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迷惑をかけてはいけないと、頑張りすぎていた父へ

今は離れて住んでいるけれど、私はずっとあなたの娘です。

この10年もの間、見えない何かと闘って、それを誰にも話さず過ごしてきたお父さん、本当に大変だったね。私は実家を離れてもう15年以上になり、結婚もしました。けれども私にとってお父さんは世界に一人の存在で、いつも心はそばにいます。もっと頼ってくれると嬉しいな。私もいろいろ相談させてね。

◇◇◇

これは、私が所属するコミュニティ コルクラボ の合宿内で、山田ズーニーさんの文章表現ワークショップに参加して書いた、父への手紙だ。

165文字。twitterよりも少し多い文字数のこの手紙には、賢そうな熟語や難しい専門用語、何か特別なことはいっさい含まれていない。きっと100人に読んでもらうと99人が「まあ良いことは言っているかもね。でも取り立てて何かがあるようには見えない平凡な文章かなぁ」と言うと思う。

けれども、この文章には私がこの二日間かけて考え抜いた想いが詰まっている。それだけは確かだ。

◇◇◇

十数年前、父はうつ病になり数ヶ月の間に自殺未遂を繰り返した。私は当時アメリカに住んでいて一時帰国のときにこの事実を知った。我が家では昔から、家を出た人間に家族の大事を知らせるのは迷惑がかかるという考えがあり、私にだけ連絡がなかったのだ。

本帰国してから私は実家に戻り、父の介護をしていた。しばらくの後、父の回復状況を医師から聞き、この際だから父の生活態度も改善した方がよいと私は思い始めていた。そしてある日私は言ってしまった。

「ピーナッツの殻を床に落とさないで。自分でゴミ箱に捨ててよ!」

その後間もなく父は躁状態になり、双極性障害だと診断された。

「俺だって辛いんだ!死にたいのに死ねないんだ!」と叫ぶ父を見て、私は何てことを言ってしまったんだろうと激しく後悔した。

父に謝りたかった。

苦しいときにわかってあげられなくてごめんね。ゴミを拾ってあげなくてごめんね。ひどいことばかり言ってごめんね。

あれから十年以上が経過し、症状は軽くなってきている。けれども父はいまでも外出はしない。目も耳も悪くなって、家族内の会話もなくなってきた。最近、そんな状況にやるせなさを感じたり、父にまた外出してほしいと思うようになってきていることに気づいた。

ただ考えてみると、父にはもともと友達は数名しかいなかった。家事がまったくできなかった。家族ともほとんど会話がなかった。家族への愛情はあるのに、それを伝える事ができない不器用な人だった。

そんな彼にいま謝って未来は変わる?ただの私の自己満足では?本当に伝えたい事はそれ?と問い直し続けた結果、私は父に

「そばにいるよ」

と伝えたいことに気づいた。父が生きているだけで十分だと思っていたのに「ちゃんとしてほしい」という欲がまた私の中に埋まれてきていたけど、これは父の幸せでも私の幸せでもない。

誰にも不安を打ち明けることない父に、私がそばにいることを伝えたい。





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