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私のいけばな遍歴

初めまして。
私は小学5年生の時から草月流のいけばなを習っています。
祖母が自宅や教室で何十年もいけばなの先生をしていたので(現在90歳を迎えても尚、月に一度10名ほどの生徒さんが集まるお稽古をしています)、自然な流れで習い始めました。

当時は、お花は好きだったけれど、特に自分からやりたいと思った記憶はありません。
両親が勧めてくれたので始めました。

先生はおばあちゃん。学校帰りに、いつもと違うバスに乗っておばあちゃんの家へ。他の生徒さんのお稽古が終わるまでは、リビングで宿題をしたりおじいちゃんとお喋りしていたり、用意してくれていたお菓子を食べたり。
自分のお稽古が終わったら、おじいちゃんにも見せて過大に褒められて(笑)自宅まで車で送ってもらう…。

完全に遊びに行っている感覚でした。

中学生くらいまでは周りの目が気になり、大きな声で「いけばなを習っている」と言うことが恥ずかしかった記憶があります。
今考えれば何も恥ずかしいことはなく、寧ろ誇るべきことだったのですが。
当時の友達の習い事と言えば「水泳」「テニス」「塾」「ピアノ」など。
なんだか「おばあちゃんにいけばなを習っている」は地味に思えて、恥ずかしかったのです。全然そんなことないのに、周りとの違いが気になる思春期だったのでしょうね。

受験期を除いて細々と続け、20歳の時に3級師範を取らせてもらい、看板をいただきました。
その頃からやっと、自分のアイデンティティの一つとして思えるようになったと思います。

結婚して地元から引っ越し、長男の妊娠出産、次男三男の双子の妊娠出産、夫のインドネシア駐在に帯同。
この5年ほどは凄まじく過ぎていき、いけばなの「い」の字すらほとんど思い出さない激動の期間でした。

インドネシアに来て1年が過ぎた頃に日本人コミュニティによる「生け花ワークショップ」にスタッフとして参加することになりました。
参加者は大半が日本人でしたが、インドネシア人の参加者も数名いらっしゃいました。

外国人の方から見ると、日本の生け花は
シンプル(花の種類や本数が少ない)なのに華やか、存在感がある
というところが新鮮に映るようでした。

また日本人の参加者も初めて生け花に触れるという方がほとんどで
とても楽しんで行ってくださいました。

このワークショップがきっかけとなり、私は「また、いけばなをやりたい」「今度は伝える側になりたい」と思うようになりました。

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