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遺書。(第8章〜己の中の多様性〜)

親愛なる君たちへ。
君たちがこの記事を読んで理解できているとしたら、おそらく早くても今から10年後くらいだろうか?

この記事を書いている今、2024年。
世の中は日々進化・変化し、特に社会のあり方や働き方が大きく変化しつつある時代の過渡期に差し掛かっている。

君たちが成人する頃にはそれはさらに加速し、今現在では考えられない混沌とした社会の中で、さぞ生きづらさを感じながら生きていることだろう。

しかし時代が変わっても普遍的なマインド・行動原則があり、私はそれを指針に今を生きている。
10年後生きていたとしても、おそらくそれは変わらないだろう。
そんなエッセンスを、何章かに分けて書き、伝えていきたいと思う。

さて、今日のテーマにいこう。

「己の中の多様性」

少し格好つけて、Self Diversity(セルフ・ダイバーシティ)とでも言おうか。

ここ数年、世界各国日本全国あらゆる所で多様性(ダイバーシティ)の必要性が提唱されている。
2015年9月国連で採択された「持続可能な開発目標」つまりSDGsの項目の一つでもあり、多様性というものに各々意識をし始めている。

そもそも多様性という概念は極めて曖昧なもので、明確な定義をすることが難しい。
その良し悪しについても、背景にある環境や文脈によって異なる。

国籍であったり、民族であったり、老若であったり、男女であったり、考え方であったり、、、とにかく世の中の組織において皆ミックスジュースを作ることに躍起になっているように見える。

個人的な意見を言わせてもらえれば、「なんで今更そんなことを」と私は思う、貧困問題にしても、環境問題にしても、差別問題にしても、この多様性というものについても、SDGsとはただ当たり前のことを言っているに過ぎないのに。

多様性に話を戻そう。
多様性(ダイバーシティ)は多くの場合、組織体という文脈で使われることが多い言葉だ。
組織はいろんな得意技を持った人が集合して成り立つ。
当たり前の力学だ。

では、個人で見るとどうだろう?
結論から言おう。私は"自己の中の多様性を開花させること"に大きな意義があると考えている。

人は基本多重人格だ。
会社の中での自分、ひとりの時の自分、家族といる時の自分、恋人といる時の自分、、、それぞれで別々の人格があり、それらをうまく使い分けてバランスを取っているはずだ。

学校でいい子が家庭では荒れ果てている。
会社で高圧的な上司が家庭では奥さんの尻に引かれている。
それらの逆もまたしかり。

"第7章〜7:3の法則〜"を読んでくれただろうか?

右脳的(直感的/感性的)7:3左脳的(論理的/具体的)のバランスが取れている状態の時に人は得てして良いパフォーマンスを出せる。そんな話をした。

君たちにも必ず、自己対峙する中で葛藤や迷いに巡り会うことがあるはずだ。
・良い所を肯定したい自分と悪いところを改善したい自分。
・情熱的な自分と冷静な自分
・感性的な自分と論理的な自分
・男性的な自分と女性的な自分
・大胆な自分と繊細な自分
・責任感と怠惰
そういった正反対の何かと何かが脳内で葛藤している。
自己の中に対極を合わせ持っている。
そんな感覚に襲われることがないだろうか?

極論、それが正常だ。
それこそが"己の中の多様性(Self Diversity)"だ。

その認識を持った上で、それらをうまく融合させて物事に取り組んでみてほしい。
それぞれを場面によって使い分けて長期的に融合させる、でもいいし、常に7:3の状態で定常化させて融合させていく、でもいい。

ストレスや、それによるメンタルダウンは、(私も経験しているが)どれかを過剰に使ったり、どれかが極度に欠けていたりするときに起きる。
"正反対の何かと何かが脳内で葛藤している状態"
”自己の中に対極を合わせ持っている状態"
が最も健全だ。

くれぐれも、考え過ぎてストレスにはならないように

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