しぐれ

病みは何度でも。そんな自堕落な日々の分析。

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病みは何度でも。そんな自堕落な日々の分析。

最近の記事

他人は自分を映す鏡

人の嫌の所って必ずある。どうしても自分には理解できない考え。本能的に合わない性格。 好き嫌いは良くないとは言うが、仕方が無い。苦手なものは苦手なのだ。悪口を言ってしまうこともあるだろう。 苦手なものが見つかると、そのうちその中に共通性が見えてくる。そして、『自分はこういうものが苦手なのだ』とはっきりした苦手範囲が出来上がる。 しかし、たわいもない会話の中で『私ってこういうの苦手で、例えば───』と思うままに口にしていると、『あれ、自分もこういうことしてる

    • 言ってる事とやってる事が違う

      ある日、祖母が「最近、夜眠れないのよね」と言った。ベッドに入ってから一時間以上眠れないことがざらにあるらしい。この前なんて眠ったのは朝の4時くらいだった、とのこと。そんな日はラジオをかけ、自然に眠くなるのを待つそう。たしかに夏の夜は寝付きにくい。クーラーをつけて、部屋が涼しくてもなんとなく眠れない。 しかし、私は幼い頃より、ベッドに入って10秒で眠れるほどが眠るのが得意だったため、一時間以上も眠れないというのはあまり理解できなかった。そこで、私は得意気に祖母にアドバ

      • 学が足りない

        何かを考える時、無駄なことまで考えてしまう。非常に悪い癖だ。例えば、調べようと思ったものは大抵、派生しまくって結局もう分かんない状態になる。慣れがあまり無いのも原因なのだが。 そもそも調べるって何なのだろう。本を読むこと?インターネットで検索すること?詳しい人の話を聞くこと? 今や当時教科書に載っていたものは現在のものとは違うこともある。専門の研究者達が長きに渡って調べてきた結果であろう。研究者たちは、自身の専門分野について深い知識を持っているはず。今見つかっ

        • 生来の夢

          私には夢が無い。 しかし、ふとした時から、いつかこうしたいなという将来の願望を持つようになっていた。ただ、願望というだけあって、本当にそれを実現し得る力を持つ予定があるのか、そもそも現実的に可能なことなのかなどは関係無い。ただの理想論だ。言うなれば、まだまだ先の老後の生活計画を考えているような感じだ。 その私の願望というのは、" 黒、茶、白色の3匹の柴犬と共に、どこかの田舎にポツンとある家に住み、世間とある程度距離を保ってゆったりと暮らしたい "というものだ。

        他人は自分を映す鏡

          晴れは外にしか無い

          例えば、家を出たくないなって時は、家にひたすら引き篭もる。好きなことを好きなだけするのは大変楽しい。 しかし一方で、なんだか自分の世界だけ土砂降りしているような感覚に陥る。楽しいはずなのに、好きなことなはずなのに、心はすっかり真っ暗な水の底のような。 毎日家に篭りっきりなのも何なので、どうにかして何かしら理由を付け、出かける。買い出しやら散歩やら。 すると、 雨が少しずつ引いていく。 快晴とまではいかないものの、ある程度晴れ状態になるのだ。

          晴れは外にしか無い

          都合の良い 正のエネルギー

          最近引きこもりがすごい。 電車とかここんとこ全然乗ってない。 朝夜逆転も甚だしい。 相も変わらずネットサーフィンをしていると、ある方が東京で展示会を開くらしい。行きたい。 以前から迷ってはいたのだが決定力に欠けており、行けたらいいなぐらいにしか思っていなかった。 が、つい先日、精神的なだるさに開き直り、ただここに留まるだけの理由が無くなったため、行くなら今しか無いと思い立った。そういう時の行動力は、負のエネルギーならぬ正のエネルギーが

          都合の良い 正のエネルギー

          妹は姉のレールを行く

          昔から、妹は姉に付いて回っていた。 歳が特別離れているわけではなかったので、親も小さい妹を姉と一緒に遊ばせていると安心できたのだろう。実際、姉は妹の面倒をよく見ていたと思うし、妹は姉や姉の友人達に遊んでもらうのは楽しかった。 子というのは、父親か母親、はたまた祖父母の誰に似たのかという話題のテーマになることが多々あるが、個人的にそれには兄と姉というのも付け加えてもらいたい。 ふと妹が今ハマっているものを見てみると、それらは姉が今の妹の年齢の頃にハマってい

          妹は姉のレールを行く

          悪の自由

          いつどこでだったか、 "物語の中では何を書いても許される。たとえ人や動物が死んだり、どんな犯罪を犯したとしても。" というような言葉に会った。 人は悪に魅了されやすい。 以前人の本質は善か悪かという議論をしたことがあったが、私はその時は善だと言い切った。 しかし、仮に「何をしてもいいよ」と言われたら、良いことをする人はほとんどいないのではないだろうか。 大多数が、現実的に有り得ないような自己の願いを満たすことをするのではないか。その場合、普通なら有り得ないことなの

          悪の自由

          知識の価値

          価値という言葉が嫌いだ。 正確には「価値がある」という事が、だ。 " 物事の役に立つ性質・程度。…ねうち。効用。" 広辞苑より 何かしらの物事に役に立つ性質・程度を持たないと、基本的に価値が無いらしい。 では、知識の場合は? 誰もが持つ脳内の知識は、アウトプットして何かに使うことで初めて価値を持つということか。 今私が持つ知識は、どこの誰にどう裏付けられているものなのだろうか。アウトプットして使えるものなのか。アウトプットしていいものなのか。 最近、知識という

          知識の価値

          病は自身に深く根を張る

          おかしい。こんなはずじゃなかった。 回復に向かっていたはずの病が、気付けば最初の頃より悪くなっているではないか。一体全体どういうことなんだ。 病にかかっている時は常に何かしらの思考の渦に溺れており、負の連鎖はなかなか断ち切れるものではない。 この時私が大事にしているのは、自分の負の連鎖についての事柄を一切合切忘れてしまうことだ。 つまり、開き直るということだ。 そしてそれは、目をそらすことでもある。 自分の落ち度や欠落した部分を自覚し、いっそのことと目をそらし、

          病は自身に深く根を張る

          生きがい

          あなたには"生きがい"がありますか? 私は感じたことがただの一度も無かった。(※まぁまだ人生そんな長くないんですが。) そもそも普段生活してて"生きがい"という言葉自体に出会ったことが無い。 なので、最近たまたまこの言葉を見かけて、グッサリと胸に突き刺さる感覚を覚えた。 「あれ、生きがいって何だ⁉︎ "生きている甲斐"?そんなこと思った事ない‼︎というか、甲斐なんてあるのか⁉︎」 衝撃だった。図星を突かれたような。 では何故、何に突き刺さったのか考えてみると、

          生きがい

          理想の矛盾

          いくら頭では理解していても、 それを行動に移すのは難しい。 "理解した"というのは一方的で、一面的であり、不安で仕方ないからだ。 人に教えてあげることは簡単で、 実際にそれを自分がするのは難しい。 "教える"というのは無責任で、間違っていてもいいからだ。 自分が求めるものを提供してくれる者に、 その者が求めるものを返すのは難しい。 向こうからは分かることも、こちらから分かるとは限らないからだ。 人として当たり前のこと。 もしくは、するべきと思われていること

          理想の矛盾

          心のエネルギーは赤く

          心は鉄。これまでの人生を形作る鉄である。 心にかかるストレスは鉄。鉄を打ちつける重い鉄である。 心は燃えている。あらゆる炎で燃えている。 ストレスは燃えている。あらゆる力で燃えている。 燃えるほど、鉄は赤く輝く。 熱するほど、打ちつけられる鉄の火花は激しく散る。 鉄と鉄が葛藤するほど、火花は激しく散る。 火花は地面に落ちるとたちまち輝きを失う。 あれほど輝いていた鉄でさえ、 今やただの鉄屑同然である。 もう火花は上がらない。

          心のエネルギーは赤く

          自堕落ってつまりこういうこと

          毎日、 学校へ行きたない、くだらない言い訳を並べる。 天気が悪いから。服が決まらないから。 面倒くさいから。気分じゃないから。 そんなことも自分の中では立派な理由になり得る。なり得てしまうほど、私は自分に甘い。 その上、私は典型的な完璧主義者だ。 自分に出来ることならなんでもしたい。するならとことんしたい。逆に出来ないことなら全く何もしたくない。 したくないと切り替えた途端、 なぜ努力をしようともしないのかと自責の念に駆られる。 病んでいるのはこれが一因であ

          自堕落ってつまりこういうこと