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専業主婦の母親に育てられた30代の女にかかっている呪い

母が送った女の一生

30代女性の母親世代というと大体50代後半から60代前半層になる。
この年代は、社会に出て働いた事こそあれ、頑張ってキャリアを積んできたような人は少ないと思う。腰掛け就職からの寿退社、専業主婦歴30年コースがメジャーだろう。
そうやって幸せに60年間を生きてきて、そこには一定の自信と成功体験がある。そんな人生観を持った母親に育てられた女には、とある呪いがかけられている。

母がかけた呪い

・妻とは毎日夫に手料理を振舞わなければいけない
・仕事で疲れている夫に家事を手伝わせてはいけない
・結婚したからには子を産み育てなければいけない
・嫁いだからには家事が本業であり、仕事を優先してはいけない

家庭によって様々だろうが私がかけられた呪いはざっとこんなものだ。

誤解しないでいただきたいのは、専業主婦という職業を、母の人生を否定しているわけではない。
片方が外で稼ぎ、片方が家を守る、という運営の手法は役割分担が適切で効率もよく、上手く出来ていると思う。
実際うちの母はとても良い母親だった。毎日バリエーション豊かな手料理で、お惣菜なんて食べたことがなかった。いつも家は綺麗に片付けられていて、何よりも帰ると必ずそこにいてくれる安心感が心地よかった。

そう、母親の人生をトレースするのであれば、これは呪いでもなんでもない。人生の先輩の教えとして、大変ためになる。
けれど娘が別の道を選択した場合、この教えは呪いとなり、大変厄介なものに変わる。完成された良妻賢母像を30数年間近で見続け、その恩恵を享受し、何不自由なく育ったからこそ、この呪いは強烈だ。

一例としての我が家

同棲2年、結婚して5年の我が家は攻守のバランスが悪く、どちらも稼ぎたい人であり、山に芝刈りに行くじいさんが2人みたいなものだ。たまに手が空いたほうが川に洗濯に行ったりする。芝はめっちゃ刈れるが洗濯物は溜まる。そんな生活をもう7年続けている。

とはいえ同棲当初は呪いが効いていたので、それなりに家事も頑張った。
身近に仕事も家事もきちんとこなしてる友人がいた。仕事で夜遅く帰ってもスーパーに寄り、簡単に出来るものささっと作り、暖かい手料理を毎晩夫に振る舞う。朝も少しだけ早く起き、毎日少しずつ掃除洗濯を片付ける。
やってできないことではないのだ。人が出来ているのなら私が出来ていないのはただの怠けだ。働いていようとも、結婚したのだから、自分も母のようにしなければいけないのだ。そう思い込んでいた。

でも2年くらい経ったある時、私には無理、という結論に至る。人にはそれぞれキャパや向き不向きがある。
せっかくダブルインカムなんだから、自動化できるところは自動化し、外注できるところは外注すればいい、という考え方にシフトした。
私は多分、母のように生きることは出来ない。そう割り切ってからは随分楽になった。

それでも解けない呪い

母親が生きた世代と今とでは状況がだいぶ違っている。今は女だって仕事を楽しんでいい、子供がいたってキャリアを諦めなくてもいい、逆に男だからって仕事だけに生きなくてもいい。
世の中や男女の生き方の前提条件が変わっているのだから、こんな呪いは無効でいい。
頭では分かっていても、幼い頃から植え付けられた良妻賢母像の呪いは、そう簡単に解けることはない。

今でもやっぱり夫に家事をやってもらうと心の奥底に罪悪感がある。家事をしないから、という理由で離婚を切り出されても仕方がないなとも思う。
母親に会うたび、家事もしない、子供も産まないなんて、欠陥品つかまされた夫がかわいそうだと罵られる。
ある程度割り切ることは出来ても、これは永遠に解けない呪いだ。

これからの世代

20代後半より下の世代は、母親が働いている、キャリアウーマンなんて人も増えてくるだろうから、この呪いは私たちの世代で打ち止めだろう。
でもそれはそれで、次は女でも稼がなければならない、という呪いが生まれそうではあるけれど。

結局どの世代でも、どんな生き方をしても、娘は母親の生き方に影響を受ける。
母娘同士で、お互いの人生の多様性を、ただ認め合い、ただ尊重し合える関係性が築ければ、それが1番良いのかもしれない。

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