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完成形が見えなくても

ここ最近、よく夢をみるが、ある共通点に気づいた。
なにかをつくっているのだが、どんなものになるのかわからない、ということだ。

ある晩の夢は、手芸品であった。
自慢じゃないが家庭科は2だった。
ボタン付けも怪しい私である。

夢のなかでは、布製のなにかを制作途中で、なにやら形は丸でも四角でもない、魂をぺったんこにつぶしたような形、と言おうか。それがなんのための、どんなものかもわからない。なぜつくるのかも。すべてが混沌として不可解なのだ。
私がつくりたくてつくっているのかも曖昧で、女王のような年配の女性が監督して、つくらされているようだった。
私は何もかもわからないことにちょっとイライラし、見本のような完成形があればいいのにな、と思っている。


もうひとつの夢は演劇であった。
台本や段取りが頭に入ってないまま劇がスタートし、流れがわかる人が誰もいないまま進んでいく。私はステージを裏から見守り、焦っている。劇の終演時間だけは決まっているようだった。


現実の世界で、私は小説を書いているが、やはり結末はわからない。どこを目指しているのかもわからない。宙ぶらりんのまま止まっている。

エッセイだっていつもそうだ。
終わりなんか、なんにも考えずに書き始める。それでなんとなく終わっている。


noteの創作大賞が始まった。こんなのがあるなんて知らなかった。
私が応募できそうなのは限られてるけど、応募したいなと思う。


つい先日の印象的な夢。

ほんの一時期だけ、私は誰かの赤ちゃんの面倒をみている。抱っこしている。赤ちゃんの小さなあたたかい口の中から、裁縫用の針が6〜7本出てくる。
赤ちゃんは泣いていない。どちらかというと機嫌がいい。歯がまだ生えていない口の中は傷ついてる様子もない。
やわらかく湿った舌の上から、よだれにまみれた針を取り、私は心底驚いている。

起きてから象徴事典で調べてみた。針は書かれてなかったが、糸は、生命や聖なる力によって紡がれる人間の運命を示す。ならば、針は運命を紡ぐ道具。

私はどんな色の糸で何をつくるのだろう。
はためく美しい色の布、規則正しいステッチ、ハワイアンキルトのパッチワーク……苦手意識で遠ざけていた裁縫の世界、イメージするものはあまりに単純で乏しい。


不器用に曲がっても、まちがえても、いいじゃないか。


針は一本ではなかった。

つくろう。
私の知らない何か、すでにそこにある何か。
完成形が見えなくても。



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