見出し画像

シニアになって働く意味を考える㉗ ~「日の丸」大手企業4社勤務で得た労働観は?~

定年前後のシニアに「働くことの意味」についてインタビューした記事です。一人一人のインタビューを積み重ねて、「働くことの意味」のスペクトラムを描こうと思っています。目指すは100人インタビュー!今回は27人目です。


スペシャリストとして業界大手企業4社に約10年ずつ勤務

 Nさん(56歳2024年4月時点)は新卒から現在まで一貫して、ある技術のスペシャリストとして活躍している。彼の特異なところは、その技術を必要とする業界を代表する大手日本企業4社に約10年ずつ勤めていることです。(最後の4社目は定年までいたら)
 最初に人生満足度曲線を見て下さい。A、B、C社は分離・合併を繰り返した同じ会社です。そして、52歳で同じ業界大手のD社へ転職する。驚かされたのは、これら4社でずっと、その技術分野のスペシャリストとして先端を走っている。この辺りの経緯が気になりますね。

バブル崩壊による社内の人余り、「面倒くさいがいい職場」でキャリア成長に

 最初の会社A社入社後すぐ、バブル崩壊で社内の人手が余り、所属部門から研究機関へ長期出張となる(まだ日の丸企業にも余裕があった時代です)。そこでの学びが、その後のNさんのキャリアを決定づける。
 その職場では、問題が発生した時、各自が自分の考えを表出し、お互いが納得するまで話しあう。また、所属している自部門の都合のみを優先せず、関係部門の立場も尊重し解決を目指す。
 つまり、安易な対処療法的な解決法を取らず、面倒だけど正論から逃げないという厳しい仕事のスタイル。結果的に、仲間同士で助け合う、やりがいのある楽しい仕事になったそうだ。(昭和の時代の日本企業の良さの一つだったのかも)

所属部門に戻り上司が反面教師に

 景気回復にともない所属部門に復帰する。しかし、自分の都合を優先する上司の仕事のやり方に、不満を抱きながら仕事をすることになる。
 そんな状況で、Nさんのいた部門はA社本体から分離され、ライバル社の同業部門と合併しB社となり、Nさんも所属部門ごと転籍。この合併に伴う余分な業務に忙殺される。  
 まさに「泣きっ面にハチ」で仕事満足度が急降下。「でも、前の職場とは対極の上司が反面教師になった」と前向きさに感心しました。

離合集散する日系企業、早期退職勧告を受け、意外な助っ人が

 分離合併を繰り返しC社所属になっても、スペシャリスト(部長職)として一線で仕事を続けるも、競争力を失ったC社はリストラ(人員削減)を繰り返すようになる。ついに、Nさんは早期退職を勧告される。
 その苦境を救ったのが同僚だった。しかも、それ程親しくなかった同僚から、同業大手D社が人材募集していると紹介される。「苦境を見かねて紹介してくれたみたい」と言います。
 相手の立場を尊重し、トコトン話し合い、解決へ持っていく仕事のやり方で、仲間と楽しく働く職場を作るというブレない態度がみんなから尊敬され、この縁を作ったようですね。
 

Nさんの働く意味は?「仲間と楽しく仕事をする場をつくる」

 52歳でD社へ(単身赴任で)転職。新しいことに果敢に挑戦できるD社の社風の中、部下7名を指導教育するNさんの「働く意味」を見てみましょう。著者の勝手な指標で作った「オレ、何で働いてるの?の図」と「働くモチベーション」はこんな感じです。

 「日の丸」大手企業4社勤務で得たNさんの労働観が凝縮されています。「仲間と楽しく仕事をする場をつくる」に尽きますね。そんな簡単なことじゃないと思いますが、彼の経験の深さがにじみでいます。
 昭和の時代の会社にいた私、こんな職場で働きたいです。でも、もう絶滅危惧種ですかね。

定年退職後の具体的プランは?

 農産物事業だそうです!地元に帰ると、お兄さんがやっている農業を手伝って事業化したいと。今、週末は地元に帰って、トラクターを動かし汗を流すそうです。
 これまで27名のインタビューをしてきて、現役中で定年退職後の具体的なプランを持たれているNさんの例はまだまだ少数です。定年退職したら会社とは縁が切れ、自分自身で道を開拓・選択し自立ていくしかありません。

後記:


 良くも悪くも昭和スタイルの「面倒だけど、仲間と意見をすり合わせ、その結果楽しく仕事ができる」。Z世代の若手の人は、このような働き方を歓迎するのか?この辺りも今後考察していきたいと思いました。
 現在、急成長する会社は優秀な人材を好待遇で集め、プロジェクト単位で事業を行い、終わったら解散。で、また新規プロジェクトで人材を集める。ネットフリックス社がその代表格と言います。そこに対抗できる日本企業はあるのでしょうか?






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?