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いじめについて。

どこからいじめで、どこからが違うのか。

「いじめられてる」と思った時点でそうなるのだ、なんて意見もありますね。そもそも、「いじめ」の定義はなんなのでしょう。

私の中では「何人かでひとりをターゲットにして執拗にする嫌がらせ」がそれ、だと思っています。

ひとり、がひとりに対してする「執拗な嫌がらせ」...これも嫌ですねぇ。でも、その場合、まわりの人が「なにそれ?」と味方についてくれるなら乗り切れそうな気がします。

この辺どうでしょう?皆さんのご意見は?

反対に言えば「皆でする」からこそ得られる「快感」があり、だからこそ集団でするのだと思います。(その快感の先に空虚な想いがあったとしても)

タイトルの『いじめの構造』。

Googleで画像検索してみたら大体がこんな感じ。

もうちょっと学術的?な画像もありましたが、分かりづらそうだったので分かりやすいこちらのページのものを。実際「いじめ」にも遭った方が「いじめを無くしたい」と立ち上げた優しい気持ちのサイトだと思います。

今どきはネットもあって、分かりづらく「いじめ」が行なわれるようですね。でも、45歳の私が小学生の時ももちろん、それはありました。小学校3年生から近くの町に引っ越し、本家、分家、などがありそうな同じ名字のお家がたくさんある、割と横の繫がりがぎっしりなされてる地域でした。(もちろん外から来てる人もあり。)

クラスのひとりの女子が成績はそこそこ、ながら面白い子ですぐに仲良くなったのですが、いわゆる3年せいぐらいから特に強くなって行く「グループ」での行動が「面倒だな」と私は思い始めていました。彼女はとっても面白く、村社会の話も新興住宅しから引越して来た私にとっては興味深くて(お家に行くと玄関が開いてる!人に家にも普通に「こんちはー」と鍵があいてたら入って行くとか)一緒に居たものの、2人で居る時は気にならないのですが、どんどん大きくなっていくグループ(5-7人ぐらいだったかな?)の中での圧倒的な力、そしてグループ内の友人に彼女の中で付けてる順位、そして使い分ける態度に違和感がありました。

好きで一緒に居る、と思っていた友人たちが「彼女の顔色を見て」動いているのに気付いて、ますますしんどく面倒臭くなり、適当に合わせていましたが、5-6年生の時は本当に嫌でした。 いわゆる、女子っぽい(小さいおばさん)「ねぇ〜〜〜っ」という同調を求めるあの粘つく答えが決まってる呼びかけ?ひぃー ちょっと鈍臭い事をしてしまった友達の行動を見ては他の周りの子に目配せして「見て、あれ」ど鼻でバカにする態度

あぁ、私無理だわ、と思いました。

親友!と言われながらも「私の位置づけ」というのがあるんだろうな、と思っていました。 中学に入るのをキッカケに私が元々住んでいた地域の子たちも一緒になったり、クラブ活動に(ソフトボール)参加し、そこでもうひたすら疲労でご飯を食べてる途中で寝てしまう、ぐらいの体力と気力を使っていたのもあり、小学校時代の彼女との関係は稀薄になって行きました。ちょっと悪いのに憧れてるけれど、それなりに素行は悪く無い、という「ややこしく目立ちづらいけれどたちが悪い」位置で彼女は頑張っていました。

やはり、私は違うな、無理だな、と思って離れて行けた事にホッとしました。

合うか合わないか

人との付き合いを考える時にそれだけで良いんじゃないのかな。
それはもちろん人それぞれで「私は無理だなぁ」って思っても、隣の友達が「私は嫌いじゃないけれどね」と言うならば「へぇ〜」と思う。私には分からないその人の面が(双方に)あるのかもしれない。

大人になってから、ちょっとずつ分かって行った、というか「自分のスタンス」が分かって来ました。

寂しいのを極端に嫌う友人が「面倒くさそうな人」に食事に誘われても行く。同時に誘われた私は当然行かない。友人にとっては「え?誘われたのに行かないの??家に帰ってもひとりじゃない!?」と最初は驚愕だったよう。

私はひとりが好きだし、そんなに好きでは無かったとしても「面倒くさそうな人との時間」と「それが及ぼす心の効果」(?)を秤にかけたら明らかに行く、を選べない。案の定、行った友人は「もうあの人、本当に最悪!あんな人と食事行くぐらいなら家でひとりで食べた方が良かったよ」と言っていたのに、次回また別の「面倒くさそうな人」に誘われたら「ナオミさんは行かないよね?」と苦笑しながらも出掛けて行く。

この人バカなの??と思いそうになる気持ちを抑えて考えると(悪い!私)愚痴は言いつつも、彼女にとっては「とは言え、寂しいよりは良い」というちゃんと自分の「価値観」を尊重しての選択なのでしょう。

それを、私が「あの人はバカだ、わざわざ同じ事を繰り返して!仲良くするのは止めよう」と言ってまわる必要は無い。

子供たちのいじめ、と私が大人になってからの価値観の話が行ったり来たりする今回の話かもしれませんが...いつものこと、お許し下さい。

うちには10歳と12歳の子供が居ます。 その段階でのいじめ、への気持ちというか感想?対処としては「小さな世界に閉じ込めない、閉じこもらない」事が大事かな、と思います。 小・中学生の子供たちと話す機会も多く、彼らの親よりも彼ら自身との方が仲良い場合も少なく無い私。自分の経験も踏まえて「学校」という子どもたちにとっては本当に大きくて(実際滞在する時間も長い)面倒な世界の人間関係、は出てしまえば ほとんど繫がり無く大人になって生きて行けるものであるのだよ、と伝えたい。

ずっと生まれ育った場所で暮らし、小中学校の友人たちと定期的に会って楽しく過ごしてる同級生たちの様子をFBなんかで見ながら「へぇ〜〜😀」と興味深く思っている自分も居ます。「思えば遠くに来たもんだ」というやつですね。

ちなみに、「良い」とか「悪い」とかの問題ではなく、今の学校の、クラスの人間関係が嫌だ、面倒なんだ、という人には効果的な話だと思います。今でこそFBがあるから、同級生など見つけやすいですが、数年前までは小中合わせて私が定期的に連絡を取ってる人は1-2人。

今仲良しの友人なんてここ10年20年の友達。そして去年会ったばかりの随分年下の友達が気になってしょうがない!そんな状況。

逆に「こんな仲良しが高校に行ったら離ればなれになる〜〜💦」と嘆き悲しんでるなら、今、バリと日本やけど仲良いよ、と教えてあげたい。

文章ばかりのブログ、ここまでお読み下さって有り難うございます。
まだまだ「私の面倒な話」は続きます。

せっかくなので2000年に立ち上げたsisi一号店の写真を。

何故唐突に??

それは「おとなのいじめ」もあるのです、という話を最後にしたいから。最後、と言ってもそれなりに書く事になりそうですが。

「私、ウブドでは結構嫌われてるんですよ。いや、それは昔の話か、最近は嫌われる程人気無いですね。」と言うとほとんどの人が「えー!もう尚美さんオモシロイ!」とか「そんな訳無いじゃないですか〜〜」と言って下さるのですが、少なくとも15年以上前まではしっかり「嫌われている」意識を持っていました。いや、10年程前もか。

詳細を書くと「ドキッ」とする人や「え、あの人が?」とかが出て来てしまうので(石原真理子かっ)控えますが、結局、子供も大人も一緒で、ストレスがある程度かかると「そのストレスの元である根本的な問題を解決する」以上に(いや、同時にかな?そうだと良いけれど)誰かターゲットを見つけて攻撃する事を選ぶようです。

↑知らない若い世代に「石原真理子」さん。いい写真を選んでおきました。
彼女がおかしな行動を当時も、今も取り続けてるのもストレスが原因です。持ち上げてバカにして大笑いしてる風潮が好きではありません。そんなのもまた「いじめ」に繫がるんだよ、今のマスコミの罪も重いよ!

ひとりで「他の誰がどう言おうと私はあの人が気に入らないね!」というポリシー(いや、単なる好み?直接何か嫌な事をされたならある程度はしょうがないかも知れませんが、根本に自分の別の所にあるストレスのせい、ならば、それはかなり不格好。)でもって嫌う、そして攻撃するのは「病的」では ありますが、ある意味しょうがないのかも?なのですが、そういう不格好な人は徒党を組んで陰でコソコソ。

掲示板に書き込んだり、田舎の美容室で、今ならLINEグループ?

面白いもので、そういう多くの方は会うとものすごい必要以上に愛想が良い。

「尚美さ〜ん、お元気〜〜」
「大活躍ですよねぇ〜〜」
「有名人に会えて嬉しい〜〜♡」
「私、あなたのことバリ島一尊敬してるぅ!」

あまり知らないバリ島に暮らす日本人の大先輩(年齢と期間だけ)が来たばかりの私にそう言う事言うの明らかにおかしい。ずっとお会いしたかった、どこに住んでるんでしたっけ?とか。ははは

初めてお会いする方も、実際にそう思って下さっていても、持ち上げてバカにしたい方も、あまりに素敵な言葉を並べて下さると私は目がグラグラ(?)と泳ぎます。その場を離れよう、とします。許して下さい、止めて下さい、普通に接して頂けると非常に助かります🙏

私は、もう若いときに図に乗って恥ずかしい目に遭っているので、持ち上げられても、そこで「心が大きく」動きません。善意の方のお言葉はやはり嬉しいですが、恥ずかしい😵

1999年にバリ島に単身で移住し、2000年にsisiオリジナルバッグというカバンのお店を始めたのですが、割と若かったです、移住する多くの人に比べて。更に独身で割と商才があったので(今となっては本当に有り難い時代でもありました🙏あ、あとど根性と気合い!これが一番かも)暮らしのメドが比較的早くたち、独り者だったのでフットワークも軽く、反対の位置にある諸先輩がたからすると鬱陶しい存在だったのかもしれません。と、言うかそうだったんでしょうね、もうすぐ20周年だし、もう書いて良いか!

ただ、今でも言おう、今だからこそ言おう!

当時、ウブドで私と同じレベルにお金が無くて、そしてビジネスに真摯に向き合い、考えに考え、努力をしていた人間は居ましたか?

私に嫌がらせ、脅しなどをしに来た方々、あなたたちは私への嫌がらせに使う時間を自分のお店やビジネスの向上の為に使うべきだった。お客さまたちの満足を得る為に使う労力を掲示板への書き込みや、わざわざ集まっての悪口大会、私の所までやって来る事に使ってしまっていたんです。そこのところは「反省」して下さい。(もし、読んでたら)

そして、もし「わたしの方が頑張ってたわ!」という方が居たら、大変失礼致しました🙏

ちなみに、こういう事を書いていながら後から言うのもなんですが、20年以上前に(バリ来る前)すごい体力的に、いや、精神的にもヘトヘトになるまで仕事していた時期の事を友人に「頑張ってた、ほんま」と話してたら私以上に努力の人であるマリちゃんに「あのな、こんな事言うのもなんやけど、「頑張ってる」というのは周りの評価やからな、実際すごい頑張ってたけど、あんまり自分で言うと恰好悪いから止めとき」と言われました。 あの時は恥ずかしかったな〜〜〜

反省すれども進歩無しの45歳。

ちなみに、調べたけれど出て来なかったんですが... 例えば掲示板であれ、井戸端会議であれ、せっかく、例えば私の悪口を言って複数名で「あいつ最悪、手段を選ばない関西人、なにやってるか分かんないよね!お父さんヤクザらしいよ、神戸から来てんだって」(全部実際言われた。ちなみにうちの父はもと証券マンの奈良県民。私は神戸には生まれてから3回ぐらいしか行った事無い)と言ってても、私が気付かず呑気にやってたら、「アンカー」と専門用語?で呼ばれる係の人が、わざわざ言いに来るんですって!

バトン渡しに来る人、らしいですよ。うまい事言うな〜〜

心配してるフリをして「あなた、評判悪いよ」て。

私の好きな人たちの中で、本気で心配して「あんなん言ってる、て聞いたけど、それ本当!?」って実際聞いて来てくれる人が居ます。それは別。

「こんな酷い事を言われてたよ、私は「皆、止めてよ」て言ったんだよ〜」とか、「私は良いけど、皆が嫌なんだって」とか、「掲示板酷いよ!泥棒とか書いてる」とかね!

酷い!と言われるような事をしないように生きてる私としては、泥棒した事無い私としては...ごめん!全然気にならない!

同じような境遇の方、アンカーの方に教えられても、特に掲示板とかは見に行かない方が良いですよ。 気にしてない、と思っても、文字でしっかり書かれているとやっぱりショックです。古谷尚美(旧姓:生島尚美)昨日の夕方16時にあげたブログを今朝11時頃編集しています、とか書かれてて、それ、私の事、めっちゃ見てるやん!好きやん!とか笑えると良いんですが、心がそこまで強く無い人、弱ってる時期に見てしまうとやっぱりショックです。

友人知人は「あんなの気にしなかったら良いよ」「有名税」(そんなに有名ちゃう。地域限定、期間限定)「便所の落書きや〜〜」と言ってくれるけれど...私はわざわざ見に行く事は無かったけれど、検索してる時にふと現れたりするでしょ?検索結果で数行とか!近年、もう人気無いから、そう言うのもありませんが、当時は恐かった事もありました。老舗の石鹸屋さんのあの方もおっしゃっていた。分かります。

なので、人が「掲示板とかに書かれちゃって」という時は「気にしなきゃ良いよ」以上のアドバイス、私は出来ますよ😀

そして時代の移り変わりとともに、ターゲットは変わって行くんです。小さなしょーもないものですよ、ウブドの日本人の在住者の「いじめ」のターゲットですよ。私の感覚では3組ぐらいが定期的に入れ替わってる感じでしたね。私も昔は仲間入りしていました。 面白いのが、私の悪口言ってる人が、次のターゲットに移ったら、無邪気にその人の悪口を私に言って来る、ということ。「尚美さんの時も酷かったけどね〜〜」なんて笑いながら。無邪気かっ、バカかっ!? いや、失礼😝

死なないと治らないのかな?

なーんて、過激な言葉が頭に浮かぶとか浮かばないとか?

どうでしょうねぇ...カルマを背負って来世で考えるキッカケをもらえるのかもしれませんね。ビジネスで上手く行っていない時期は外から野次を飛ばすだけの気軽な野球観戦気分で悪口言ってるけれど、上手く行った後どうでした?散々叩かれたでしょう?人はされないと分からない愚かな生き物ですね、私も含め。

 あなたがたが成功した時は「あぁ、良かった、これで変な悪口言われなくて済むわ。でもね、次はあなたたちが不格好な(信念が不格好、という意味)生き方してる人に叩かれるよ。カルマは回って行くのだよ」と私は正直思ったよ。

されないと分からない「愚かな生き物」である私も含め人間は、同時に「想像力」豊かな生き物でもあると思うのです。1度では無理でも2-3度「いじめ」に限らず嫌な目にあったなら、辛い境遇に陥ったなら、学ばないとあきませんね。自分がイライラしてうまく行ってる人の言動が気になって意地悪な言葉が出て来てしまっていたら「あかんあかん、これは自分のストレスを『代償行為』として人に向けてしまってるんだ!」と気付きたい。

そして、小さくても「嫌な事」をしてしまった後でも、気付いたら「ごめん!」と謝る(子供にあたってしまったり)、やり直す、反省する、を繰り返したい。

いじめの「構造」の根本はここだと思うんです。

長い長い回り道をしてやっと結論です!

今更ドラマ「黒革の手帳」(新しい目の)を見て嬉しくって
作ったLINEスタンプ

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周りの大人が「ストレス」の捌け口として適当なターゲットを見つけ(キッカケがあれば誰でも良い。そのうち変わって行く。)安全な位置から徒党を組んで嫌がらせをして行く。目的はその人をいじめる、事では無く「こんな問題が起こってるけれど、自分が悪い訳では無い」と気持ちを落ち着かせる?整理するため。 ただ、根本的な問題はもちろん解決していないし、良心の呵責なども...ある場合も?無い場合も??余計むしゃくしゃしちゃったりして。

クソっ、とゴミ箱を蹴り上げたり

虫を踏みつぶしたり

壁を殴ってみたり

人をいじめてみたり

色んな理由があるんでしょう。

過去に13度お食事やお茶に誘って下さった女性が居ました。
上記の通り(長いブログなので忘れちゃったかな?)利益の無い「面倒そうな人とは時間を過ごさない」ポリシーを持ってるので13度断ったら、ウブドで何組か当時居た、NBA(バスケットボールじゃないですよ。NAOMI BENCI ASOSIASI:尚美を憎む協会、と私命名)の首謀メンバーになっていらっしゃいました。

2-3度目に気付いて欲しかった。

私はあなたが嫌いな訳では決して無かった。

ただ、いつ死ぬか分からない私の貴重な時間を使える、私のタイプの人では無かった、ということ。

ちなみに「利益が無い」というのは金銭的な事では決してありません、もちろん。(一緒に行く理由としては「好き」が一番大きいです、もちろん)私の「利益」があなたの思う所の「利益」とは違う事もあるだろうし、同じ事もあると思います。あなたの大事にしてるものを私はそんなに大事にしていない場合もあると思います。ただ、あなたが哲学を持って大事にしているそれ、事を私は「尊敬」すると思います。

いじめのターゲットは日々移って行きます。だからこそ、助けるのが恐いのかもしれません。いじめられているあなた(大人でも子供でも)、「私なんてこの世から居なくなれば良いんだって」なんて思わないで。だって、あの人たちは自分で処理出来ないストレスをあなたに向けているだけで、あなたじゃない誰かでも良いんだから。あなたが悪いのでは決して無い。

FBで人さまの投稿でしった「あいみょん」の歌。自殺が良いとか悪いとかでは無く、テレビの向こう、snsの向こう側で見た「単なる自殺」は数で捉えないで。そこには必死で辛い中ちゃんと「生きていた」人が居るんだよな。
生きて!なんて言わないで、と言うけれど、やっぱりそれでも生きていて欲しいんだよなぁ。

日本に居た時にたまたまた観た『あさイチ』に出てたバンド「女王蜂」の歌。彼らは性別も国籍も年齢も明かさず活躍している。いろいろな目に遭って来た彼らの彼女らの歌が心に響く。9:50ぐらいから歌が始まります。

誰にも奪わせないで
私の愛した全てのものにどうぞ不幸がおとずれませんように。

そして、世界中の人たちがこう思てる事、願っている事を「想像」したい。
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大人である私たちがしっかり見せて行かなくてはならないのだと思います。自分の生き方で。 自分の好きな事、付き合う人は自分で決めたら良い。人は合うか合わないか、で付き合ったら良い。合わない=嫌い、では無い。自分の好きな人が「合わない人」と付き合ってても、それを尊重して見守っていたら良い。(ま、ただ、明らかにタチの悪いのが私の大事な人に近づいていたら「あの人、ちょっとそういうところがあるから気をつけて付き合っても良いと思う」ぐらいは言います。全く知らない人だったら言いません) 人の状況を環境を想像して、少々の暴言などはベースの「大好き」があるので、「この人大丈夫かな、今ちょっとしんどいのかな?」と気に掛けるようにして。

更年期&裁判をかかえてる 5年に1度ぐらいしか挨拶しないウブド在住私と一緒ぐらい?の欧米人の女性に怒鳴り込まれた事がありました。周りの友人さえ止められないぐらいの勢いで。最初私に言ってるんではないと思ってて(私接点無いから)周りをキョロキョロした程。 その後、彼女の近しい共通の友人がやって来て土下座する勢いで謝られました。

「ごめんね、NAOMIは一切関係無いの、悪く無いの!あの人、今、もう大変で私たちでも押さえきれないのよ」と。

後で友人知人に漏らしたら「尚美さん、言いやすいのよ、愛想も良いし」(弱そう、という意見も。弱そうって!!!)と。 愛想よくやってたら色々有り難い事、そしてビックリする事にも遭うようです。

更年期と裁判で、と理解してくれる友人が居て本当に彼女は良かった。昔は穏やかに笑う素敵な人だったのに、ストレスは人を狂わせるのでしょう。

でも、そこでどう振る舞うか、対処するか。大人たちの行動を子供たちは見ています。いじめっ子はきっと家庭環境がガタついている。 それは学校だけでは、家庭だけではどうしようも出来ない事かもしれませんが、同時に学校で、家庭で、そして地域で、そして「面識の無い」大人、マスコミ、政府、子供と接点の無い人たちの生き方全てが世界を作って行くのだと思います。

学校で「いじめ反対!」見つけたらすぐに報告するように、とか「いじめ探偵」雇う、とかそう言う事も目の前のいじめをやめさせるにはある程度の効力があるのでしょう。 でも、同時に5年後、10年後、20年後もっと先の日本を救うには、私たち一人一人の生き方だと思うんです。

だから、「いじめ?関係無いわ」と思っているあなたも、想像力と経験値で弱ってるいじめられてる人を、いじめてる人をも気に掛けれたら日本は、世界は大きく変わって行くのでは無いかな、と思う、そういう長〜いブログでした。

まさか誰も最後まで読んで無い?? 
最後まで奇跡的に読んで下さった方は是非教えて下さい。

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バリ島発オリジナルバッグsisi

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