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道志村キャンプ”Natural High”森と川と村のまつり

2泊3日でNatural Highに行ってきた。

Natural Highは
5/21~22、山梨県道志村にて開催された今年で11年目を迎える野外フェス。

オーガナイザーは代々木公園で開催されるフリーフェス”earth garden”や”豊洲野音”などの企画制作をするearth garden。

10年という節目を迎え、新たな一歩ということで今回は規模を縮小し

新たなフェスのカタチを試みた模様。その様子をレポ!


どんな空間なの?

ブースの中央に位置する湖

木々に囲まれたステージ

焚き火を囲むステージ

杉の森の朝ヨガ

横浜市の水源ともなる川

など完璧にナチュラルフルな環境。

5月の太陽は新緑を通過しちょうどいい温度と光を地表に送り

そうそうと流れる川の音は意識をこの場所と混ぜてくれる。

音楽は多国籍でオーガニックな音が多く
自然との調和がなされていたように思う。

出店はフード、衣服、リラクゼーション、アトラクション、キッズブース、などなど全体を通してオーガニック色のある店舗が多く、この環境との相性は間違いなかった。

竹でつくったブランコや

馬にも乗れちゃいます。

お客さんは家族連れが多く
来場者数を制限したことでよりコアな層が集まっていたように思う。

そして何より特徴的なのはアクティブなトークセッション。

今回は「キャラバンステージ」という名前で専用のステージが設けられたが
自然に特化したフェスだからこそ、環境や文化に振り切ったような�話し手でも受け入れられる土壌があり、多様なトークステージが展開できるように思う。

雨宮は主にここにいました。

キャラバンステージで起きていたこと

こんな感じで焚き火を囲い、フラットな目線で対談が行われた。

話し手は、グローバル資本主義経済の最前線で活躍する某大手企業のプロデューサーから、ワクワクにしたがって生きることを世界に伝える旅人、日本最大級のキュレーションメディアの代表、”かくめい”の名の下に優しく世界を変革する居場所をつくる革命家、ITメディア界の重鎮、電気ガス水道を契約せず年間家賃1万円の家で暮らすヒッピー、日本を代表するソーシャルプランナー、犬、オウム(名前はキジ)、猿を引き連れ自作のイカダでアマゾン川の横断に挑戦した映画監督などなど、、

この羅列を見るだけで、とんでもないことが起きていたことは想像がつくはず。。

このステージのテントや、ステージ、各ブースはすべてDIY。

自分も前日入りして美術設営等々いっしょに色々やってました。

あとサイレントフェスも勝手にやらせてもらいました。

ここでの話を総括することはとても難しいけど

広く深く言うと、命のことを話していた。

生活、環境、文化、教育、経済、意識

領域としては分かれるけど繋がっている各レイヤーを行き来し

我々の命のデザインが、既に色や形を変え始めていることを再確認した。

なんせこのステージをプロデュースするプロジェクトの名は”かくめい”

命を革めると書いて革命だ。

10年後には今ある職業のほとんどがなくなるだとか

田舎にサテライトオフィスを置くとか、移動する働き方とか、複数の職を持つとか、”働き方”の変化は分かりやすく、一般的に広く認知されている感じがするが、その背景には生活や、文化、環境といった地盤、軸となる文脈がそもそも変化してきている。

そしてオルタナティブな文化、生活圏で生きる人たちはもう止められないほど増えてきている。むしろあの場では前後左右見渡す限り全て”そういう人”だったので、もう変える変えないじゃなくて、すでにそういう世界なんじゃないかと錯覚するほどだった。

持続可能で自由で、ワクワクに従って生きることができて、あらゆるシステムが現代的な価値観に沿ってアップデートされた世界がそういう世界なんだとして、きっとそれは幸せで悔いの少ない形なのだろうけど、それに変えること自体が目的ではないように思える。

というのも如何に整合性の取れた答えであっても、同意に至るには私たちの個体差は多様すぎる。どれだけ美しい理想であっても、必ず誰かが痛みを伴う。

今回の話しでもそういうテーマがでてきていて、結局ついていけるのはセンスエリートだけだよねみたいな質問への答えとして、「四捨五入して善ならやったほうがいい」と言っていた。

それはその通りで、行動することには絶対的に価値がある。何故ならそれは変化を生むことだから。変化は多様性を生み、多様性は関係性の選択肢を増やし、最適化され、やがて持続可能性となる。

だから目的はたぶん、選択肢を増やすこと。
そこから先はみなさんお好きにどうぞなんだと思う。

それがひらがなで書く優しいかくめい。

自分たちの生活は、森羅万象、多様な存在との関係性を選びながら生きていて


そして選択ということ自体にもまた関係性が関与し、その尺度もまた関係性で移り変わりといった、不確実で流動的で気まぐれな感度だからこそ

ただ質量に満ちているだけの空間の連続を、時間と言い、ロマンチックな物語にしていける能力がついた。

今回のトークで一番印象に残ったのは、所詮人間は人間なんだからその中で死ぬときに後悔しないようにイマココを生きるしかないっていうことで、そんなこと生まれた瞬間から知っていた気もするけど、まぁやっぱりそうなんだと思う。

後悔しないために、少しでも納得感のあることを選んでいきたいし
、その納得感を考えたときに、自分だけ幸せであれば幸せって、どうしても思えないDNAが組み込まれているから、純粋な感度に従って勇気を持って動くことが必要なんだと思う。

Natural Highについて

焚き火が印象的なフェスだった。

オーガナイザーの南兵衛さんも夜にふらっとキャラバンステージに来て
フェスと焚き火は似ていると言っていた。

生木から焚き火をしようとすると根気がいる。
大きな丸太や木を燃やすには、燃えやすい枝で空間を囲って
温めながら乾燥させないと燃えない。

それを火を絶やさないよう定期的に枝や葉をいれていく。
一時的に大きな火をつくることはできるけど
持続的な焚き火をつくることは難しい。

ただ大きな焚き火の周りには人が集まる。
火を見て、肌で温度を感じると、普段話さないような話ができたり
普段向き合わない何かと向き合うことになったりする。

火は、食文化を豊かにし、動物から見を守り、文明を発展させてきた。
焚き火は多分、生活の一部だった。

確かにフェスと焚き火は似ていると思った。
















「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。