくない!!」

頭では分かっているのに頭に血が上って止められず
つい言い返してしまった

父の目の色が、一瞬で変わった

そこから何を言ってるのか分からない罵声と
髪を掴み振り回し、ちゃぶ台の角に何度も打ち付けると殴る蹴るが続いた

何分経ったかは分からない

父は、私がぐったりするまで止めなかった

遠くでガラガラッと玄関を強く閉める音が聞こえて
ホッとした

口の中は血の味でじんと痺れ、頭は朦朧としていた

感覚が鈍っていたのか、不思議と痛みは無かったが
出ていった事に安堵したのとやりきれない虚しさで
涙が出てきた

この血と涙のしょっぱさを今も鮮明に覚えている。

「しょうがない人だね.....
ご飯、味噌漬けおにぎりでいいか?」

この時、祖母が放ったこの一言を今でも忘れない

大袈裟では無く、試合後のボクサーのような姿の孫を見て最初にかけた言葉がおにぎりだったのだ......

のちに祖母の旦那
私が産まれる前に他界していた祖父が重度の癇癪もちの酒乱で、暴力など日常だったと知った。

しょうがない人、と割り切れる強さが祖母にはあったのかは知らないが生き写しの様な息子をどう思っていたのだろう......

とにかく、祖母の言葉に唖然とした私は冷静さを取り戻した。

楯突いた私が悪かったのだ

理不尽な人に理不尽さを訴えかけても意味が無いと分かっていたのに、止められなかった私が悪い。

帰らぬ母に報告はせず、悔しさは胸の中にしまった

二度と、父に楯突くのはやめればいいのだ。

一度もかばってくれなかった祖母に、私は初めて
不信感を抱いたのも黙っておこう

私はボロボロになった顔で笑顔をつくった

「うん、味噌漬けおにぎりでいいよ」


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