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台所の哲学、言葉を哲学する。

こんにちは、だいきです。

哲学を持っている人は、
たった一つの言葉を究めて、
自分のものにしている人だと思います。

ずっと向き合ってきて、何かを学び得て言葉を哲学していく。

そうしていくと、すべてのことがつながり、
言葉が辞書的な意味ではなく、
液体のように自由に意味を更新し続けていくことができます。

ある料理家の方は、
「台所」という言葉を哲学して、
三つの要素に分解していました。

台所とは、
「とびらであり、命が生まれる場所であり、個人の自由と自立を促すものである」
と仰っていました。

辞書に載っている台所の定義とは違い、
自分の経験や学んだことから導き出した定義です。

まず、とびらというのは、
過去と未来をつなぐもので、
台所の歴史を紐解くと、
そこには包丁やまな板があり、
電子レンジやIHなどの電化製品の発明がありました。

これらのものづくりの歴史をつなぐとびらでもあり、
個人の過去と未来をつないでくれるものでもあります。

台所でつくられた料理は、
その人の記憶に刻まれていて、
過去の蓄積によって、物語がつくられています。

そこから台所は未来もつないでいて、
「どこでもドア」と表現していましたが、
どこへだって行けるし、
自由に世界をつなぐとびらそのものなんだということです。

お味噌汁や漬物などの日本食だけでなく、
パスタやお菓子だってつくれて、
世界中の料理を再現することもできます。

次に、命が生まれる場所と言うのは、
お米を炊いたときの蒸気がぶわっと溢れてくる感覚に近いのですが、
お米一粒一粒が生まれたての赤ちゃんのように、
元気いっぱいに産声を上げるような形で、
私たちの食卓に供されます。

お米に水が反応して、火で温めることで生命がスパークする。

まさに、火水の力で命が生まれる神聖な儀式のようで、
とてもプリミティブで本質的な場になっています。

他の食材でもそうですが、
すべての命が台所で生まれ、
生まれた命を私たちが頂いています。

さらに、個人の自由と自立については、
先ほどの話ともリンクしますが、
台所は、不可侵の領域で、自由に料理を作れる場所です。

また、台所で自分の意志で料理を作ることで、
自然と自立心が促されていきます。

人が自由でいられるサンクチュアリ(聖域)は人によって違いますが、
台所は、料理好きな人にとっては、一つの聖域になっていると思います。

これらの要素が台所を形作っていて、
この台所の哲学は、日々更新されていくことと思います。

何か哲学を持っている人は、
一つの事象を深めていく力があり、
言葉を身体化させていきます。

そして、すべてのことは繋がっているとハッキリと分かるようになります。

今日からでも、何か一つ言葉の意味をよく考えてみると、
新しい発見があるかもしれませんね。

それでは、また!

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