見出し画像

できない世界に触れ続けること

できないことってたくさんある

  • 雲にさわりたくても触れない

  • 好きな人に触れたくても触れられない

  • 100kgのバーベルを持ち上げたいけど

  • きれいな顔になりたいけどなれない

できないことってたくさんある

科学や技術を使ってできるようになる

いや、そんなことはないよ、という人もいる

  • 気球に乗れば空気に触れるとか、水蒸気が集まってるだけだから、切りと同じだから霧に触れたのと同じとか

  • 勇気をもって告白して、触れられるようになるとか

  • 毎日筋トレすればできるとか

  • 整形すればできるとか

確かにできる。
そして、世の中はできなかったことができるようになったときにすごいなど評価をしてくれる。

でも、それは駅のホームで遠くの雲を眺めて触れたいと思った雲と同じ雲なのか
好きな人に触れたいと思ったときに感じたものと実際触れたときは同じ感覚だったのか
持ち上げられたときに実際持ち上がったときは持ち上げたいと思った時の感覚と同じだったのか
整形したあとに見た顔はきれいになりたいと思った顔と同じなのか

違うと感じることの方が多いだろう。できたことでさらにできないことを実感するかもしれない

芸術としてできるようになる

では芸術としてできるようになるのか

  • 絵を描いて、あの雲にさわりたいという雲をキャンパスに描く

  • 好きな人に触れたいという感覚で陶器を作る

  • 100kgを持ち上げられるパワフルさを持った格闘家として戦う

  • きれいな人になったような化粧やコスプレをする

きっと人によってはそれはできたつもりになってるだけ、と思うかもしれない
でも、科学技術でできるようにしてもらったことでするよりは最初に魅了された感覚に近いのではないだろうか

まとめ

初心忘るべからず

かなと思う。
科学技術でも芸術でもできるようになることは本人にとって大きな感動的なできごとだったり、むしろ反対に周りはできていると思っても、本人はどこまでも残念な結果だったりする。

ここにできない世界に触れ続けることの難しさと喜びがある。

できた!としたかったり、自分としては不満足だけど、周りが評価してくれたり金銭的授受があったりと、自分と周りがずれていくことや、周りが評価してくれることに流れてしまうことがある。

決して周りの期待に応えることは悪いわけではないし、生きていく上では必要なことだと思う。
一方で、初心に感じた、感覚を否定することは、自身の存在価値や喜びを否定することにもなると思う。

初心の気持ちで何かに取り組み続けることはきっと『できない』世界に触れ続けることになるし、それもきっとしんどい。
でも、『できない』世界と『できる』世界をバランスよく渡っていくことだと思う。

それもきっとできない世界の一つでもあるだろうけれども。

次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。