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【80s映画】日本企業で輝くNYタイムズスクエアの広告


休みの娯楽は映画

イタリアで休みになると賑わうのが「映画館」。
日本と違うのは、イタリアでは映画は夜に観るもの。
朝や昼は閉まっていて、暗くなってからの
特別なひとときという感覚です。


ですがコロナ以降、映画館より家で見ることに快感を覚えた私たちは、
わざわざ出かけなくなりました。
たまに行こうとするも、惹かれる作品がない。
日本ほど劇場の数も映画の本数も少ないので、
欲求を配信に頼っています。

パジャマで、ノーメイクで、寝ながらでも再生できる手軽さは、
定額を払っているのにタダ同然の扱い。
気に入らなければ止めて変えることができてしまいます。
こうなれば「ザッピング」状態。映画に失礼だけれども、
それほど惹かれないなら時間の節約とも言えます。

吟味して選ぶというより、たまたま出てきたものやジャケ再生もよくある。
そこで好きな作品に出会えたらラッキーで、
そうでなければ、寝て忘れる感じでしょうか。

配信が当たり前になり、素人でも動画を投稿できる時代、
映画は映画館だけのものではなくなりました。
配信のみの作品が賞を獲ることも珍しくなくなりました。

配信のみの作品は、ほかの映画と「違う」と感じるのは私だけではないはず。
制作費に限りがあるから致し方ないけれど、悪く言うと安っぽい。役者もセットもそれなり…
一番思うのはカメラと編集の質の違いです。
どうしても入り込めないんです。

昨日の映画も、アングルが変われば人の立ち位置も入れ替わる…
という間違い?にこっちが戸惑ってしまう。
あと、マイクの前にいないのに歌声が聴こえる…など。

上映作品がいかに計算され、考え抜かれた技術によるものなのか、
改めて気付かされます。

文句を言うなら見なさんな…
ごもっとも。



こんな時は、名作を振り返るのが一番。

過去に見た作品も改めて見直すと気づきがあるし、
何より、傑作はいつの時代も色褪せない。

今回選んだのが、

ジョン トラボルタ主演映画
『Staying Alive』(1983)

『サタデーナイトフィーヴァー』の続編。
ニューヨークのブロードウェイ出演を目指す青年の物語。
ダンサーの恋人と供にオーディションに参加する日々。
主演の女性に惹かれたり、恋人と離れたり…
切磋琢磨しながら着実に身を結んでいくサクセスストーリー。

何が良いって、乱闘や銃戦などの悲惨な場面がない!
当時の "イケてる" 若者ががむしゃらに生きる姿が、
熱く清々しいのです。

ジョン トラボルタの鍛えられた肉体美は、
監督がスタローンというから納得。
演技だけではない、生身の彫刻としてフィルムに刻んでいます。


さて、物語が終わりエンドロールに差し代わった瞬間、
ハッとしました。


1980年代のタイムズスクエアは、日本企業の名前で溢れていたんです。

それを見せたいとスマホでスクリーンショットするも…

真っ黒になるんですね。Amazon prime よくできている!

でも実は、最初にテレビで見て驚いた時に撮っていたんです。

当時のタイムズスクエアの様子。

映画の加工もあり、光が輝いてますます煌びやか。

日本企業のネオンをいくつ見つけられたでしょうか。


では答え合わせ。


左端から、CITZEN, AIWA, CASIO, MIDORI (SUNTRY), SONY, Panasonic

MIDORI は、SUNTRY から78年にアメリカで発売された、
メロンリキュールだそうです。

AIWA はヘッドホンステレオやカセットデッキで人気が出ました。
80年代のカセットボーイも懐かしい名前です。

Panasonic は当時、National 時代だったのですが、
アメリカ進出の際、既に商標登録されていたために、
Panasonic を社名に掲げて始まりました。
それが世界へ拡散。日本でも2008年に National という名から
Panasonic に統一しました。

日本の電子機器がいかに優れ、認められていたのかが分かります。

敗戦から約35年の歳月を経てのことだということを
どうしても離して考えることができません。

ここまで日本企業を成長させたのは、戦争を生き延びた人たちです。

一例として、SONY に注目してみると、
ウォークマンを開発した人は1933年生まれの当時およそ40歳。
1979年に初代を発売し、2年後に海外でもヒットをさせます。
その後に、SONY の副社長、AIWAの会長にまで昇り詰める。

各企業、同じような立役者や技術者が揃い、
勢いよく成長し続けていきました。

その結晶が、かつての敵国であるアメリカの中心地、
タイムズスクエアの空を埋めたのは日本人の誇りだったことでしょう。

その様子が、映画のエンドロールにきちんと記録されていて、
40年後に気づいということも何か意味があったのかもしれないと感じています。


せっかくなので深掘り

80年代のタイムズスクエア」で検索し、
日本企業の広告を探してみました。


1980年の様子

Canon の看板が目立ちます。
時代を感じさせるデザインが古くも懐かしい。


手前の工事はさておき、
Panasonic の次に目立つ JVC のロゴ。
その隣に RICOH、そしてSEIKO
角を埋めるように並んでいます。

こちらは動画

さっきの写真を動画で見ることができます。

この時代に映像を残すのは、裕福な趣味だったのではないでしょうか。
カメラを操るから、MINOLTA, JVC, Canon, TOSHIBA などの広告をしっかり捉えています。

投稿した人は Instagram もやっています。
80年代の日本も記録していました。


タイムズスクエアの続き

1985年は

maxell の巨大広告と、FUJIFILM の懐かしいロゴ。
建物よりも巨大なネオンに違和感がありますが、
威厳に満ちています。



では、さらに昔はどうだったのか…


1962年代の様子

日本企業らしき広告はありません。
SUNTORY の看板の前は、同じウィスキーでも
Canadian Club のものが。
日本ではこれを SUNTORY が販売権を握るんですから、
何か縁があるのか、すでに手中にあったのかは定かではありません。



今度は時代をさらに進めると…


90年代

Coca Cola, SUNTORY は「響」を、その上にいるのが、
SAMSUNG。いよいよ韓国勢が出てきました。


2010年の様子
旅行で訪れた時の写真です。

左端に見切れている、Coca Cola の上に Samsung は継続中。

《ここで脱線》

タイムズスクエアの両側の道路は一方通行で、
ブロードウェイ通りと7番街はセントラルパークを背に、
進行は北から南へ流れていきます。

タイムズスクエアでXのような形で交わるんですが、
これまでの写真の角度は、北側の広場を切り取っています。
車が向こう側からこちらに来ている。


で、
何が言いたいかと言うと、X状の広場は、北側と南側に同じように建物が建っているんです。

NYのタイムズスクエアといえば、「カウントダウン」が有名です。

そのビルはというと、今まで紹介してきた建物とは反対側いうこと。

次の風景に見たことあると納得するはずです。


それがこちら。

2010年の旅行にて

クリスタルのような建物と右側の時計がある方向です。
細長い広告がカウントダウン中継で見る場所です。
(今でもNYの年越し映像は放送されているのでしょうか)
中央より上に TOSHIBA の文字が。

2009年から、タイムズスクエアに面するブロードウェイ通りは
歩行者天国になりました。
交通渋滞や接触事故を減らすことを目的に
ブルームバーグ市長の政策として実行されました。
確かに、観光客は車を気にせずに世界の中心を満喫できる。

写真の右側は歩行者専用の空間となっています。

夜の様子

maxell も Kodak もあります。


では、現在のタイムズスクエアはどの企業が
広告を掲げているのか。


2023年の様子

これが、2023年になった時の瞬間

細長いモニターに3つも KIA の文字が目立っています。

さて、南側はというと、
Coca Cola と Samsung は現在です。


現代は、広告のネオンではなく、巨大モニターに包まれています。

同じ広告を出すにしても、固定の看板ではなく巨大なモニターにすることで、
何種類もの画面に変更できるようになりました。

さらに、一社だけでなく、より多くの企業が掲示できるようになることで、
広告収入も当然上がる。1ヶ月に50万円かかったとして、
それが一日に何社もあれば、とんでもない金額になりますね。
単発で出すこともできるから、プロポーズにも使えるようです。


タイムズスクエアの広告は、時代を経て眩しく賑やかになりました。

さて、今回のカウントダウンはどのような広告が際立って見えるのか注目してみます。

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