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アメリカ印象派展開幕まで1か月!そもそもアメリカ印象派って?

来年(2024年)1月から開催されるアメリカ印象派の展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」。印象派の展覧会は数あれど、これまであまり紹介されてこなかった「アメリカ印象派」にスポットを当てます。でも、そもそもアメリカ印象派って?フランス印象派と何が違うの?


▶フランス印象派の誕生

印象派は19世紀後半フランスで生まれ、それまでの美術のメインストリームだった”秩序”を重んじる「アカデミーの美術」に反発、美術界に変革を起こしました。その革新性は、両者を表すキーワードでよくわかります。
 筆遣いは、アカデミーの「丁寧で滑らか」に対して「粗く、素早いタッチ」(この表現、よく使われます)。描き方は「緻密に計画された構図」に対して「即興的」(決して思いつきではありませんが)。制作場所は「アトリエ」に対して「戸外」(チューブ絵の具の発明という技術革新によるところも大きい)。描く自然は「主題の背景として」に対して「描くべき対象そのものとして」。テーマは「神話や歴史」から「都市とそこに暮らす人々の日常」・・・どれをとっても対極的です。
 そんな革新的な印象派は(革新的であるが故に)当初フランスではなかなか人気が出ませんでした。そこで、印象派のディーラーとして知られるパリのデュラン=リュエル画廊は、新たな販路を求めて(そう、アートはビジネス!)大いなる賭けに出ます。彼は1886年、アメリカ・ニューヨークで印象派の展覧会を開催。”ギャンブル” と言われたこの展覧会は歴史的な大成功を収めます。当時 “新興国” だったアメリカにとって、歴史と伝統があるヨーロッパは “憧れ“。フランスの前衛芸術である印象派は、新しいもの好きのアメリカ人には受け入れやすいものだったのです。

1886年ニューヨークで開催されたデュラン=リュエル画廊の歴史的展覧会
「パリの印象派」のプレス・パス(collection Peter Hastings Falk)
https://discoveriesinamericanart.com/art-dealer-scholars/ より

 アメリカの画家たちもこのトレンドに敏感に反応しました。彼らはフランスにわたり印象派に触れ、そのテクニックを吸収し、やがて「アメリカ印象派」と呼ばれるようになります。
 アメリカ印象派を代表する画家、チャイルド・ハッサム(1859-1935)もその一人。彼は1886年、パリの私立美術学校、アカデミー・ジュリアンに留学します(ちなみにアカデミー・ジュリアンは後にアンリ・マティスや安井曾太郎が学んだことでも有名)。ハッサムは結局アカデミーの体制に幻滅して退学しますが、その後もフランスに残り、印象派の技法や主題に影響を受けます。本展のメインビジュアルの一つ、《花摘み、フランス式庭園にて》(1888年)は彼がフランス滞在中、パリ郊外の友人宅の庭で制作しました。画面奥には青空。マロニエの木々の間から漏れる光が地面に斑模様を作り、ひんやりとした朝の空気が伝わってくる作品です。
 本展の東京会場、東京都美術館によると、来館者の中にはチラシを見てモネだと勘違いする人もいるとか。それもそのはず、ハッサムは ”アメリカのモネ” とも呼ばれているのです。本展にはハッサムの作品が4点出展され、画業の変遷の一部がたどれます。これについては別な機会にお伝えします。

”アメリカのモネ”と言われる チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》(1888年)

▶自国に戻り“印象派“を実践

フランスで印象派の新しい表現に触れたアメリカの画家たちは、祖国に戻り、そのテクニックを使って自国の自然を描きました。本展ではそうしたアメリカ印象派の作品が数多く出展されますが、中でもデウィット・パーシャルの《ハーミット・クリーク・キャニオン》(1910-16年)は圧巻。当時開通したばかりのサンタフェ鉄道が観光PR用に制作を依頼したもので、(「そうだ、グランド・キャニオンに行こう!」的な・・・)画家は目隠しをされたまま崖の縁まで連れて行かれ、そこで目隠しをはずして初めて見る壮大な景色をカンヴァスに留めたのです。ピンク、オレンジ、紫などのやわらかな色彩、「粗く、素早い筆致」で「光をとらえる」印象派の技法が存分に発揮された作品は、絵画そのものが光を発しているような神々しさです。
 実はこの作品、ウスター美術館でもこれまであまり展示されてこなかったとのこと。展覧会を監修したウスター美術館のクレア・ホイットナー学芸部長でさえ、本展をきっかけにこの作品の魅力を再認識したのだそうです。 

デウィット・パーシャル《ハーミット・クリーク・キャニオン》(1910-16年)
思わず吸い込まれるような神々しさ

▶︎何よりの違いは「主題」

本展ではこのほかにもフランク・ウェストン・ベンソンの《ナタリー》(1917年) やジョン・ヘンリー・トワックマンの《急流、イエローストーン》(1890-99年頃)など、アメリカ西部を舞台にした作品が出展されます。
 アメリカ印象派とフランス印象派の違いは何なのかー。ホイットナー部長は、「重要なのは、どのように描いたかではなく、何を描いたのか」、すなわち彼らが選んだ「アメリカ的な主題」なのだと言います。「20世紀初頭、西部開拓運動の中で、印象派の筆致は入植の力を象徴し、アメリカのフロンティアにおける発見と征服のメッセージとも言えます」という彼女の言葉からは、これらの作品がアメリカ人にとってフロンティア・スピリッツを象徴する大きな意味を持つ作品であることが伺えます。
 本展の原題は Frontiers of Impressionism (印象派の開拓地)。本国ウスター美術館で開催された際には、《ハーミット・クリーク・キャニオン》が展覧会冒頭に展示されていました。作品が描かれた背景を知ると、アメリカ印象派の別な側面が見えてきます。
 会場でぜひ、印象派のアメリカン・スピリッツを感じてください。

フランク・ウェストン・ベンソン《ナタリー》(1917年)
イエローストーン近く、青空が背景の凛とした佇まいは、次世代女性の象徴

アメリカ印象派についてもっと知りたい人には以下がお勧め。ハッサム、ベンソン、サージェント、そして私の大好きなジョージ・ベローズも・・・眺めているだけで優しく幸せな気持ちになれるカタログのような美しい書籍です。

『アメリカ印象派 摩天楼・大自然・新しい女性』東京美術
表紙はベンソンの《エレノア》(1901年)


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