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認知的不協和もへっちゃらです

読書が嫌いで、知識を得ることにそれほど貪欲でもないのに、そこそこ物知りであるという自負がある。みんなが知っていることを知らない代わりに、みんなが知らないことを知っている。おそらく知識との向き合い方が人と違うのだと思う。

多くの人は情報にフィルターをかけているように見える。信じるに足る情報かどうかを判断し、それに値しないとみれば早々に打ち捨てている。そういう取捨選択を僕はしない。

完全に信じられるものがないからだ。鵜呑みにできる情報など存在しないし、逆に役に立たないと断じられる情報もない。偉い学者さんの言うことトイレの落書きも同様に扱う。捨てずに知識として取り込んでおく。

当然の結果として、頭の中は矛盾だらけになる。水際で阻止しないから嘘や偽情報の上陸を許してしまう。いわば真実が描かれたジグソーパズルと、それ以外のジグソーパズルがごちゃまぜになった状態である。

僕の思考はこれを困った状況だと感じていない。むしろ腕まくりをして意気込んでいる。誰かが正しいと認めたピースではなく、正しいかどうかを自分で判断したピースでパズルに挑戦できる。失敗を他人のせいにしたくない。

僕にとって知識は役に立てるものではなく、思考の遊び道具なのだ。