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『北方の原形 ロシアについて』ボルシチの出汁がウクライナとロシアが違う理由がわかった(世界の歴史)

 現在のロシアがなぜあのようになったのかをこれほど明確に教えてくれる本はないだろう。さすが司馬遼太郎だ。

 まずは9世紀のベースになったキエフ国家はロシア人が自前で作った訳ではなく、海から川を遡り内陸になりスラブ農民を支配した海賊のスウェーデン人によるものだ。なぜなら当時のロシア人に国を収める能力がなかったからだ。

 11世紀に入ると、ロシア国民=ロシア正教の洗礼を受け教会に属する人を指し、帝政ロシア帝国が滅びるまでこの認識は続いた。
 13世紀にユーラシア大陸でモンゴル帝国が成立した。モンゴルの価値観は以下の3つ。

1)農耕をしないこと(農民から略奪すればよい)
2)工芸品を作らない(作れる人を強制的に連れてこればいい)
3)生き方を異にする民族は人間として一切同情しない

 モンゴル帝国は4つに分かれロシアを支配したキプチャク帝国は16世紀ぐらいまで続いた。しかしモンゴル族は欠点があった。それは人口が少ないことだ。支配した民族を合わせても100万人程度で、中核となるモンゴル系の人は1万人程度だった。

 キプチャク帝国は何度もモスクワなどの地を攻め込み破壊した。それをロシアでは「タタールのくびき」と呼んでいて、なんと259年も続いたという。
 タタール人は以下の3つを指すので要注意。

1)中国人はモンゴルの一部の部族を韃靼人という
2)ロシアではモンゴル人全般をタタール人という
3)トルコ系イスラム教徒をタタール人という

 モンゴルはトルコ系タタール人を配下においた。それがウクライナは豚肉とロシアは牛肉からボルシチの出汁をとることに表れている。モンゴルの価値観でウクライナ地方は襲われ破壊し、略奪されるが、モンゴル配下のトルコ系のタタール人はイスラム教徒なので、牛や鶏は略奪するが、豚は残して行った。これがロシアとウクライナのボルシチの味を分けた理由だ。

 14世紀から15世紀のローマ・カトリックの「人間の発見」というルネッサンスは、コンスタンティノープルの正教側には伝わらなかった。したがって、ギリシア、ローマ文明(ヘレニズム文化)が復興され人間讃歌につながらない。ちなみに、ルネッサンスが花開いたのは、バクダットの「知恵の館」で、ヨーロッパでは価値がないとみなされたヘレニズム文化がアラビア語に翻訳され、イスラム研究者の補足説明とともに保管されていたからだ。イスラームにはヘレニズム文化を尊重する評価能力があった。

 しかし、14世紀から16世紀のロシアは、幾度となく繰り返された「タタールのくびき」で、モスクワは破壊され続けていたのだ。その後、キプチャク帝国が滅び、日本の江戸時代初期、つまり17世紀にロマノフ王朝が成立するが、ロシアには「タタールのくびき」から以下の文化が遺伝してしまった。

1)外国を異様に恐れる
2)病的な外国への猜疑心
3)潜在的な征服欲
4)火器への異常信仰(モンゴルは矢や火薬を使った火器が得意)

 司馬遼太郎の分析は、現在のロシアのウクライナ侵攻とそのやり方までを予見したもので、非常に分かりやすい。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。