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コロナを機会に茶会を考え直す

コロナが猛威を振るうようになって一年、世の中は随分変わりました。
お茶の世界もそれは同じで去年から例年の茶会や献茶式が軒並み中止・縮小しています。
こんな事態でお茶会の話かよ。と思われるかもしれませんが、茶の湯は総合芸術と言われるように日本の伝統文化・伝統芸能のほとんどに影響を与えています。
つまり、茶の湯の衰退に引きずられてそれらも衰退するということです。

これが良くない状態であることは当然です。しかし、このような問題はあらゆる文化活動に言えることで茶の湯だけが特別ではありません。様々な団体や個人がオンラインで活動したりマスクや換気を徹底することで対応しています。
ところが茶の湯が他の文化活動に比べて圧倒的に不利な点があります。
それは狭い部屋に複数人で集まり飲食することが前提という点です。行事の時によく行われる大寄せの茶会(不特定多数の大人数が集まって行う茶会)などもってのほかでしょう。

茶の湯は今、控えるように言われていることのほとんどにひっかかります。
特に濃茶は客が一つの茶碗で飲み回すことに意味があるのでこれが禁止されると茶会の意味が大きく損なわれてしまうでしょう。
しかし、そこをおして濃茶に関しては各服点(かくふくだて)という方法で対応しています。

各服点は大正時代にスペイン風邪が流行って世界中で死者が続出した時に考案された点前で一人ひとり別々の茶碗で濃茶を点てる点前です。
今から約100年前に考案された点前が再び日の目を見るのは感慨深いものもありますがやはり緊急事態用の特別な点前なので通常通りの姿に戻って欲しいところです。

さて、茶の湯の世界でも様々なコロナ対策が行われていますがいつかコロナが収束すれば例年の行事も復活し大寄せの茶会も行われるようになるでしょう。
しかし、コロナが収束しない、もしくは今後もこの体制を続けなくてはならない雰囲気なら茶の湯もこのままのやり方を続けなくてはならないかもしれません。
どちらにしても今回のコロナ騒動は今の茶の湯の在り方を見直す良い機会とも言えます。

近年盛んに行われる大寄せの茶会は気軽に茶の湯に触れられる良い機会ではありますがあまりに騒々しく乱雑です。茶の湯を知らない人にはこれが茶の湯だと勘違いされかねません。実際、茶の湯をやらない人に茶の湯の意義が伝わらないのはあれが茶の湯だと思われているからではないでしょうか。

茶会で最も厳格なものは一客一亭(亭主一人客一人の茶会)と言われます。これだけにすべきとは思いませんが茶の湯が創始された利休時代を思い出し、現在の茶の湯の姿を考え直すことも必要ではないかと思います。

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