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人間の器

人間の器とは、自分という人間を
どれだけ許せるか。

これによって決まるわけである。

いけてる自分を認めることは、
容易である。

しかし、いけてない自分。
これを認め、許すことは、
とても難しいことなのである。

なぜならば、他人に迷惑をかけ、
厚顔無恥、有限不実行な自分を
見たくないのが、人情だからで
ある。

だからまずそのような自分を、
無き者とするゆえに、
愚かな自分には気づかないわけで
ある。

いけている自分だけを
自分と信じ生きてしまうのである。

このような人は、己を知らない
ゆえに、人間の器が小さいので
ある。

では、見たくもない愚劣な自分を
いったいどのようにして、
見ることができるのか。

これが大事となる。

自分で自分が見えないから、
仕方がない。鏡が必要なのである。

家族という鏡を使い、
軽薄で卑怯でどうしようもなく
小さな人間である、ありのままの
自分を見つめるのである。

そうやって最低最悪の自分を
家族の誰かに映し、最低最悪の
自分をとことん味わえば良いので
ある。

そして愚かな自分を味わい尽くし、
最後に許せば良いのである。

気づけば、人間の器が、
大きくなっているのである。

家族間の深い葛藤は、
どうしようもないダメな自分が、
自分では、見えていないことから
生じているのである。

「相手は自分の鏡」だって、
気づいた瞬間、真の家族調和が、
はじまるのである。

このようにして、家族間の葛藤を調和に変えてゆけば、これまで人生で出会ってきた人の多くを許すことができるようになる。

家族を鏡として、己を知り、
少しだけ人間の器が、大きくなった
からである。

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