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幸せのパイ、一切れは病院に

 明日、息子が退院する。その前に妻から連絡が入り、哺乳瓶を洗ってミルトンに浸しておくように、と。ミルトンの量がどれだったかすっかり忘れてしまった。そのうちに「洗濯機の使い方も忘れるんじゃないか?」と不安になったが、そんなことはさておき。

 1人生活は、確かに不自由なく過ごしていた。でも、子供がいる日常を経験してしまうと、一人で酒を飲んだり、ジャズを聴いたりする夜も何だか寂しく感じる。幸せのパイが半分病院に移動していたので、そろそろ全て取り戻したいところだ。

 息子と同じ病室にいる外国人のママと赤ちゃん。日本語が全くわからず、非常に大変そうらしい。消灯後、赤ちゃんが泣き、ママも泣く。このエピソードを聞いて、私もなんだか泣けてくる。海外での病院は経験したことがないが、言葉が通じない状況での医療は、まるで宇宙人と交渉しているような不安感があるだろう。

 想像してみてください。夜中、自分の赤ちゃんが泣いている。病院の看護師が来て何か言っているけれど、一言もわからない。短篇小説のプロットのようだが、これは現実。同情するし、なんとか助けてあげたい気もする。しかし、私の多言語能力は限られており、日本語と猫語ぐらいしか話せない。

 まあ、私のユーモラスな心は言葉を超えるので、何かしら笑顔でコミュニケーションをとる方法を見つけるかもしれない。言葉が通じないなら、ジャズでも流してみようか。ベースラインとトランペットが独自の言語で語り合い、心を通わせる。それが無理なら、せめて哺乳瓶を洗い、ミルトンに浸す作業ぐらいは完璧にやって、息子の帰りを待つしかない。幸せのパイを取り戻す準備は、いつでもできている。

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