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noteの効用

1月にnoteでの発信を始めてみましたが、早いものでもう3月ですね。

今回は初めて発信する側になってみて、感じたことを書いてみたいと思います。


反応はモチベーションになる

最初はSNS的なものに疎いので、「スキのおしらせ」メールが来てもピンと来ていませんでした。
2~3本目の記事をアップしたあたりで、徐々に「スキ」の数が増えるのを見て、「なるほど、うれしいものだな」と思いました。
研究者以外に伝わるのかわかりませんが、学会発表の時に聴衆がたくさん来てくれたのに近い嬉しさがありますね。
たぶん「スキ」の数としては少ない方なのだと思いますが、多少でも読んでくれている人がいる、というのは最後まで記事を書くモチベーションになったと思います。
「スキ」の数にこだわるべきか、否か。そこは問題ではないと言いきれればかっこいいのでしょうが、私は多少のリアクションが欲しい人だというのが分かりました。こちらの記事に共感しました。


客観視できる

これが個人的には最大の効用だったと思います。
自分がやっている研究マネジメントのフローを人に伝わるように書き出すという作業は、論文作成の作業に近いものがあります。
論文作成も、自分しか把握できないデータのつながりや研究の意義を人に伝わるように書き出す作業です。これは、自分の研究を客観視でき、自分の研究の立ち位置を再確認する機会になり、新しい研究を考えるきっかけになります。

今回、研究マネジメントのフローを客観視する機会を得たことで、いろいろと試したいことが出てきました(実は書いている最中から若干の変化も生じていました)。
今後も定期的に見直す機会になれば、とも思います。

皆すごいよね

これが最大の感想かもしれません。
読む専門だった時は、正直、早く新しい記事来ないかな、ぐらいに思っていたんですよ。
でも、実際に書いてみると、結構大変じゃないですか?私だけですかね?
なんで皆そんな頻度で書けるのだろうと思いました。

実は書き始めた1月頭の時点では、一連の記事を1月中に全て書き終えてやろう、ぐらいの軽い気持ちだったんですが、実際は3月までかかりました。だって、そんなに書けないし。

毎日更新している方とか、確かに神を名乗るだけあるなと、(割と本心で)思いました。


テキストベースSNSの引用の応酬(研究のネタになるかも?)

先に述べた神(江草 令さん)いわく、これは一連の流れでできた記事のようです。

発端はこの記事で、他薦する発信者という概念を神が提示されたことだそうです。

それを受け、実践として、他薦する発信をしたのが以下の記事。
発信者はPouhonさんです。

これを受けて、私は神である、と自ら宣言したのが先の記事、ということらしいです。

つまりは「提案➡アンサー➡アンサーへのアンサー」という繋がり方で一連のネタということのようです。
(※私は適当に引用していますので、正確なことは各記事をご参照ください。また、こういう引用が失礼に当たったら申し訳ないです。文化や礼儀作法が理解できていないもので…。ご指摘いただければ削除します。)

十分に把握できていませんが、Youtubeとか、TikTokとか、インスタグラムとかの動画系、画像系のSNSでも似たような応酬があるみたいですよね。

研究者の世界にも似たような応酬があるんですよね。
論文を互いに引用しあい、応酬を繰り返す。時には学会の場で直接、対面で応酬し合う。
科学の発展は、その応酬の産物と言っても過言ではないと思います。

目的は違うと思いますが、先に上げたSNSの応酬も本質的には似たところがあるのかなと思います。
こういうのって、文学とか映画とかの世界でもありますよね。ブログや論文の引用みたいに直接的ではないかもですが、Inspired by とかオマージュとか言われるようなものです。

つまり、(意図的かどうかは別として)人が何かを作り上げる上で、引用の応酬が大事なんだろうなと改めて思ったんですよね。
文化でも、科学でも、Obsidianの使い方みたいなライフハックでも。

そして、その引用の応酬の仕方が、SNSの種類とかで違うのではないかな〜という気がしています。
テキストベースSNSは論文の引用に、映像・画像ベースSNSは映画のオマージュに、似たものがありそうな気がしています。
こういう違いは、目的によって生じるのか、媒体によって生じるのか、その両方なのか、それとも別の要因なのか。
誰か調べている気もしますが、研究テーマになるんじゃないでしょうか。
誰か、調べてみませんか?(自分でやれよと言われそうですが…)


終わりに

特にまとめはありませんが、何事もやってみると新しい発見があるな、という話でした。


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