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【池上彰の宗教がわかれば世界が見える】 書評#98

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、宗教です!
世界の様々な宗教に触れることができる一冊です!

ヘッダーは、HAPPY LIFEさんの作品を使わせていただきました!

本書にぴったりの、様々な宗教を思わせるスタイル!
とても素敵な作品なので、使わせていただきました。
ありがとうございます!!


目次


基本情報

池上彰(著)
文藝春秋 出版
2011年7月20日 第1刷発行

全269ページ
読書所要期間5日

購入先

本書ももちろんバリューブックスさんです!!
社会への貢献具合が半端ない!!
いつもありがとうございます!!

私が本書に出会うきっかけ

私は最近、宗教に興味がある。
これはしかし、何か特定のものということではなく、
「人はなぜ、それほどまで絶対的に信ずることができるのか?」
「いったいその宗教の何(どこ)をよりどころとして信じているのか?」
「その方が、生きるのに楽なのか?」
そんな問いがあり、あらゆる宗教を幅広く(と言ったら信者の方々に怒られるかもしれないが)、まずは全体像(種類や分布、特徴など)を把握したいと思いチョイスした一冊。

この本の本質

が近くなってくると、宗教への意識が芽生え始めると指摘する著者。
確かに、心と魂の安寧を考えると、求めたくなるのかもしれない。
人生において立ちはだかる、そして戦争・災害などあらゆるピンチの時にも、心の拠り所を求めるのかもしれない。
今、日本はまさに災害によるピンチの状況下にある。

世の中には、様々な考え方があり、そのバックボーンとして宗教があると言えるとしたとき、宗教を理解すれば、我々日本人が理解しにくいことも、日本人同士ですら理解できないことも見えてくるのかもしれない。
特に世界で様々に起こる出来事に対する解像度が、大きく跳ねがることもあるだろう。

つまり本書は、世の中を理解する一助とするために、宗教を理解しておくことの重要性を指摘するものであり、各分野(宗教など)のエキスパートとの対談から、これらをよりわかりやすく伝えようとするものであると捉えている。
これはまさに、タイトルが本質そのものを突いていると言えるだろう。

私が感じたこと

1点目 〜思いを整える。

本書第3章は、浄土真宗の住職であり研究者の方と著者との対談パートである。
浄土真宗の住職でありながらも、仏教について広く説明してくれた「釈 徹宗氏」。
この方から出た考え方の一つに、「思いを整える」というものがあった。

私は思った。
なんと素晴らしい響き!
そして、これまであるようでなかった素敵な考え方!

人は往々にして、というかむしろ常にと言っても良いかもしれないが、自分の欲する方向へ全てを向かわせようとする。
つまり、周囲をコントロールしようとする欲があるのではないかと考えている。
ここに着目しているのが仏教だということなのだろう。

仏教の出発点は、「生きるとは苦である」という自覚からであるという。
つまり、この苦が「思い通りにならない」という状態ということだ。

ともすれば、自分自身を変えようとせず、周囲を変えようとする。
これは紛れもなく欲である。
叶えられない欲である。

だからこそ、自分自身、つまり自分自身の「思い」を調整することで、現実と自分の認識とのギャップを埋めようとすることを表した言葉、考え方だと理解したとき、この言葉の重み、深みを思い知らされた。

2点目 〜葬儀に思うこと。

この記事を書いている前日、同僚の葬儀に参加した。
私より一回り以上も年下の仲間だ。

交通事故だった。

志を同じくし、共に働くようになってから、わずか9ヶ月弱。
青天の霹靂だった。
文字通り、その日は晴れ渡っていた。

車で片道3時間弱。
葬儀に参加した帰り道、私は考えた。

「なぜ葬儀があるのか?」
「葬儀の意味は何か?」

従前から私は、
現世に残る人々に、死を通して、生きることの大切さを伝えようとするもの
だと考えていた。

この考え方は変わらない。
それと同時に、
生き残された人々の心の中を決着させるもの、整えるもの
なのだということを理解した。
つまり、1点目に記載した「思いを整える」ことのワンシーンだと思ったのだ。

加えて、同じ葬儀に参加した仲間と話をしていて思ったことがもう一つある。
それは、
故人が最期にくれる贈りもの
であるということ。

ここでは、私が把握するだけでも、様々な予期せぬ出会い(再会)があった。
・昔お世話になっていた、最も尊敬する上司との再会
・苦楽を共にした旧友との再会

故人を介して、思わぬつながり修復・発展が施される。
これは確実に、故人のおかげである。

その葬儀は、仏教式で行われた。
いわゆるお説教の中で、ご住職が仰った。
「命」「寿」の違いについて。
これはいずれも、「いのち」を意味するのだが、その性質が異なるという。
「命」とは、煩悩に満ちた、煩悩に従ったいのち。
一方で「寿」とは、仏様が私たちを守り支えてくださる、「命」をあたたかくつつみこむいのちと私は理解した。

とすれば、その故人はまさに仏となり、私たち生きる者を大きく包み込んでくれたからこそ、私たちはその出会いを贈りものとして受け取ることができたのではないだろうかと感じたのだ。

仏の道を極めた方から見れば、この考え方も煩悩かもしれない。
しかし、私は今回の出来事で、少し仏教というものを感じることができた気がしている。
「苦」と「寿」への理解。
これは、「無」や「空」への理解へとつながるのだろうか?

故人の在りし日の姿を胸に、これからも精一杯生きていきたい。

むすびに

第8章では、養老孟司氏と著者の対談パート。
そして「おわりに」における著者のまとめパート
ここでは、つまるところ「よく生き、よく死ぬ」ための考察がなされていた。

偶然にも、読み終わってこの感想文を書く直前に、同僚の死を経験した。
本書を読んだタイミングに、とてつもなく運命的なものを感じる。

私に対し、そうした学び故人が贈ってくれたのだろう。

心から感謝したい。


以上です。

仏教のみならず、神道やキリスト、イスラムなど、とてもわかりやすく説明されています。
今回は、予期せぬ出来事があったため、しかも葬儀が仏教式であったため、「感じたこと」の2点とも仏教の話になってしまいました。

次回パートⅡ的に、もう少し考えたことを書こうと思っています。
その際は、またお付き合いください。

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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