人生にはターニングポイントがあります。人はそれが来たときに、自分自身を見つめ直し、自分がどこに立っているのか、どこへ向かっているのかを再確認します。私のその瞬間は、40歳になった後に訪れました。そう、私は40歳で初めてパパになったのです。 何年もの間、妻と二人で子どもを望み、果敢に挑戦してきました。当然、すべてが順風満帆だったわけではありません。実際には、山あり谷ありの道のりでした。初めて妊娠したときの喜びは、すぐに悲しみに変わりました。お腹の中で食べるお菓子を空に忘れ
夜行バスでの帰省は、まるで青春の一ページを再びめくるような、そんな冒険だった。地元での同窓会イベントを前に、友人と共に久々に故郷へと向かうことに。仕事がある中、早い時間からの開催ということで、選択肢は夜行バスしかなかった。これが何年ぶりの夜行バスだろうか、その久しさにわくわくしつつも、心のどこかで不安も感じていた。 「どうせ寝れないだろう」という予測のもと、出発前には居酒屋で軽く飲むことに。お酒の力を借りて、夜行バスの座席に身を委ねた。驚くことに、お酒のおかげで始めはす
最近、我が家では小さな天気予報が立ち上がっている。その名も「息子機嫌予報」。日中、この予報によれば、息子地方は曇りがちで、時折、嵐のような駄々こねが発生している。ご飯の途中で急に嫌がる低気圧が近づいたり、思い通りにならないというフロントが通過したりする日が続いていた。 原因分析を試みたところ、最近一回に減らしたお昼寝が怪しいという結論に至った。そこで、実験的に、以前のように朝と夕方、2回のお昼寝タイムを再導入してみることに。すると、なんと機嫌のいい時間帯が増え、穏やかな
息子が生まれて1年2ヶ月。まだ喃語の世界に生きる彼が、なんと歌い出した。人生における最初の大発見かもしれない。 おばあちゃんからの贈り物、ハッピーバースデーの曲が流れる絵本に夢中になっている息子。その絵本を何度も持ってきては、ボタンを押し、曲に合わせて手拍子をして遊んでいる。そんな息子の姿に僕たちはいつも心を奪われ、一緒に歌を歌ってコミュニケーションを取ってきた。 今日の帰宅時、妻から「息子が歌い出した」という衝撃の報告を受けた。喋ることはまだないのに、歌う?その疑
通勤のお供はいつもラジオ。その中でも、特に心をくすぐる番組が2〜3個あり、その一つが東京ドームでの大イベントライブを開催するという。まさかのチケットゲットで、私は1人参戦することになった。 ラジオイベント、お笑いライブという未知の領域。自分がこんなにも番組を愛しているとは、正直驚きだった。会場への足取りは、期待とわずかな不安が入り混じるものだった。4時間半の長丁場、トイレの心配など小さな不安もあったが、いざ幕が上がるとそんなものはどこへやら。時間が経つのを忘れるほどの没
今宵は、時間の流れを一時的に逆行させたかのような夜だった。大学時代に肩を並べて音を鳴らしたバンドメンバー、そして同じ軽音サークルで騒いだ後輩たちとの再会。その中には、住む場所が遠く、なかなか顔を合わせることができない友人もおり、この夜はまさに貴重な宴となった。 結婚や子ども、健康といった、いわゆる「大人の会話」で盛り上がる。そんな中でも、話題が音楽に移ると、一転して熱気がみなぎる。若かった頃の情熱が、今も変わらず私たちの中に燃え続けている証拠だ。 距離と時間の制約で
息子が新たな遊びをマスターした。今までの彼のボールゲームといえば、一言で言うなら「投げ捨てる」ことだった。しかし、最近はまるで小さなサッカー選手のように、ボールを蹴って遊ぶ技術を身につけたようだ。彼のゲームは単純だ。ボールを足で転がして、蹴れなくなったら、今度は持ち上げて投げる。このシンプルなルールの中で、彼は笑顔と笑い声を絶やさず、明るく遊んでいる。 妻は野球ファンで、いつか息子が野球をする日を夢見ていた。しかし、今のところ息子の興味は明らかにサッカー寄りで、「サッカ
沖縄での短い休暇が終わり、今日は帰路につく日となった。昼過ぎには空港に着き、帰りの飛行機に乗る準備をした。息子との旅は、いつも予想以上の冒険をもたらしてくれる。 帰りの飛行機は、予想通り混雑していた。そして、息子はその期待を裏切らない。大声で騒ぎ、泣き、暴れ、周囲の乗客に迷惑をかけてしまった。しかし、そんな中で救いの手が差し伸べられた。隣に座っていたおじさんは、息子の小さな大暴れにも動じることなく、優しく笑顔を向けてくれたのだ。「子供は泣くのが仕事だもんね」との言葉に、
息子の大声は、私たち家族の日常の一部となっている。昨夜のレストランではその大声が、静かな食事を求める他の客たちにとっては、おそらく天災に等しかっただろう。今朝のビュッフェでも、彼の声は朝の静けさを破る鐘のように鳴り響いた。彼の元気が有り余っていることを理解して欲しいと心から願う。 今日のハイライトは、沖縄で喫茶店を営む妻の友人のお店を訪れたことだった。その店はまるで宝箱のように、彼女の好きなものでいっぱいだった。コーヒーの香りが空気を満たし、手作りのケーキはまさに芸術作
息子の飛行機デビューは、まるで小さな探検家が未知の大陸に足を踏み入れるかのような大事件だった。コロナ禍で旅行に出かける機会が減った分、溜まったマイルポイントを利用して、我が家はついに沖縄への家族旅行に挑戦した。かつて妻と二人で訪れ、美しい思い出を作ったあのホテルに、今度は息子を連れての訪問だ。 飛行機内での過ごし方は、まさに運命の分かれ道。他の乗客に迷惑をかけずに、いかに静かに、かつ平和に時間を過ごすかが、私たち家族に課せられた使命だった。 飛行機が離陸して最初の4
最近の我が家では、夜の寝かしつけが一種の頭脳戦と化していた。どうやら、この小さな生き物(我が息子)を眠りに誘うことが、予想以上の難易度を誇っているらしい。しかし、夜ごとの格闘の末、妻と私はある重要な発見をした。それは、お昼寝の回数と夜の寝かしつけの質には、直接的な関連があるということだ。 従来のスケジュールでは、息子は午前中に1回、そして夕方にもう1回のお昼寝を取ることが多かった。しかし、一昨日から、戦略を変更し、午前中のお昼寝を我慢させ、午後に一度だけ2〜3時間の長め
今日は、息子の成長と健康を見守ってくれるアレルギー専門の先生に会う日だった。診察室に入るたびに、息子の成長を喜んでくれる先生の顔を見るのは、いつも心強い。そして今日も、我が子の成長が順調であることを教えてくれた。皮膚の状態も良好で、「お肌が綺麗だ」というお墨付きを頂戴した。日頃の保湿クリームの塗りたくり作戦が、見事功を奏したのだ。 次の診察は4ヶ月後。病院への訪問間隔が次第に長くなっていくことは、息子の健康が向上している証拠。次回の訪問では、息子が悩まされてきた牛乳アレ
今日は、まるで静かな湖に石を投げ入れたかのような、小さな波紋が社内を駆け巡った日だった。社員の一人が辞めるというニュースが、全社員に伝わったのだ。その社員は、代わりが効かないほど貴重な存在で、彼の去ることは、正直仕事面で大きな痛手となる。 しかし、人生においては、そんなピンチこそが最大のチャンスだ。会社として、そして私たち一人ひとりにとって、これは改革の機会であり、成長の糧となる。他の従業員たちにとっても、新たなステージへの跳躍台となるだろう。 彼が辞めるまで残され
会社の未来を照らすために、今日は税理士さんとの重要なミーティングがあった。これまでの道のりは、まるで厚い雲に覆われた山道を歩いているようで、先が全く見えなかった。しかし、そのミーティングを通じて、雲が少しずつ晴れていき、遠くに光が見え始めたような気がする。 税理士さんは、まるで暗闇の中での頼もしいガイドのよう。彼の協力的な態度には、心から感謝している。この先も不安や困難はあるだろうが、そんな彼がいることで、少し胸を撫で下ろせる気がする。 まだ手探りの状態が続く中で、
昨夜の酒はそう残らなかったが、朝起きるとお腹の調子が少し崩れていた。休日の恩恵で、いつもより長く眠ることができたのは幸いだったが、その後の計画は、妻が出かけるため息子との二人きりの時間となった。 最近、息子は午前中の睡眠を敬遠するようになってきた。そして今日も、彼は眠そうな様子を見せながらも、どうしても眠ることを拒んでいた。子どもの不思議なエネルギーにはいつも驚かされる。 お昼ご飯の後、ついにその小さな体が眠りに負けた。妻が言うには、午前中に寝なかった日には大体2時
馴染みの店の閉店は、まるで長年連れ添った友人との別れのような寂しさをもたらす。そんなわけで、今日はその店に顔を出しに行った。スタッフとの別れを惜しむべく、少々飲み過ぎたかもしれないが、最後だからと自分に言い訳しながら。しかし、慣れ親しんだ顔ぶれとお別れをする寂しさは、どんな酒量でも紛らわすことができなかった。 「いつまでもあると思うな、馴染みの店」という言葉が、今日ほど身に沁みた日はない。いつも「また今度」と思っていたが、その「また今度」が永遠に来ないことに気づかされた