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「夫婦は合わせ鏡」という話をする時に、よく「まったく同じこと」が起こっていると勘違いしている人が多いように思います。

でも、「まったく同じ」とは限らない。シンプルに「ヒントとなる事象を見せてもらっている」ことだと捉えたほうがいいのではないでしょうか。

鏡だって、左右反転していますよね。

つまり、そもそも、鏡に映ったモノは、「まったく同じ」じゃないんですよね。

世の中に「まったく同じ」は一つとしてない。だから、同じだと思って話をすると微妙なズレが出てきてしまう。まったく同じなのではなく、「あなた自身のことに気づきなさい」という神様からのサインということ(と、私は小さいころから思っています。忘れて文句言うこともありますが)。

「鏡の法則」という言葉を世に広めた人がいらっしゃるようですが、そんな書籍が出るずっと古くから、「人のふり見て わがふり直せ」という諺が日本にもありますよね。

人になにか言いたくなった時、私たちは
「それ、そっくりそのままあなたに返します」
と、相手に言われることを想定して、自分自身の行動や言動を見直す必要がある。

例えば、職場で「この人、なんて自分勝手なんだろう!」と思うできごとがあるとする。でも、それは家庭内であなたがやっている行動と共通した部分があるのかもしれない。

パートナーである夫が自分勝手なのだとしたら、そのパートナーを「支える」「尽くす」「良い妻でいる」ことを選択したのは自分であり、どんなにがんばっているのだとしても、それはやはり「自分が決めて自分で支え尽くしている」のだから、支えている側も、ある角度から見ると、実は「自分勝手」なわけなんですよね(私のことです 反省)。

という俯瞰の視点が必要になります。

そんなふうに考えて、人に対してなにか不快感を抱いたり、警告したくなった時、自分が暮らしのなかでどこかでやってしまっていることはないか、内省してみる。

それをコツコツやっていくことで、私たちは「人生」という名のRPGゲームをクリアしていける。

少なくとも私はそれをコツコツとやってきて、いま、とてもしあわせな生き方をすることができています。

「親が悪い」「◯◯さんが悪い」「どうして政治家はこんなにバカなんだろう」などと、人のせいにばかりしている人って、しあわせじゃなさそうですよね。

文句を言いたいとき、そこには「自分の中にクリアすべき事案」が隠れているわけです。気づけないまま一生を終えるより、気づいて自分で反省したり、そこで利他の気持ちが生まれたりすることで、味方がどんどん増えていき、不快なことが減っていき、大切なものを大切だと気づけるようになり、ステージが上がっていく。

批判したくなったり、不満を抱えたりした時、ぜひ
「この人のこのできごとは何を意味しているんだろう?」
「このことからなにを学べばいいんだろう?」

と真摯に見つめてみましょう。

自分が「変わらない」ことを前提にしている人も多いけれど、諸行無常。私たちは本当は変わりゆくものではないでしょうか。少なくとも、自分の立ち位置が変わらなければ、見ている景色は変わりませんよね。いまの自分に不満があるのなら、自分が動くことが一番手っ取り早いのではないでしょうか。

※以前にAll Aboutにも「『夫婦は合わせ鏡』とは? 夫・妻を見て自分を見つめ直す」を書きました。夫婦の事例を出しています。

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