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46年前の「在宅勤務」をしらべてみた。

こんにちは。在宅勤務中の いなつち☆稲田智 です。

ずっと家にいるといろんなことが気になります。

いま、在宅勤務をあたりまえにしてますが、昔の人は「在宅勤務」の未来をどうとらえていたのか?

気になったのでしらべてみましたよ。


1. 在宅勤務をしらべてみた。

しらべたのはココ↓

ない本はないといわれる国立国会図書館!

デジタルコレクションなら、おうちにいながら楽しめます。


在宅勤務」のキーワードでしらべると、1980年代ぐらいから在宅勤務について書かれた本が出はじめています。

・1981年「運輸と経済」
  「在宅勤務」は可能か

・1982年「事務と経営」
    思考実験「在宅勤務」

在宅勤務」がそもそも可能なのか?と思考実験をしている段階のようです。


さらにみていくと

・1983年「月刊経済」
   ワープロで婦人の在宅勤務

・1983年「コンピュートピア」
   ワープロで主婦たちの在宅勤務

1983年になると、ワープロをつかって婦人に在宅で働いてもらおうという意見がみられるようになります。

婦人て!(笑)

そして「ワープロ」の郷愁とあいまって
ワープロで婦人」が無敵すぎて中身が入ってきません。


2. 最も古い在宅勤務をしらべてみた。

せっかくなので、「在宅勤務」でもっとも古い本をしらべたくなりました。

公開されてる中で、もっとも古い「在宅勤務」は何年に登場するのか?

これでした↓

・1974年「通信白書(総務省)」

1974年て言ったら、ハリウッドザコシショウの生まれた年。そんなまえから在宅勤務を考えていたとは!さすがは日本、ハリウッドも驚きです。


この中の
第3章 資源・エネルギー問題と通信

という草加せんべいぐらい堅いお題目の中で在宅勤務について語られておりました↓

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※国立国会図書館デジタルコレクション
・1974年「通信白書(総務省)」より転載

"電電公社資料により作成。"
とあります。電電公社!なつかしい。


ここでは「外出」を極力なくし「通信」におきかえられないか?を論じています。

なお当時の業務で「外出」(つまり人と直接会う)を選んだ理由ランキングです↓

[第1位]
いろいろなやりとり, 複雑な内容, 相手の反応をみる:44%

[第2位]
現物を届けることに意味がある:31%

[第3位]
内容の説明は不要だが, 電話では困難(ボリューム大、図、絵):15%

[第4位]
儀礼上行くことが必要:10%

※国立国会図書館デジタルコレクション
・1974年「通信白書(総務省)」より引用。ランキング形式に編集。

人と直接会う理由というのはいまも昔も変わらない印象です。相手の反応とか気になるんですね。


3. 在宅勤務、当時の最新動向。

さらに当時の最新動向です↓

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※国立国会図書館デジタルコレクション
・1974年「通信白書(総務省)」より転載


遠方からの乗用車通勤が多いアメリカでは「リモート・ワーク・センター」構想の実験をはじめています。

"勤務者はわざわざ遠くの会社まで出かけなくても、最寄りのリモート・ワーク・センターに行き、そこで遠隔勤務用に設備されている電気通信システムを使用しながら業務を行うことができることになる"

これはまさに今でいうWeWorkですね。実現してますが、つぶれそうです。


さらに、カナダにおいても

"最近は交通に代替させるためのテレビ会議システムを実験中である"

これもSkypeやらZoomで実現してますね。テレビ会議でリモート飲み会やるまでは予測できなかったと思われます。


日本でも

"データ通信、テレビ電話、ファクシミリ通信などが利用分野を広げつつある"

FAXが将来なくなっていくとも知らずに、ファクシミリ通信とかいってイキがってる!ぷぷぅ〜(笑)


そして、最後の文言...

"また、電話では失礼だという意識も次第に薄れてきつつあるように思われる"

え?電話が失礼?

直接会わずに電話で済ますのは失礼って意識が昔はあったってことですよね。でもそれはむしろ電電公社様に失礼だよ(笑)


いまで言う「お電話つながらなかったので、メールで失礼いたします。」の文脈が、電話でもあったとは。震えます。

いまや、電話は人の時間をうばうとして、一周まわって失礼みたいになってますけど(笑)


4. 46年後のせかい。

46年前に考えていた在宅勤務をしらべて思ったことが2点あります。

①各個人がPCやスマホでどこでも仕事できるってとこまでは予測できなかった

→人間の想像力には限界がある。


②直接会う→電話失礼→メール失礼→LINE失礼?

→失礼は時代とともにシフトしているだけ。だけど「直接会う」だけはいつまでも失礼にはあたらないのかもしれない。


46年後、われわれはいまでは想像もしていないような連絡手段をとっているかもしれません。PCはもうなくて、ほとんどの人は脳波で意思疎通しているかもしれない。

そして、
LINE既読にならなかったので、脳波で失礼いたします

みたいな儀礼バトルが毎度くり広げられてるんだろうなぁと想いを馳せるわけであります。


世の中には変わることと変わらないことがあると思います。そして、どんなに技術が進んだとしても、人と会う価値というものはずっと変わらない。そんな人間の根源的な喜びみたいなものに気づかされた調査だったのでした。



以上、だれとも会わなくてすむ、わたしの書斎からお送りしましたー(笑)

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おわり。

※本記事で転載した「通信白書(総務省)」は、国立国会図書館デジタルコレクションにて「インターネット公開」となっており、転載可と判断した上で転載しております。


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