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【本紹介】養老孟司 (著), 茂木健一郎 (著), 東浩紀 (著): 日本の歪み (講談社現代新書)

□紹介する本

日本の歪み (講談社現代新書)
養老孟司 (著), 茂木健一郎 (著), 東浩紀 (著), 2023/9/21
講談社

□メモ

・希望はインテリジェンスにある。
考えられることが人間の希望である。

・自然災害と戦争
日本人は自然災害に慣れている。
自然災害を天災と捉えるように戦争も天災と捉える人がいる。

・GHQ
戦後のGHQによる情報統制。
(古事記も統制されたため、知らない人が多い)

・韓国から日本に対する怒り
韓国は日本国の被害を従軍慰安婦など多くの面で受けた。韓国には日本に対して怒りを抱く年配者は多い。
一方で、日本の年配者はアメリカに対してそれほど怒ってない。なぜか?
先のように、戦争を天才と捉えたため。仕方ないと。
印象として。
—>人間がしたことと自然がしたことは分けるべき

・韓国の文化
梨泰院でのハロウィンでの事故。
始末として、警察署長と区長が逮捕。
—>日本よりも責任問題の波が遠くまで及ぶ。

韓国の若い人は、日本人以上に偉くなりたくないだろう、そして、海外に出て行くだろうな。

・被害性を強調するトレンド
被害と加害が明確に分かれることはあり得ない。互いにどんな被害と加害があるのかをリストにする。それが戦略になっている。
中でも被害性を強調したものが勝つ。

・自由意志はない。
徹頭徹尾、物理的、化学的現象から生じる。
ある行動について、その人の意識、意志に対する倫理的批判を加えることの理論的根拠には精査が必要。
よく考えて、なぜそのような行動を取ったのか、意志を持ったのかを、原因となったファクターを考える必要がある。
当人の内から自由意志として生じた行動ではないはずだ。なんらかの因果がありうる。

やっぱり人間には自由意志がないから、倫理的に正しいとか、そんなことに完全に従う、従わせるのは、無理なんだろうと感じる。

一例として、学校がバイト禁止なのに、バイト行くっていう生徒がいたとして、その生徒がなぜバイトしたいかというと、親友がいるとか、組織のルールよりも大事な要因がある。

そして、それを聞いて、金のためではなく、コミュニティ、人間関係のためだと納得する我々もそれは遺伝的要因によっていて、自由意志によるものではない。

これは重要な視座だ。
見た目、環境を変えたら性格が変わる、自他の行動が変わるのも頷ける。

社会を変えたかったら、行動を変える、行動を変えるには、環境、デザイン、見た目を変える。

・現在の行動を決定するのは?
レトロスペクティヴである。
これまでのその人の経験、遺伝的蓄積による、失敗と報酬から得たフィードバックによるもの。

フッサールの現象学は今の状態のみに着目。
ジャックデリダはフィードバックを提案。
デカルトも、今を考えているから今存在すると言った。
実際には、過去のフィードバックがあるはずで、人間は過去との整合性を図ろうとする。
主体として一貫性のあるストーリーに仕立て上げようとする。
理屈は後知恵なのだ。
—>だから成功者の話を聞いても役に立たない。

・自由意志がないから、個人の責任を問う必要はない?
いいえ、社会秩序を保つために、責任を問うことは後付けされるべきである。

・かけカレー
辛味入り汁かけ飯
戦時中のカレーの名前だった。
あるテレビ番組で、ヒロミとか、芸人が、かけカレーっていうメニューを笑ってたけど、戦時中の背景を考えると、感慨深い

・國體
天皇を頂点に戴(いただ)いた「君民相睦み合う家族国家」を理念として全国民に強制する体制。
これを敗戦後、GHQが国体とした。
メディアは言い換えが上手い。
敗戦を終戦と、全滅を玉砕という。
軍隊を自衛隊。敗走を戦略的撤退。

・文字の変化
戦後、文字は当用漢字と新仮名遣いに変わった。まず学校教育によってこれは伝搬された。学校教育は、洗脳に便利なのだ。
歴史的仮名遣いが昔のもの。
韓国は漢字がハングルに変わり、ソウルの大学では、40万点の蔵書が読めなくなった。

・楷書体、行書体、草書体
丁寧なのが楷書体。
草書体が速記向きの略記。

・国は盤石なものではない。
満州国から引き揚げた日本人の多くは、敗戦によって国が揺らぐ体験を何度かしてきた。
だから、国は微力ながら支えていないと儚く崩れると感じている。

・明治維新

明治維新後、侍が牛乳屋、牛肉屋になった。
その親はショックのあまり自害したそうだ。

価値観の変容は遅い。
不満が、西郷隆盛の反乱に同調した。

生物学的な年齢には意味がないが、
何歳の時に何を経験したのかという世代論には意味がある。

茂木健一郎の発言より

アメリカから使い捨て文化はやってきた。
日本は元々勿体無い精神を持つ。

なんにせよ、アメリカはこうやっているという話は戦後に始まった。
いまだにアメリカはこうという話が多いのはこのせい。
イェール大学とか、MITとかが日本であってもブランド化されているのもこれ。

アメリカの文化がジャーナルの論文誌にも出ている。何が新しいか明確にしないといけないという、電報的精神など。
自分たちの価値基準との差がストレスを生んでいる。
このような外的要因に振り回されて、自らの価値基準を歪めすぎてはならない。

戦前の日本を捨てて忘れてしまったのが根本問題。戦前の日本の良い点を改めて考える時が来ている。

・新自由主義的風潮と明治維新
明治維新は現代の新自由主義的風潮と近い。
明治維新時の人々の戸惑いは、夏目漱石の坊ちゃん、吾輩は猫であるに表れている。
現代では、グリーン車にチャラ男が乗っていたり、チャラ男が大金持ちになっていたりと、なんでこんな人がという人格や、教養に見合ってない人間が稼ぐようになった。
これに対する戸惑いを持つ人が増えている。

・靖国神社
千鳥ヶ淵戦没者慰霊が作られたが、
きちんとした戦没者を慰霊する場所は国家として作っていない。
明治からあった靖国神社がその場になってしまった。

・政教分離は不可能
慰霊自体が宗教の根本にある。
政教分離自体が、元々はローマ教会の教皇権に対して国民国家を作りたいというロジックから生まれた。
国家は宗教が基盤となってできている。
ロシア革命を見たらわかる。無宗教を主張していたのに、ロシア正教の従ってレーニン廟がある。
国は、宗教を基盤として、その意匠を有効に使わないと安定しないのだ。
リベラル、普遍性は政治を国家に適用すると、自らの国民の背景を無視した宗教になる。
日本人と外国人は背景が異なる故に、異なる支援が必要である。

君、さん、呼びの違いもこれに当てはまるだろう。呼び捨て、敬語、タメ口をどこまで適用するかとかも。
リベラルが行き過ぎると、自分と他人という立場になり、あなた、身近な家族とそれ以外の他者の違いが見えなくなる。
国が言うなら、友も差し出して、迫害されても構わないという、ナチスを作る。

・二人称と三人称
ヨーロッパ、西欧では三人称重視。
日本は元々二人称重視だった。
友達や家族を大事にしてきた。
それが、リベラル派は、すべての人類は平等と謳い、三人称重視するようになった。
これは、二人称よりも、三人称、国重視への移行に向かっているのか?

・家制度から個人主義へ
どの家の出身なのかから、個人主義に移ってしまった。
家を持たずに、アパート暮らし、神棚なし。

・学校しか人間関係を学ぶ場がない問題
同い年か、ほぼ同世代で屯させる学校。
ほとんどの子供達、大人たちは互いの交流の仕方がわからない。身につかないシステム。
一昔前は、会社の社員旅行などが共同体的役割を担っていたがそれも無くなった。

・無宗教は不可能
結局のところ乱立した新興宗教があるように、自分の都合の良い宗教を生み出すか、所属する、買い取るとかする話になっている。

・歴史実証主義への注意
残った資料や記録からその人がどうだったか全てわかるはずはない。
誰の立場から見るかによってその人の見え方は異なるし、たまたまその資料が残っているだけかもしれない。

・日本は昔はアメリカのようにいろんな文化が流れてきていた。
混じりまくってわけわからんことに。

・日本国憲法
日本語は曖昧なために、解釈問題が生じている。特に法律家は、都合よく解釈することに特化している。

・夫婦別姓と同性婚
日本では夫婦別姓は進まないが、同性婚は進む。

・岡目八目
当事者よりも側から見ていた第三者の方が物事をより正確に把握できていて、事実の真相や利害損得をはっきり見分けることができること。
時間はないという議論が物理学で流行っていたが、そんなことはないだろって議論を締めちゃうことも大事。
専門家が増えていくと、重箱の隅を突くような揚げ足取りも増えて、本当に大事なことが見えなくなる。

・言葉
事実確認的な言葉
行動遂行的な言葉

日本語は行動遂行的な言葉に寄っている。
英語は、事実確認的な言葉である。

日本語は言い方を気にするが、英語は事実を気にする。

・お笑い
忖度、芸人同士の繋がり重視になっている。
世界の切実な問題などにスケールしない。

□まとめ

他にも本書では,著者らが文化的歪さを感じている広いテーマを扱っており,現在までの実体験とも合わさって,何かしら共感できるテーマがあるのではないでしょうか?
それぞれのテーマの根は深く,当たり前,価値観を常に見直し,柔軟に考える続けることがいかに大切かを思い知らされる本です.
ぜひ、本書をお手に取って,一緒に考えてみましょう。

#読了日
23.12.04


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