見出し画像

【ウクライナ情勢】ウクライナで亡くなった人達の名前を私たちは誰一人知らない

 2023年2月20日(月)。21時24分。

 夜も遅いですね。もう寝たいです。寝たいと言えば、世の中というか、世界情勢が一気に動き過ぎて「自分はもしかしてコールドスリープでもしてたのかな」とか思うほどに世界が動いていますね。約束通りのこの文言も書いておきましょう。

☆☆☆
 私は国際情勢に詳しい専門家でもなく、戦争研究家でもありません。ただの一市民の感想としてお読みください。
☆☆☆

 はい。書きました。

 トルコで大地震が起きている間に、中国の王毅外相(漢字が間違っていたらすみません)がヨーロッパのあちこちを訪問していて、経済的な根回しもしっかりと行っていたようですね。

 ミュンヘン国際会議では、アメリカを念頭に置いた、「アメリカに簡単に付いていかないでください」っぽい(あくまで、っぽい)演説をして。ヨーロッパ外遊の最後にはロシアで会談を行うらしいですね。

 王毅さんすごいですね。ヨーロッパ、というかEUはがたつくのでしょうか。

 中国の狙いとしては、停戦協定を結ぶことであり、中国が仲裁に入ると積極的に言っていますが、別の情報ではロシアに武器供与を始めるとの分析もあり、もうなにがなんだか分かりません。

 トルコの大地震もこのタイミングで起こらないで欲しいものですが。自然相手に何を言っても無駄だとは思いますが。ウクライナといいトルコといい。アジアとヨーロッパの境目にある国同士で大変なことが起きています。

 大変と言えば、バイデン大統領がウクライナの首都キーウに電撃訪問しました。今日は、2023年2月20日。実はG7の首脳でウクライナを訪問していないのは日本だけになってしまったとか。恐らく岸田さんはすぐにでもウクライナを訪問するのかなと思います。電撃だろうとなんだろうと。

 なんか。アメリカ上空に飛んでいた謎の気球を破壊したそうですね。それが中国の偵察用の気球だったとか。しかしながらですよね。あの気球ってアメリカだろうと南米だろうと、日本だろうと。場所は様々なところで確認されていて。そして空間に対する時間として、三年前くらいから日本の仙台とかでも民間人が撮影していたのが残っていたり、当時の河野防衛大臣に「あの気球はどこから飛んできたものか防衛省は把握していますか」っぽい(あくまで、っぽい)質問に対して「気球に聞いてください」と答えたのが今になって出てきたり。

 ここからが重要というか。「日本ってこういう国なんだな」と思ったことは、アメリカが気球を撃墜した後に、中国を非難するかのようにブリンケン国務長官は中国訪問を取り止めて、アメリカと中国との間に軽く溝を作ってしまったというか。

 しかしながら。いつ。何時も飛んでいた中国の気球を撃墜する、《《その判断が勝手にしたのはアメリカのほうなのですね。》》別に、今まで通り見過ごしておいても良かったけれど、中国との外交手段で弱腰と見られないように、中国の偵察用とされる気球を撃墜したわけです。バイデン大統領の一般教書演説の数日前のことでした。バイデン大統領は気球を撃墜したことについて、「自分の評価の一つである」っぽい(あくまで、っぽい)演説をして、中国との間に溝を作ってしまったのは明白です。

 で。ここから日本の話になりますが。アメリカが気球を撃墜したときに、日本も前にならえで「中国の偵察用気球は我が国にとって重大な脅威と位置付ける」っぽいことを公に発表しました。「問題は問題にしなければ問題にならない」というある小説の名言がありますが、「アメリカが気球を問題にしたからこそ、それにならうようにして、日本もアメリカと同じように問題に取り上げて、アメリカと同じような対策を取ろうとし始めた」というのが見え見えというか。「日本ってこういう国だったのかな」と思ってしまいました。自分達で判断して問題に対抗していくようなことではなく、アメリカと歩調を合わせるようにして、同じように問題として取り上げて、中国の気球を、この時に、この瞬間に、問題に取り上げたわけです。

 日本ってアメリカの属国か何かですか。と思ってしまいました。

 というわけで。今回の、バイデン大統領のウクライナへの電撃訪問。日本も前にならえで電撃訪問をするのかなと注目しています。

 挨拶が遅れました。

 こんにちは。井上和音です。

 クローズアップ現代で桑子真帆キャスターがウクライナに行き取材をしていました。民衆たちのあまりにも悲惨な現実を前に、桑子キャスターが取り乱すシーンもありました。戦争で両足を失った、ウクライナの一般男性が義足の訓練をしているシーンがありました。

 戦争で、四肢を失った人に、ゼレンスキー大統領から勲章が渡されたそうです。

 戦争での一番の被害者は、徴兵制度で必ず戦地へ向かわなくてはいけなくなった、ウクライナ人の一般男性だと思います。

 勲章で、手足が元に戻るのでしょうか。あんなメダル一個で、これから先の彼らの人生で失われた自由や可能性は、そのメダル一つで埋め合わせることが出来るのでしょうか。

 「国とは”人”なのだ」というワンピースの名言がありますが、国土を守る、ないしは、国土を奪還するために、ウクライナの一般男性は政府が掲げる「勝利」のために、永遠に戦い続け、永遠に将来や自由を奪われて生活していかなくてはいけないのでしょうか。

 東部4州を明け渡したら、戦争は終わるのでしょう。しかし。それを許さない国際情勢だったり。政府の考えだったり。

 法が暴力に負けた歴史を創ってしまったらこれから先の人類にとって、とても良くない歴史の一例となってしまうことは確かだと思われます。しかし、その一例を創らない為に、名も知らない大量の人間が犠牲になるのだと思うと、人間は良い歴史を創るためのシステムに過ぎないのかなと思ってしまいます。

 実存的に見れば、人間が一人生きていること。それがその人にとっての世界の全てであり、常識的ではない見方をすると、戦争で手足を無くしたり、または亡くなってしまったりしたら、その個人としての人生、世界、そのものが変わってしまいます。亡くなるということは終わってしまうということを意味します。どうでもよくはない。どうでもよくはないと分かっているのですが、理想的な歴史を創るために亡くなっていく犠牲というものは、亡くなる瞬間に「自分は国の役に立てただろうか」「自分は正しいことを行っただろうか」という、《《自分とは実はあまり関係がない国や将来の歴史の為に自分は役に立ったかどうかという問い》》で人生を終えてしまうことになります。私たちは、ウクライナで亡くなった方々、四肢を失った方々の一人一人の名前など全く知りません。しかし、知らないその人々の犠牲によって、世界の歴史は良い方向に向かうのか、悪い方向に向かうのか。政治家たちがゲーム(娯楽の意味ではありません)と同じように選択をしていくという様は、実は第二次世界大戦から70年以上過ぎた2023年でも、同じ構図を辿っているのだなあと感じました。

 戦争はよくないです。早く停戦して欲しいです。本当に思っていますか? それだったら打つ手はいくらでもあるのに、停戦では無くて勝利以外に見えなくなっていませんか? 単純に勝つか負けるかだけで。勝つためだけに外交戦略などを取ろうとしていませんか? 戦闘機を供与したらどうなりますか? 犠牲者は減りますか? 人が、出来るだけ死なずに居れる現代で有り得ますか? 何が目的なのですか? 人って簡単に手足を失ったり、亡くなったりしていいものですか?

 戦場の最前線で、生きるか死ぬかの極限状態に置かれている人のことを考えて政治家は動いていますか? 勝った後に遺る亡霊たちは拍手をくれるでしょうか。もっと生きたかったと泣き続けるのでしょうか。国と人と。政治と市民と。人がいなければ国は成り立たないことを充分に知って、国民のために政治的判断を下せる人間は、この世には一人としていないのかもしれません。それ程に、国を背負うというのは、一人一人の目線を失わせるには強大過ぎる権力を与えてしまうのかもしれません。

この記事が参加している募集

みらいの校則

よろしければサポートをお願いします。