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祖父の代からの家業を引き継いだ私がやったこと、やめたこと 06

急転直下

でも55歳まではまだ時間がある。日常業務に忙殺されながら、後継者問題に関してはつらつらと考えていければいと思っていました。

幸い会社の売り上げは順調でコロナ禍の影響もあまりないように感じていました。

工場を買うということは引き続き検討していましたがなかなか見つかりませんでした。その一方でさまざまなM&A仲介会社からは逆にうちの本社と工場を買いたいという申し出も来ていました。仲介会社としてはその方が取引金額も膨らみます。仲介手数料もその分上がることになるわけです。

経営者の方はご存知かと思いますが、手書きのレターなどで”会社を買いたいと言っている人がいます!”などの連絡が時々あると思います。私もセールストークとしてそうしたアプローチがあることはもちろん承知していました。そうした事情は理解しながらも冷やかし半分、本気半分で全て会って話だけは聞くようにしていました。実際、ほとんどの会社がそんなオファーはなく、きっかけとして手紙や連絡をしてきていました。中にはこちらの会社のことなど何も調べずに、何の準備もせずに会いに来るようなひどい仲介会社もありました。

私の頭の中では規模拡大と事業承継の二つの事象が頭の中をぐるぐると回り続けていました。何か打開策になるものを無意識に探していたのかもしれません。

ある日のことでした。そのうちの一社が具体的に相手先の会社名を挙げてM&Aの面談を求めてきました。社名を知るには、守秘義務契約書が必要ですとのことでした。本当のオファーだなと感じた私は契約書に署名し、話を聞くことにしました。相手は知っている大手の同業他社でした。

自社より大きい同業者に買ってもらえるのであれば、規模拡大も可能になります。事業承継問題も解決する、個人保証も解除される。一気に視界が開けたように感じました。相手先の事情としては対応地域の拡大や、資本増強などの様々な理由があったようでした。

結果的には1社目は他社の買収を進めているとのことで話が流れました。すぐに2社目の名前が上がってきました。同業他社をグループに抱える会社からでした。話をもう少し進めることにしました。条件を確認し、相手の要望を確認し、こちらの希望も伝えました。 概ね目的は達せられると判断し決断することにしました。51歳の時でした。

練習のつもりで進めていたら、いつの間にか試合になってしまったような感覚でした。あまりに話が急展開に進んでしまい、自分でも少し驚いていました。
まず会社を残すことができる。もちろん従業員とその家族も守ることができます。
私が病気や怪我をすればたちまち回らなくなる属人性を排除することもできます。
資本の豊かな会社のグループに参入することで規模拡大は現実的なものとなるし、経営も今よりずっと安定するだろう。そして後継者不在の問題も解決できる。

金銭面も一つの理由となりました。 仮に70歳まで働き続けるとしても途中、病気になったり、経営が思わしくなくなれば想定していた収入は得られなくなります。私の場合は会社の売り上げを2倍にしても、自分の収入は2倍にはならないと思われました。提案された売却金額の手残りは十分なものに感じました。ここで一度リセットして新たな人生を歩んでもいいのかもしれない。

正直、フルタイムでプレイヤーとして働くことにも疲れを覚え始めてもいました。家業を継ぐことで経営の勉強はできましたが、もう少し異なる業種でやってみたい。もっと少人数で自分の理想となるような会社を自分で創業したい、そんな思いもありました。

反面、心配なこともありました。
中小企業では社長がマネージャーでもあると同時に自身がプレイヤーとしての役割も大きいというケースが多いと思います。例に漏れず私もその一人でした。

取引先の新人さんは上司から「こんな感じの制作品を依頼しておけ」などと指示されます。自分ではなかなか理解できない制作品についてを父や私にアドバイスを求めるような形で注文をしてきていました。そうした事情をわかっていた私達は取引先の希望を汲み取ってイメージにまとめ、「この内容で良いはずです。上司に確認をとってください」などのように対応していました。
こうすることで依頼した上司は後輩に対して細かいことを言わなくても「あの会社に言えばわかるから」の一言で話が済みます。後輩も短い時間で(自分のメンツを潰すことなく)先輩への対応ができます。
その後輩が歳を重ねて役職に就いたり、後輩社員がつくようになるとまた「あの会社に言えば全部わかるから」ということが繰り返されるわけです。

私の会社は技術的には枯れた技術の業界でした。価格競争だけでは限界があります。こうした対応で取引先の信頼を勝ち得ていたと言えます。中小企業はこうしたやり方のところも多いと思います。

このビジネススタイルで親子3台継続していました。社員にもそうしたビジネススタイルは伝え、実践してもらっていましたが1番の実践者である私がいなくなると大きな穴が空くことも事実でした。

こうしたビジネススタイルを今回のM&Aの相手が理解できるだろうか、一定期間の引き継ぎで継承することができるのだろうか。そうした疑念もまだ私の中には残っていました。

今から思えば、自分のやり方やビジネススタイルに固執していた面もあったと思います。結局いなくなったらなったで、次の経営者にそれなりにやってもらうしかないわけです。株式を手放し、経営者でなくなった時点で私の会社ではなくなるのです。引き継ぎは全力でやろう、私が良いと思っていることは最大限引き継ごう。そう思えるようになるまでかなりの時間を要しました。

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