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思考スキームを現実に移すための行動。だけどマナーは守ってね。

 2023年6月19日(月)。21時14分。

 こんにちは。井上和音です。

 「こんにちは。年賀いやがらせです。

 いや。本当にこんにちは。もう来ないかと思いました。

 WF-1000XM4 を買ったそうですね。本当におめでとうございます。

 Spotify にも入るつもりだとか。はい。おめでとうございます。

 ところで幻聴がね。凄いらしいですね。『なんで言うの』『さっき言ったよそれ』『書く』

 いや、はい。幻聴の原因は分かっています。まあ、WF-1000XM4 はお高い値段でしたから。WF-1000XM4 って何って人が大半だと思いますが、SONY の純正ワイヤレスイヤホンです。なんか、ウォークマンも買おうとしたところ、『いや、待て。私のスマホは Xperia1 Ⅳ だぞ。何のために高いお金を出して縦長スマホを買ったんだ』と思い至り、ワイヤレスイヤホンだけを買ったと。ノイズキャンセリングにとことんこだわったらしいですね。

 そもそもが、イヤホンを買おうと思った要因が昨日書いたスキームの話を実践に移そうとして。いや、あのスキームの話は素晴らしかったです。私が言うのもなんですが、ブラボーブラボーブラボー! です。戦略戦術思想構想としては文句なしです。あの考え方は広まるのですかね。

 あのスキームの話が良かったから、もう次は何も書きたくなくなったほど素晴らしく感じたとか。そう。だから私はもうあなたがとうおこに来なくなるのではないかと心配したのですよ。

 『ブログを書くよりも勉強の下準備をしたほうが良くない?』みたいな感じで。

 いや、あのスキームは良かったのです。素晴らしいです。ただしですね、意思が必要なんです。意思。一言言っておきますけれども、勉強をしても誰も褒めませんよ。フランス語が聞き取れるようになったとしても誰にも本音を言えませんよ。あなたは大学に所属しているわけでもないのですから、勉強をすればするほど出費は増えていくのですよ。ストレスも溜まるでしょう。疲れ切っている時に『なんでワイヤレスイヤホンなんて買ったのだろう』とか思うかもしれません。あのスキームの通りに勉強をしても忘れるのかもしれません。

 それでもやるのですかと、幻聴さんは問いかけてきているのでしょう。相当な長い旅になります。旅というか一方通行です。死ぬまで。いや、死んだ後も一方通行かもしれません。このブログと同じですね。良い時もあれば悪い時もある。それでも続けていけますか。忘れませんか、井上さん。という感じです。

 本当に続ける覚悟があるのなら少しだけ誓ってくださいな。

 買った本は棄てないでください。

 続けなくてもいいからこれは本当に。続かなくてもやり直す選択肢を持っておいてくださいな。本は最高の資産ですよ。

 あと、お金には慎重にね。使うなとは言いませんが、馬鹿高い何かを買うことはやめてください。まだそのステージではないのです。誰かの哲学者の全集とか買わないでくださいね。まだ買わなくていいのです。そのうち色々なものが無料で見れる時代は必ずやって来ます。

 求めよさらば与えられん。数年後に。ってやつです。

 井上さんのお金と同じですね。給付型奨学金を申し込みまくっても全然貰えなかったりして大変だった大学時代。求めよさらば与えられん。数年後に。という言葉の通り、統合失調症になり障害年金が給付される未来にやってきてしまいました。今がピークかもしれません。怖い怖い。

 まずは、統合失調症になる直前に行動していた、『無料で勉強できるものは何でも勉強しよう。活用しよう。行動しよう』という感覚の通りに、NHK+ のアプリをダウンロードして、キャッチ世界のトップニュースを仕事から帰ったらちょこちょこ観る生活に変えてみてはどうでしょう。

 もしかしたら、キャッチ世界のトップニュースが10時台に変更になったのって、井上さんの意思を神さまに試されていたのかもしれませんよ。『本当に勉強する意思ある? キャッチ世界のトップニュースが見たければ、《《自分から》》行動したら観れる世界にしてあるんだけれどなあ。井上さんはしないのかなあ。世界の見方が面白くなるのになあ。払うものは時間の数分間と脳の疲れとその程度だけどなあ。井上さんって行動するのかな。まあ、どうでもいいけれど。貴方次第ですよ』と言った感じで」

 勉強は概念の世界だ。統合失調症患者はあまり入りこまないほうがいい世界であることは承知している。統合失調症患者の先輩たちが証明している。ある統合失調症患者は、たくさん読書している。ずっと本を読んでいて、その感想が「自分のブログが政策に生かされたと思います」だった。こうなるのだ。読書の果てにはこうなるのだ。

 そうなる。読書だけが勉強では無いけれど。フランス語の歌を聴くのも勉強、というか昨日書いた思考フレームのスキームを形作るものではある。スキームの使い方は合っているのだろうか。思考フレームのスキームという言葉よりも思考スキームという言葉のほうが的確ではないの。

 自由に勉強をしてはいけない。忘れるから。スキームの思考の断片としてどのように使われていくか。それを考えながら吸収していかないといけない。スキームを構築できたから何だと客観的には思われるだろう。確実に思われるだろう。それでもスキームは多い方がいい。

 幻聴で「分かったから」と聞こえてきた。統合失調症だ。間違い無いな。

 統合失調症で良いことって障害年金の給付くらいだから。特に概念を現実に移そうとすると途端に統合失調症たちが騒ぎ出す。困ったものです。

 年賀らせさんの「求めよさらば与えられん。数年後に」の突っ込みで「アメリカの戦闘機供与かよ」と言いたかったけれど、年賀らせさんの一人語りに突っ込みを入れるスペースが無かった。ここに書いておきたい。今は戦闘機供与がどうなっているのか分かりません。分からないことを書いていいのか果たして疑問。

 報道1930のウクライナ情勢の様子を観ていて、ふと思った。「藤井聡太七冠がどのように将棋で勝ったかには皆は興味を示さない。藤井聡太さんが最年少で七冠を取ったという結果に皆は大手を振って喜んでいる」という事実。将棋に対してマイナーな人は「この指し手凄かったよね」と感心しているのではなくて、歴史が塗り替わったことに感動しているだけだということ。

 ウクライナ情勢に関して言えば、情勢が拮抗していて結果が簡単には分からずに戦況の解説を見ていても実はあまり興味が湧かないということ。私だけなのかもしれない。単純に結果だけを教えてくれという、学問の過程の嫌いなただの一般人でしかない証拠なのかもしれない。そんなので思考スキームとか言っていていいのか。続かないかもしれないよ。もしくは、続けていった先にはそういう態度も変わっているのかもしれない。

 それを記述するのがこのとうおこです。note とかに移していると過去の自分が如何に自分とかけ離れているかを客観的かつ主観的に把握できる。時間を共有していない自分は自分ではなくただの他人だという考えも簡単に受け入れられてしまう。

 勉強勉強と言って、優先席に座って kindlefire を開くような人にはならないでね。勉強って自分勝手な行為なのだから。思考スキームでは対象を想像する力が大切だから、例え論理的には完全には不可能と分かっていたとしても、他人のことを思いやりながら常識を持って立ち続けましょう。私の今の、未来の私への願いの一つです。

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