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怒られたくない

誰かと話すと、古くからある心のカサブタみたいなものが、ちょっとずつ剥がされていくときがある。そんな体験をしたので、つらつらと書きたい。

昨晩、コルクラボ(私が所属しているコミュニテイ)の友人が企画してくれた「考えの文字起こし会」に参加してきた。

そこではペアになってお互いの自己紹介や子供時代を聞きあい、聞いた人が話した人に、本人がまだ気づいていないようなキーワードを伝える時間があった。

そこで私は、ペアの相手から

「何度も『怒られたくない』って言ってるのが印象的だった」

という、一言を言われた。

実は私はそのときすでにnoteの記事に「怒られたくない」の下書をすでに保存していた。そのくらい小心者の自覚はあった。

ただそこには、子供の頃から「よそ様に迷惑をかけちゃいけません」と言われ育ったこともあり、自分に責任を取れないことをするのが、とても怖い.......と、書いていた。


けれども、昨日は自分を掘り下げていく中で、実はそれだけが理由ではなかったと自覚した。

嫌われることは相性もあるし、しょうがないと受け入れることができる。

ただし「怒られる」のはどうしても避けたい。怒鳴られるとパニックになる。少し時間が経って自己防衛に走る。でも言い訳はしたくない。そんな自分がすごく嫌だ。とにかく怒られたくない。ただそれだけ。


それが本音だった。

本来の私はかなりいい加減だし、どちらかというと動きながら考える行動派だと認識している。が、金融機関で5年ほど働いた結果、自分の考え方が大きく矯正され「怒られたらどうしよう」という根底にある不安が外に漏れてしまうくらい大きく育ってしまった。

ルーチン業務や事務作業は本当は苦手だけれど、時間をかければできるからやる。けれども気になっている新規業務に手を挙げるのが怖い。だってできなかったときに怒られるから。

そこまで考えて、ハタともう一つ気づいた。

私は「やりたいことがない」と言っているけれど、そこにも「怒られたくない」が埋もれてのでは?だから、本当はやりたいことがあるけど、大してやりたいわけでもない、けれどもできることしかやろうとしていないのでは?

できるできないは関係ない。それを超えてやってみたい。そういう何かが、きっと夢中になれる仕事だとしたら、私は手順を1つ間違えていたからまだ見つかっていない、と言い続けているのだ。

私がまず克服しないといけないのは、過度な「怒られたくない」という感情を癒すこと。その次に、楽しくて仕方ないと感じることを振り返る。

ものごとには段階や壁がいくつもあって、それを1つひとつ乗り越えないと、いつまでたっても進まない。
それを実感した夜だった。









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