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推しの、推し方|デザインの科学⑥

推しの推し方が難しい...
なにせ当方、推しのいない人生を送ってきたもので。故に推しを推す気持ちも知らずに、これまでのうのうと過ごしてまいりました。
デザイナーとして、これまで沢山のプロダクトに関わって来た自負はありますし、その度に対象者や利用者の気持ちを想像してきたつもりです。
例えば、女性がコスメを選ぶ気持ちであったり、ギャンブルをする人の射幸心であったり、それが自分の価値観とはかけ離れたものであっても、はじめは真似することから入ることができるんですね。他の大体のことには、入り口らしきものがあるものなんですよ。

しかし、推しの推し方だけは難しいのです。

そもそも、推しがいなけりゃ推すこともできない。「さぁ、推を作ってごらんよ」と言われても作り方がわからない。仕方がないので推し方については諦めていました… 推しのいる人に気持ちを聞いて想像するしかないのだと思っていました。

芥川賞受賞作「推し、燃ゆ

先日、やっと手にとりました。「もしかしたら推しの気持ちがわかるやもしれない」そう思った僕は、これを機に改めて推しについて考えてみようと思いました。そして、やっとわかった気がしたのです。いや、まだまだ入り口に立てたと言うだけに過ぎないでしょう。今回はその考察を書いていきたいと思います。

推し方は一つじゃない

先に結論から言ってしまうと、推し方も十人十色。それぞれの答えがあり正解はありません。推し方を教えてくださいと問う方が愚問でした。
基本的には愛情を注ぎ込む行為なわけでありまして、その愛情の注ぎ方は千差万別、そもそも人それぞれですよ。
ただ遠くから愛でていたい。いやいや、もっともっと近づきたい。って人まで様々です。
しかし、共通して言えることは、恋愛のように双方向の愛情だったり、駆け引きがあるわけではないと言うことです。

例えばアイドルの場合。基本的には物理的な距離もありますし、対象への要求水準はかなり低いところからスタートします。そのため、無条件で愛情を注ぎ込んでいる割には見返りが少ないのは当たり前で、それでも満足できることが推しとの関係です。

無条件で一方的という意味では、他に似たような対象が二つの思い浮かびます。

子どもやペットは推しなのか

まず子どもに関しては、愛情を注ぐにしても根底にあるものはと育てるという行為が優先すると思います。いつかは独り立ちして、自分で人生を切り開く力をつけさせねばならないという母性のような部分が強く、推すにしても節度が必要そうです。
ペットに関しては、服を着せたり、写真をとったり、特別な食事を用意したりなど、対象の存在していること以外は何の見返りもありませんが、愛情を注ぐだけで大変に満足します。
多分、これが推しに近いんじゃないかと思います。がしかし、ペットに求めるペット像にも、人によってはパートナーであり、家族であったり、人と変わらない扱いで接する場合もあるので、一概にペットは推しとは言えない気がします。
子どもにしてもペットにしても、どこか一部分に推しのエッセンスがあって、全てそうであるとは言いにくそうです。
では、推しのエッセンスとは何処にあるのか。

推しは背骨である

「推し燃ゆ」の話の中で、「推しは背骨である」と表現されています。はじめは意味がわかりませんでした。
癒されるからとか、キュンキュンするからとか、そういった意味で支えられていることかと思っていました。しかし、どうもそうではないようです。
小説の中にも書かれていますが、推しの容姿とか歌声またはダンスが好きというわけではなく、推しを通して見る、推しの世界が見たいのだと。

映画や漫画・ゲームなど、人はその世界を想像して浸ることができるように、人は相手の視界を想像して、その世界にも没入して浸ることができるのだと思います。
子どもの頃、お人形遊びをしたり、ぬいぐるみとお話ししたりなど、そう言った行為に近いのでしょう。

だから推しが嬉しいと思うことは自分も嬉しい。現実とは別に拡張された世界を観ることで、心の居場所が広がる感覚でしょうか。

推しはつくれる

因みに、愛情を注ぐ対象は植物でも良いですし、 “無機質な物” でも成り立ちます。極端なはなし石ころでも推せます。
実際に、過去にタカラがペット・ロックという “石のペット” を販売していたことがあるようです。まさに石ころです。アメリカでもペット・ロックが70年代に流行ったとか…
渋谷にも、たわしを散歩させているおじさんがいますよ。そう、愛情を注ぐ対象は “物” であろうと問題はないのです。推しから見える世界が想像できれば大丈夫です。

まとめ

推しを推すという行為は単純に好みであるとか、貢ぎたいとか、そう言った感情が持てるかどうかではありません。
(推す人の中には、推しに対して恋愛感情を持っていたり、独占欲がある人もいるようですが)
大事なことは、推しのバックボーンやこれからの未来について、どんなインスピレーションを感じられるかが大事なのだと思います。
また、推しを通した世界を感じるという行為自体が、自身の精神安定をもたらす結果に繋がっているのでしょう。
推しを推すは、推しを支援することではなく、押すことによって逆に助けられていると言えそうです。

「推しは背骨である」
推し燃ゆも是非読んで見てくだい。

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