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『対訳 禅と日本文化 Zen and Japanese Culture』京都でなく、鎌倉の北条時頼(5代執権)、北条時宗(8代執権)が禅を受け入れた(日本の歴史)

 鈴木大拙は、日本的霊性とは浄土系思想と禅を指すとしているが、日本的霊性と禅の結びつきが、いまひとつわからなかったので、この本を読んでみた。

 鎌倉・足利時代に、禅院が学問芸術の貯蔵所となった。それは禅僧が始終、外国文化と接する機会があったこと、とくに貴族が禅僧を教養の鼓吹(こすい)者として尊んだこと、禅僧それ自身芸術家であったこと、政権者の激励によって、外国の芸術品や工芸品を日本にもたらしたこと、日本の貴族階級や政治支配階級が禅門の講演者であり、喜んで禅の修行に服したこと、これらが日本の宗教生活に禅が直接働きかけたのみならず、禅が一般文化にも及んだ理由だとしている。一方で、天台、真言、浄土諸宗は日本人に仏教精神を深く浸透させたが、天台の哲学は抽象的すぎて大衆が理解できず、真言の典儀は骨がおれて複雑で、大衆が理解することにならなかったが、彫刻、絵画など国宝を生んだ。真宗は親鸞の和讃や蓮如の御文を除いて、芸術、文化においてとくに作品を残していない。

 禅は京都を避けて、鎌倉の北条一族の庇護となった。中国から渡来した多数の禅僧は鎌倉に居を定めて、北条時頼(5代執権)、北条時宗(8代執権)およびその後継者たちと家来から強く支持された。理由は以下のとおり。

1)禅は意志の宗教で、哲学的より道徳的に武士精神に訴える。知性より直感を重んじる。そのため、武門階級には魅力的だ
2)禅の修行は単純、直裁、自侍(じじ)、克己(こっき)であり、この戒律的な傾向が戦闘精神と似ている
3)北条時代は厳格な節倹と道徳的教養で行政的軍事的整備をしており、禅を精神的な指南とした
4)禅は、無政府主義にも、ファシズムにも、共産主義にも、民主主義にも、無神論にも、唯心論にも、いかなる政治的、経済的な教義にも結びつく

 「天台は宮家、真言は公家、禅は武家、浄土は平民」と言われるように、日本の仏教各宗派は各層に浸透した。
 禅の理解者は北条家だけでなく、足利幕府の将軍も禅の崇拝者だった。当時の日本の天才たちは僧侶か武人となり、この両者の精神的協力は「武士道」に昇華された。

 私の興味は、「禅と武士」の結びつきだが、その他「禅と美術」「禅と剣道」「禅と儒教」「禅と茶道」という章がもうけられている。英文を訳した日本語対訳付きなので、英文から意味を把握することができる。翻訳された日本語に、逆に曖昧さが排除されるのは面白い。

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