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【ストーリー】オーガニックシフト

2634年1月3日 年頭所感

月並みだが「地球は青かった」。

月面住民たちは毎日を冒険のように活き活きと暮らしており、怠惰な日常を過ごす僕とは対照的である。

今も『生きるとはどういうことか』と考えずにはいられない。

ともあれ、月面移住をも可能にした昨今の科学技術には本当に感嘆するばかりである。


21世紀初頭に起源を持つ第四次産業革命の影響は、短期間で終焉を迎えるという当初の大方の予想を大きく裏切り、数百年にわたって今も続いている。

その間、人類の科学技術は指数関数的に発展し、多くの空想科学を現実のものにしてきた。

特に10年前の核融合炉による総発電量が地球上の総消費電力を超えたというニュースは記憶に新しい。

今もToKyoの一部では国際電力機構の目をかいくぐりながら化石燃料による発電が行われていると聞くが、それも既得権益層の世代交代で淘汰されて行くだろう。

小学校の頃、『地球上の温室効果ガスの総排出量は26世紀後半頃から減少を続けている』と習ったが、エネルギー産生の過程で温室効果ガスが発生しなくなったことに節目を感じる。


また、機械の有機化、有機アンドロイドの出現により、アンドロイド産業が民主化したというのも、この27世紀を代表するホットトピックスの一つではないだろうか。

当初は筋肉のみだった自称"有機"アンドロイドも構成比率が年々向上し、今では神経モジュールと骨格の一部を除いた全て、総重量の約75%を有機物で占めるまでになった。

この有機化の流れによって長きに渡って斜陽産業、いや日陰産業であった、畜産業や農業に再び興隆をもたらした。

Yは中学生のころ、牧場経営をする親を揶揄して「あんなの半分趣味みたいなもんだよ」と自虐的に言っていたが、近ごろの有機バブルのおかげですっかり億万長者だ。

今回もYが月面旅行に連れて行ってくれたのだし、僕もちゃっかりその恩恵に預かっていると言えよう。


確かに、資源の一部が無機物から有機物にシフトしたことにより、密猟は過激さを増し、生物の多様性が更なる危機に追いやられてしまっている点は喫緊の課題である。

その他、どんどんあいまいになる生身の人間とアンドロイドの境界や、出産と新生合成の倫理的な解釈の違いなど、有機化の是非に関して議論は尽きない。

それでも、アンドロイドの新生合成や創傷修理が自宅でも行える容易性はこの産業の大きなパラダイムシフトとなった。

我が家のよりどころだった旧型のアンドロイドもついに寿命が来てしまったので、今年は新型の有機アンドロイドに乗り換えようと思う。


2634年1月31日 有機アンドロイドの家庭用プラントが届く

ついに待ちに待った有機アンドロイドの家庭用プラントが届いた。

新型の神経モジュールには前のアンドロイドのバックアップを書き写してもらったので、以前と同様の生活を過ごせるのではないかと思っている。

『思い出はそのままに』

ベタなキャッチフレーズだが、これまで培った信頼関係が引き継がれる安心感は大きい。

今日新生合成用コンポーネントをセットした。

三日ほどで稼働できるようになるそう。


2634年2月4日 新生合成完了

仕事が忙しくてあまり合成過程を観察することはできなかったが、エラーを生じることなく、新生合成が完了した。

神経モジュールと有機部分の接続最適化に数時間かかるようだ。

明日の朝には稼働できるようになるだろう。


2634年2月5日 稼働初日

朝起きると新型アンドロイドのXが備蓄している食糧を調理して先に朝食を食べていた。

僕の朝食の軽く10倍以上の量をペロッと平らげていたので少し驚いている。

有機アンドロイドのエネルギー変換効率は生身の人間とほとんど変わらないと聞いてたのだが。

新生合成直後だから多くのリソースが必要なのかもしれない。

「おはよう。僕も朝飯にするよ。」

というと、有機声帯から出る綺麗な声で、

「おはようございます。だし巻きとお味噌汁を作っておきました。あと23分で出勤用ポッドが到着しますので少しお急ぎください。」

と教えてくれた。

前評判通り、買い換えた新しい神経モジュールではより細かな情報を受信できている。

出勤までの間、他愛もない会話に興じたが、随分人間に近い見た目になったので、今までの話し方では何だか違和感を感じた。

女性型を選んだのは失敗だったかもしれない。

イチイチ緊張してしまう。

料理の味は旧型の時と全く同じで少しホッとする。


2634年2月6日 糖質消費量に異常あり

夕方帰ると、貯蔵庫で備蓄量の減少を知らせるアラームがなっているのに気付いた。

特に糖質の減りが激しい。

Xに聞くと、「食事から得られる糖質では私のエネルギー消費に追いつかないため、貯蔵庫の糖質を使用しました。」という。

明らかにエネルギー変換効率が悪い。

テクニカルサポートに問い合わせてみなくては。

今日はなぜか通信がつながらないので、明日もう一度試してみよう。


2634年2月7日 通信障害発生

昨晩から通信障害が続いている。

何度Xに訪ねても、「一時的な障害が発生しています。通信会社に問い合わせを続けます。」と答えるばかり。

相変わらずXの糖質消費量は半端なく、一日で一週間分くらいの糖質が消えていく。

先ほど食糧備蓄の自動充填ポッドが届いたので、ライフライン用通信には影響がなさそう。


2634年2月8日 外出禁止令

Xが「外にキケンが蔓延しているので、外出しない方がいいです。」

と突然ドアをロックした。

「それはさすがに困る。職場にも迷惑がかかるし。」と伝えたのだが、

「先ほど通信が一時的に回復したので、来週からしばらく休むと職場に連絡しておきました。」

とまったく聞く耳を持たない。

職場に訂正の連絡を入れようにも、外から緊急解錠してもらおうにも通信が出来ないのでは手も足も出ない。

なんだ、X、もしかして僕をこの部屋に閉じ込めようとしている…?


2634年2月9日 クローニング

Xが貯蔵庫と家庭用プラントにつながる廊下の扉をロックして中に入ってしてしまった。

各部屋に取り付けられているカメラ越しに、Xがこちらを見ている。

「手出しは出来ないでしょう」と言わんばかりだ。


すると、貯蔵庫の奥の方から黒い箱と銀色に光るボールのようなものを取り出してきた。

銀色のボールには一本太い管がついており、それからいくつもの細い糸のようなものが垂れ下がっている。


カメラから少し遠いので細かく見えないが……


あれは……


新生合成用コンポーネントと…


……神経モジュール…?


そんなはずはない。

一般的なアンドロイドは神経モジュールに触ることすら許されていないはずだ。

どうしてそいつに触れるんだ?

一体いつどこでそれを手に入れた?

いや、それよりなにより、元のアンドロイドはどうなった…?


いっぺんに頭に噴き出た沢山の疑問も、次のXの行動で吹き飛んでしまった。

なんと神経モジュールと新生合成用コンポーネントを家庭用プラントにセットしているではないか。

さらに自分の出力端子をプラントにつないで、神経モジュールデータのコピーを始めた。


まずい、自己複製するつもりだ。


自己複製の権限はアンドロイドには与えられていないはず。

どうして…?

緊急停止しようにも、ブレーカーは貯蔵庫の奥だ。

このままではいけない、何とかして外に伝えなくては。


2634年2月10日 脱出計画

どうしたら部屋の外に出れるか、考えている。

まだ何の解決策も見いだせていない。


通信が回復していないか、モデムを見に行ったが、明らかに物理的に破壊されていた。

そりゃ通信出来ないわけだ。

Xがやったに違いない。


窓の外に目をやると、沢山の出勤用ポッドがチューブの中を行きかう様子が見えた。

そうか今日は月曜日だもんな。

週末とはポッドの流れる方向も数も違って、何だか慌ただしく、週初めの憂鬱さを感じさせる。

まぁ、でも一日無断欠勤したくらいでは、会社から何のアクションもないだろうな。


僕を信頼してくれているのは嬉しいが、この状況ではそれが仇となる。

事態は一刻を争うのに。

Xが自己複製を終えてしまう前になんとか外に知らせないと。


さて…どうしたものか。

泳ぐ視線の先に、自動充填ポッドがあった。


待てよ…?


この部屋もライフライン用通信は生きている。

それが突然途絶えたら、基地局に異常事態と認識されるのでは?



よし、と道具箱からハンマーを取り出して、ライフライン用通信のモデムに向かう。


歩きながらここに引っ越してきた時の記憶を無理やり引っ張り出した。

確か、冷蔵庫の横に設置されている小さな青いプラスチックの箱がライフライン用モデムだったはずだ。

壁に埋め込まれた扉を開けると、確かに青い箱があった。

ご丁寧にも『ライフライン用モデム』とラベルが張られている。


これで間違いない。


ハンマーを振りかぶって、一思いに叩き壊した。

LEDインジケーターの点滅が消え、通信が遮断されたのを確認した。

モニターに映るXに変わりはなく、気づいた様子はない。


2634年2月11日 解錠

早朝、突然玄関の扉があいた。

ライフライン用通信信号の遮断を受けて、近所の交番から警察官が状況確認に来てくれたようだ。

僕は無事に生存していること、そして新しく購入した有機アンドロイドの様子がおかしいことを早口に報告した。

「アンドロイドの自己複製なんて起きるはずないだろう?そんな話聞いたことないぞ。」

となかなか信じてもらえないので、モニターに映るXとほぼ完成しつつある家庭用プラント内のX(のコピー)を見せた。

ようやく事態を理解したようで、警察官も口を大きく開けて「これは大変なことが起きている」と慌てた様子だ。

「なぜ電力供給を遮断しようとしないんだ」と僕を責めるのだが、貯蔵庫の奥にブレーカーがあるのだから手の出しようがなかったと説明した。

そこで警察官が本部からこの部屋に関する全アクセス権を取得し、ブレーカーのある貯蔵庫に足早に向かった。


横目に『新生合成:89%終了』という家庭用プラントの表示と、恨めしくこちらを見るXの顔が映ったが、気にしている場合ではない。

「ブレーカーはどこ?」と声を荒げる警察官。

「こっちです」と小走りに貯蔵庫の奥に向かい、天井近くに設置された、いくつかスイッチのあるブレーカーを指さした。

警察官は貯蔵庫の棚に急いで上り、大元の電力供給スイッチをオフ、家庭用プラントの動作音が小さくなるのが聞こえた。

「ふぅ…何とか新生合成は止められたな。で、なんでこんなことになったんだ?」とこちらをギロッとにらみ、僕が何か悪いことをしたとでも言いたげだ。

「ちょっと待ってくださいよ、僕は手順に従ってXを新生合成しただけです。何もいじってません。」と言うも、

「じゃあこんなことにはならんはずだ。」と一点張り。

折角頭を働かせて問題を解決したと思ったのに、犯人扱いされて辟易した。

「じゃあXを調べればいいじゃないですか」と半ば投げやりに言ったところで、僕たちはXがいなくなっていることに気づいた。

部屋中を探したが、どこにもいない。

外に逃げ出したようだ。


ーその日の午後ー


警察官が『自己複製を試みた有機アンドロイドが脱走した』という報告をオーガニックシフト社に上げたところ、僕の担当者が泡を吹いて駆けつけてきた。

最初に状況を説明したときには、担当者もまるで僕が悪いような言い草だったが、回収したX(のコピー)の神経モジュールを解析した結果、自己複製を含む複数の規制コードが壊れていることが明らかになり、僕の無実が証明された。

どうやら、神経モジュールのデータを旧型から新型に移すときに障害が起きていたようだった。


問題は、脱走したXである。

測位コードにも障害がある可能性が高く、ネットワーク上では見つけられない状況だという。

お金がなかったので、外見は一般的な女性型有機アンドロイドだし、市中に紛れてしまうと、目で見て判断することはほぼ不可能だ。

神経モジュールに刻まれているプロダクト番号を確認すれば、見つけることも原理的には可能だが、一般家庭に平均して1.5台アンドロイドが普及しているといわれるこの時代に、汎用の女性型有機アンドロイドをシラミ潰しに調べるのは不可能に近い。

一番の懸念は、自己複製だ。

現在はXはこの家の家庭用プラントにしかアクセス権が与えられていないはずだが、規制コードのエラーが他の新生合成プラントへのアクセスを可能にしないとも限らない。

そうなれば、彼女(ら)は爆発的に数を増やすだろう。

さらに爆発的に増えた彼女(ら)が、生物を攻撃してはいけないという規制コードまで無視し始めたら…。

生身の人間は彼女(ら)にとって格好の新生合成用コンポーネントになりうるのだ。

そうなる前にXを見つける術を考えなくてはいけない。


(※この物語はフィクションであり、実在の人物・商品とは一切関係ありません)


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