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人気者になりたくて捨ててしまった大切なもの

理想を演じる。たぶんほとんどの人がやったことがあることだと思う。
 
個性的過ぎて女子らしいコミュニケーションが苦手で小学生時代から浮いていた私。それなりに友達はいたが、いじめがあった中学時代を経て、「どうしたら人に好かれるか」と毎年、その年の自分のキャラクターコンセプトを決めていたぐらい、実は、人に好かれたくてチャレンジしていた。
 
高校に入ると私はチャンスとばかりにイメチェンをはかった。そして、ひたすら自分の闇を閉じ込めた。「いい子でいよう」「誠実であろう」と努めた。その一方で、自分の「闇」をなくすにはどうしたらいいか、自己対峙もひそかに努力した。

だけど、部活で一番人気のイケメン先輩とつきあったことから女子のイケズが始まる。どんなにニコニコして、どんなに優しく接していても、女子の嫉妬による偏見やイケズはなかなか減らない。おそらく私が男子に対して「乱暴にサバサバ風にしゃべる女」になるまで女子たちは許してくれないようだ。私も、嫌なことをされても笑って登校できるほどは強くなかった。
 
表裏があるから、「ぶりっこ」に見えるわけで、「裏」を底上げすると「ぶりっこ」にはならないはず。という仮説を立てて、自己対峙して自分を闇を一つひとつ乗り越えクリアしつつ、同時進行で「いい子」の演技を続けていくと、「いい子」の演技は不思議とストレスも解消されていった。表裏の差が薄くなっていくと、人に見せている顔が嘘ではなくなっていくからだろう。
 
なにより、人に好かれるのは気持ちいい。
 
社会人にもなると、私は「自分らしさ」さえも選り分けて、「人に好かれる自分らしさ」は表に出し、「好かれそうにない自分らしさ」は仕事の面で出すだけにして、とにかく人と接する時は、ひたすら「いい子」でいた。
 
株式会社リクルートにいたころも、そんな感じだった。おかげですごくかわいがってもらえた。老若男女あらゆる先輩たちに優しくしてもらった。男性社員と仲よくしていても、そんなことで嫉妬してイケズするような女々しい人は、あの会社にはいなかったというのもある。仕事の楽しさもあり大変だったけど、それなりに幸せだったのは人間関係が順調だったからだと思う。
 
当時は、人の意見に疑問を感じても、矛盾を指摘したくても、なにも口にしないのがオトナだと思っていたし、実際に、嫌なことも嫌だとさえ言わない人間になっていた。たぶんその頃には、自分が何が好きで、何がいやで、本当は何をしたいのかさ、わからなくなっていたのだと思う。


花束と共に消えた「いい子」の存在

ところが、それだけの自己犠牲を払って、退職後、その人間関係は希薄になった。心底驚いた。

リクルートを退職する時には社内外の人から、私は花束を10個ほどもらった。大した功績も残していないのに。紙袋などに入れて四苦八苦しながら持ち帰った。

でも、その後、ほとんどの方から音沙汰なし。もちろんそれでも、個人的に仲よくしてくれる人はいたけれど。とある尊敬していた先輩(♀)には「あんたは女の幸せが向いてる」「こっちの世界に戻ってこなくていい」と言われた。

そっか。その程度の関係だったんだな……。
 
たったの2年間だったし、表彰されたのは「企画賞(読者支持率)」だけだったし、社員にお誘いいただけるころに退職してしまったので、仕事ができる人とは特段思われていないのは納得できる。でも、人間関係においても、さほどの存在ではなかった。ただひたすらマスコットのようにかわいがられていただけだったのだ。
 
それに気づいた私は、「いい子」をやめた。
 
ひたすら「光」だけを人に見てもらうために、すごく気を使って生きていた。でも、相手との関係性を育んでいたわけではなかったのだから。

それでもまだ、完全に「演じる」ことをやめたわけではなかった。

まだ親子関係の「闇」を抱えていた私は、「そこそこの幸せ」を求めて、ただ居心地のいい趣味の合う、自分をちやほやしてくれる元同僚の男性と結婚した。「幸せそうに見える生き方」を選んだ。おかげで、その後、大変な人生を送ることになる。
 
「いい子」の次に選んだコンセプトは、「いい妻」「いいママ」だった。少し変えただけだった。

そして、私は再び、「自分を見失う」。人生の課題というものは、それに懲りて悔い改めて自分を変えるまで、繰り返されるものだから。


大勢にモテること=自分を捨てること

よく「どうしてモテるのか、教えてほしい」って言われてきたけど、それは「たいした美人じゃないのにモテる理由」が知りたいというイヤミも半分交えての質問だったのだろうと思う。

でも、その頃の私は思っていた。「自分の意見を言わなきゃ、モテる」と。自分の意見や思想を話せば話すほど、人はその人を避ける。特に、男性には遠ざけられる。

男性は自分を褒めてもらいたい人が多い。だから喧嘩腰ではなかったとしても、自分と異なる意見を言われると、傷ついてしまう(という人が多い)。

特に、異なる意見を「批判された」と感じてしまうプライドの高い男性には、「意見を言わない、かわいいだけの子」が好かれる。例え、それが計算だとしても、自分の思想を脅かす女性を受け止めるよりは、ずっと、かわいいのだと思う。
 
でも、自分が嫌なことをイヤと言えず、自分の貯金を勝手に使われても、勝手に借金を作られても、「いいよ」と「いい妻」を演じていると、その後、大変な目に遭う。

かわいい妻でいさせてもらえるのなら、ずっとかわいい妻でいたかった。だけど、それはただの私のエゴだったのだ。
 
かわいい妻でいたい。と願う私に対して、許してもらえたらなんぼでも悪人になっちゃう前夫は、都合のいい組み合わせだったのだろうと思う。

知らない間に800万円も、夫になくされた。でも、最終的に私が本当に私の「嫌だ」と伝えられるようになったのは、子どもに暴力を振るう前夫の姿。そこまでにならなきゃ、「いい妻」というエゴを手放せなかったのかもしれない。

尽くすこと、支えること。美しい言葉、やさしい態度。それだけでは、良い方向に変われない人もいる。

とはいえ、私が本当に前夫を愛していたら、断ったり拒否したり、ちゃんと喧嘩したりできたんだと思う。私は、ただちょこんと「いい妻」の座にいたかったために、とことん壊れる家庭を見ることになる。
 
そうして、離婚を経て、やっと、私は「私らしく生きる」ことを決めた。

自己開示してエッセイやコラムを書いて、どなたかの役に立つならそれでいいと。自己開示バージョンの「再構築ふっこ」になってから、私に異性としての興味を持つ男性のタイプががらりと変わった。特に、年下からモテるようになったのも、そこからだった。

多数の人にちやほやされる機会は減ったけど、自己開示してもいっしょにいてくれる男性は、数は少なくても心地いい人たちばかり。

再構築したとはいえ、逆に、私らしくなった=元の自分に戻っただけ。

「私らしく生きる」ことは、「多くの人に好かれる」とはまったくベクトルが違う。無難にモテる自分を捨てたから、いまの幸せがあるんだと思う。
 
そんな経緯があるので、現在は「いい人だと思われたい」とは思っていないし、嫌われることにもかなり慣れている。
 
互いに心地よいと感じる人たちと、これからもいっしょにいたい。

自分らしく生きていると、不思議と時間をかけなくても一瞬で仲よくなれたりするし、出会ったその場でも愛情を感じ合える。それってとても幸せなことだなって思うのです。

ステージに立ち、ただみんなが求める「理想的なかわいい部下」「理想的なかわいい妻」を演じていた私は、きっと周囲との距離があったのだろうと思う。

演じることは、それほど人と距離を置くことになるということ。理想の自分と、本当の自分。その表裏をなくすには、自己対峙が必要。自己対峙なくして、本当の関係は気づけないのだろうと思う。

表裏をなくすこと=自己一致。

自分の闇に向き合い、ひとりで自分の闇を昇華しつつ、相手を思い行動する。それが自然にできるようになっていくと、関係性は育まれていく。嫌われても怖くないし、来るもの拒まず去るもの追わず、私らしい私でいられるのではないだろうか。

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