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僕らが平和な世界を作る

YouTubeを何を見るか決めずにスクロールしていると、広島で外国人にインタビューしている動画に目が止まった。
何となく日本を訪れる外国人の行き先として広島があるのは知っているが、実際どうなのかはよく知らない。
広島は高校生の修学旅行で行ったがもう30年も前のことなのであまり覚えていない。

今の仕事に転職して所謂出張で今まで行ったことがなかったところに行く様になった。これでは基本的に川のあるところに行くのでどの国に行っても田舎に行くことが多い。首都に滞在して合宿やレースをするなんてのは、チェコとスロバキアくらいだ。ブラティスラバは首都と言っても都会というイメージはなかったが、プラハは街並みも素敵で外国人観光客もたくさん来る都市だった。

話が脱線したが、出張で2回ほど長崎に行くことがあった。もちろん出張なのでmuseumに行く様な時間はなかったが、映像を見て無理してでも時間をもらっていけば良かったなと今更ながら後悔した。

僕は無類の歴史好きというわけではないが、日本が戦争をしていた時代の歴史には興味がある。それは軍艦や戦闘機、銃が好きとかそういうことではなく、なぜ戦争を政治の外交手段として選んでいたのか、その背景に興味がある。

今、僕がいるマーシャル諸島も1944年まで30年間日本が統治していた。平均寿命が長くないマーシャル諸島でその時代のことを知っている人で、会ったことがあるのはIrooj(酋長)しかないので直接お話しさせて頂いたことはないので、実際どんな様子だったのか知らないが、日本人の血が入った人が人口の6%くらいいるというので、それなりにマーシャル人の生活に日本人が入り込んでいたのだと想像する。

そんな歴史的にも繋がりがあるマーシャル諸島と日本だが、世界でこの2カ国しかない別の共通点もある。
それは

被爆国

ということだ。

長崎出張ではmuseumに行っている時間がなかったが、マーシャルに初めて来たときに首都MajuroにあるAlele Museumに行く機会があった。ホテルから歩いて2−3分のところにあり、少しの隙間時間に行くことができた。
ここはマーシャルの文化や歴史を見ることができる。マーシャル人はスターナビゲーションを始め、風や波を読むことができ、航海の達人だった。
そんな文化的なところから日本の統治時代、第二次世界大戦、アメリカが水爆実験を繰り返していたところまで様々な展示がされていた。中でも印象に残ったのは、水爆実験に関するコーナーだ。
靖国神社に行った時と同じ様な胸が締め付けられる様な感覚だった。

戦争は外交手段の一つという見方もあるが、広島や長崎で戦争や政治と全く関わりのない様な子どもを含めたくさんの日本人が亡くなった。にも関わらず、原爆より威力の大きな水爆の実験を繰り返すことは違和感でしかない。

ラフティングのアメリカチームはいつも紳士的で、オランダで初優勝した夜は、パーティのあとキャプテンのMikeとMongoと一緒にビールを飲んだ。だからアメリカ人すべての人たちがそうではないと思うが、一瞬にして多くの人たちの命を奪うものの開発をし、実験を他の国の領土で行う。正気の沙汰ではないし、歴史から何も学んでいないと思う。

そういう意味で政治家はちゃんと見定めなければいけない。国民の責任だ。
日本は政治に興味を持っている人が少ないと思うが、もう少し真剣に考える必要がある。日本は核兵器を持たないと決めているけど、核を持っている他の国と話をしなければいけない。いざとなったら核兵器使いますよという国と対等に議論をする政治家が日本にどれくらいいるのだろうか。
そういう意味で言うと、もっと一人ひとりが真剣に政治について考える必要がある。
それには今の仕組みだと国民の意思が反映しづらいんじゃないかと思うので、いっそ自分たちのリーダーを自分たちで決めるくらいdrasticな変化が必要なのかもしれない。

政治のことは素人なのでよくわからないが、少なくとも僕ら一人ひとりにも世界を平和にする責任があると思う。
僕らが平和な世界を作ると決めれば必ずそれは実現するはずだ。

そんなことを一人マーシャル諸島で考えた。


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