見出し画像

『15歳のコーヒー屋さん』読んだよ!

読んで良かった◎

響さんが発達障がいだと分かり「育て方が悪いのでは」と周りから言われていたお母様はホッとするところ、それとは逆にお父様は「障がいがあるのならこれからどうするんだ?」と不安に思い、すれ違うところ。
夫婦でも恋人でも友人同士でも、何か問題が起こっている時『お互いがすれ違っている』ということを自覚さえ出来ないことが多いと思う。

それが出来ているという時点で、お二人がかなりぶつかったり話し合ったり喧嘩したんだなーというのが分かって、それがもうそもそも凄い。
きっと嫌になるくらいの物凄い過程があったと思うが、それでもお二人は諦めず、口を閉じず、自分の考えや気持ちを喋って、伝えて、『何処か今より良いところ』に向かおうとしたのだろう。
すごい。本やドキュメンタリーだとよく出てくる展開だけど、己の現実に起こると考えると物凄くしんどいと思う。

また、お父様が、響さんが一緒に仕事を手伝ってくれるのを嬉しいなと思ったり、自分の道を見つけて辞めてしまうを寂しいと思えるのがいいなぁと思った。
(お父様がもっと一緒にいたいからと会社を辞めて、染め物を始めるのもそもそも凄いが…)

このご家族はシンプルに響くんを愛していて、それとは別に彼には出来ないこと、難しいことが多くあり、そしてそれ故この世界で生きていくのが難しいかもしれない、生き抜くための方法を見つけていかないといかない、と認められたのが、本当に素晴らしいなぁ。

愛しているが故に「頑張れば出来る!」という方向性に行く人も多いと思う。
愛しているが故に「この子は悪い子じゃない!」と守る方向性に行く人も多いと思う。

ひーくん(響くん)はこれが出来ないよね、でもこれは出来るよね、と『それは悪いこと』というレッテルを貼らずに現状を把握させて、
お金を稼いでいかないといけないよ、
生きていかないといけないよ、と伝えられたのが本当に凄い。
人間力が高いというか、響くんと一緒に育つ上で手に入れていった寛容さとか懐深さなのかもしれない。
彼を腫れ物扱いというか、可哀想扱いしなかったのが凄いと思うな。

私としても、

「出来ないこと」と
「頑張れば出来るがめちゃめちゃストレスの溜まること」
(=つまり「苦手なこと」!)
にどう対応するか?というのが人生の課題だよねと思っていて、

障がいがあるよと認定を受けることは、
「それ、甘えじゃないよ~」と認定を受けて生きやすくすること、なのかなぁと考えています。

(認定は『ハンディキャップの出現』ではなく、『対処を知るきっかけ』というか…)

でも、
じゃあ所謂健常な人間の苦手は甘えなのか?となるけれど、
私はやっぱそれも甘えじゃないんじゃん?と思うのです。

朝早く起きられない
お金の計算は苦手
人と接するのは緊張する
夜起きていられない
どうしてもどうしても、フルタイムは嫌~

とか……、
それぞれやっぱりあるよね、って思う。

人は機械じゃないから、
血糖値とかコレステロール値みたいに、障がいかどうか計る数値にもグラデーションみたいに具合があると思う。

数値としては障がいだと認定されないけれど、生きづらい人もいるだろうし、
逆に認定を受けたけれどさして問題なく、幸せに暮らしている人もいるだろう。

問題なのはやっぱり本人が「しんどい」「幸せじゃない~」と思っているということで、

・「苦手なところ」を欠点と捕らえない
・「普通に生きる」ことを目指さない

が大事なのかなぁ、と今は考えているところ……。

そして、もしも今「適応」するためになにか努力したり辛抱したりしているなら、
その努力を、苦手なことをなるべくせずに済む努力に変えていければ、少しずつ人生楽になるんじゃないか、とも思う。

どうしても欲しいものがあるから頑張るとか、
期間を決めてこの間は頑張るとかならいいんだけど、
そうでなければ嫌なことに一生耐え続けるというデスマーチになってしまうんじゃないか?
それは死ぬまで耐えきれるか、耐えきれずに体を壊すか、という2択にしかならないよなと思ったり。

この世界で数値としての「中庸」や「平均」を「普通」として扱うのは変わらないだろう、と思う。
少数派について少しずつ理解が深まって浸透していくと思うし、今もその過程だけれど、
「普通」という概念や「普通の人」というのは存在し続けるんじゃないかな。
何故かというとそれはやっぱり扱いやすいから。
国とか会社とか大きな観点からすると「普通の人」という単位は要るだろうなって思う。

人が「普通」を目指すのは、どうしてだろう?

何かに引っ掛かりたい、
何かに掬い上げられたい、
から?

網の目から落っこちるのが嫌、
だから?

就職するとか、結婚するとか、人に選ばれたい、という時に「普通」というのは分かりやすくて、便利に見えるのかもしれない。

でも「出来ないと駄目だから」「人間失格だから」「社会人失格だから」みたいな理由で「普通」を目指し始めたら、地獄だと思うから、それはやっぱり辞めないといけないね。

先にも書いた通り、数値の上では「普通の人」だけど苦しい人はいるだろうし、
マイノリティと言いつつ、今の世界は生きづらいぞ~と思っている人は結構いそうだよね、と思う。
そういう人達が皆で「や~めぴ!もっと緩く生きよ~!」ってしたら新しい社会が見えてくるかもしれないね。

そして何より、社会とか、国とか、じゃなくて
『自分!』だよな。

ずっとじっとしていられない、なら
「動きのある仕事の方がいいね~」だし

長時間拘束されるのが苦痛、なら
「ほなパートとか契約社員とかの方がいいかもね~」だし、

それが「逃げ」じゃなくて「選択」だって言える『自分』になれたらいいよね。

今でも「それが当然じゃ~ん!」って自分の生きやすい方向にぐんぐん進んでいく人も沢山いると思うから、身近にそういう人を見つけてお手本にしたい。

「あなたはあなたのままでいい」
「苦手なままでいい」
「出来なくてもいい」
「頑張らない」
って、自己啓発本やスピリチュアルな本を開けば載っているけれど、それって言うのは簡単だから、
だから私も、一旦己の人生でそれが本当かどうか試してみよ~と思っています。

いつか皆さんに
「ほんとだったよ!苦手なことしない方がいい!」とか
「こういう時は、多少、辛抱いるかも!」
みたいなこと、シェア出来たらいいな~。

折角の人生だから
いっぱい実験していきたいね。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?