あなたのリラックスは、本当に「リラックス」?
「リラックスする」って実は難しいのかもしれない。今日はそんな気付きのお話です。
「リラックス」ってきいて、どんな状態を想像するでしょうか?
全身の力が抜けている感じ?
気を張らず、相手と接している感じ?
それぞれの人がイメージを持っていると思います。
私の体験談に「人間はリラックスするふりをする」というものがあります。
ニューカレドニアにいたときに、昼に少し長い休憩をとることが慣習になっていました。朝早めに起きて実験の準備やカラスの世話をしていたので、お昼の時間に休みがあるのは、ありがたかったのです。
お昼を食べて、ゆっくりしようと私はカップいっぱいにココアを作り、玄関先の森が見える椅子に腰かけました。
ボーッとしようとしたのですが、身体が違和感を感じています。なんだか、変な感じ。さわやかな穏やかな気候、鳥の声が響いてるような場所、とくにうるさい人間もいません。それでも、なんだか不思議な感覚を覚えていました。
ふと気づいたのは、手に持ったココアに一口も口をつけていなかったことでした。驚いたことに、私はほんの少しも「ココアを飲みたい」と思って用意していなかった。
「リラックスするとは、温かい飲み物を片手に椅子に腰かけることだ」というイメージを表すためだけに、私はココアを持っていたのでした。
飲料メーカーの宣伝の効果でしょうか。これまでの経験の蓄積かもしれません。ただ、私は「自分の身体と相談して、一息つける状態をつくる」のではなく、「リラックスする、というイメージをかたちにする」ことを「リラックスする」と思っていたのです。
かなり衝撃でした。「自分の身体や心を休ませる」ということは、本来、「難しい」ことではありません。身体の休ませ方なんて、誰に教わるわけでもなく自然にできるものなはずです。しかし、「脳ミソ」が先行することを繰り返していると「身体の声」を聞いて望ましい状態をとることよりも「頭でイメージしたもの」を再現することが優先されるようになったいたのです。
もう少し、幅を広げて例えば「男らしくある」というイメージが先行して本当はすごく欲しいはずの「かわいいもの」を買うことを止めるようなものです。
「リラックスするとはこういうものだ」というイメージに、「リラックス」が合わせられてしまっている。
冒頭の問いに戻ります。皆さんは「リラックスとはどんな状態だと思いますか?」。
私たちの疲れが「とれない」のは、「疲れ」にたいしての「リラックス」が、ただのイメージであり、「身体が求めていること」ではないのも、一因かもしれません。
忙しいときほど、「イメージ」を一度空にして、身体の状態と相談しながら、望ましい状態を探っていく時間が必要です。たぶん、「探っていく」という感覚が、非常に重要なんだと思っています。
あなたが思う「リラックス」は、作られたイメージにすぎない、のではないでしょうか?
以下オマケ
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