男として生きるということ:女性(出産)へのリスペクト

僕は「女に生まれなくてよかった」と心底思っていた。

小5くらいまで特に

小学校〜高校くらいだと女子の方が教員に優しくされるから女子の方がいいじゃん!と思う人も多いみたいだけど僕はそうではなかった。


その理由は超単純

出産が痛そうだからである。


注射とかサッカーのタックルとかそういう痛いのが大嫌いな僕は「鼻からスイカを出す痛み」と言われている出産を経験する可能性が0であることを幸せに思ったものであった。

今でもそれは思っている。


しかし出産は怖いかという質問に対して、案外女性は「怖いと思ったことはない」とかそういう回答が多いように思う。


や、羨ましい。


その度胸というか強さをかっこよく感じる。

生物学的な性役割として与えられた出産という行為に対して(先天的に?)強さが備わっているのだろうとは思うが、それを差し置いてもかっこいい。


実際、

子供を作るというプロセスにおいて男は射精するだけで良い。

人によっては諸々の事情があるだろうが、ほとんどの人にとってはただの「気持ちのいい行為」で、終わりだ。

一方で、女も性行為は気持ちいいかもしれないけれど、その後のプロセスは尋常ではないほど大変なものであろう。多分想像もつかないほど


しかし、「社会」は本当にこのプロセスについて無理解であると思う。

まあ僕だって完全に理解しているわけではないけれど、多分その「社会」とやらよりは理解している。


だって小学生の時から「痛そうでかわいそうだなー」と思っていたからね。

僕が小さい時心の底から畏怖していた超痛い出産プロセスを踏んでる間、体も好きに動かすこともできず、健康に十分気を使い、同僚には仕事で置いてかれ、、、他にもあるだろうがこれだけで十分だろう。


また、出産プロセス中でない場合においても、『どうせキャリアにブランクを開けるだろう』と、医学部入試でこっそり減点され、就職試験でも不利益を被る。他にも表に出ない隠れた不利益がある。


こんなこと言うのは失礼だろうけれど、改めて小5の時の僕と同じように「女として生まれなくてよかった」と思う時がある。今は「出産の痛み」という点においてそう思うのではなくて、「(出産の影響による)人生の有利不利」と言う点についてそう思う。

結局どちらも「出産がなくてよかった」なのだ。


こんなことを考え、かつたらたら記してしまう僕はなんとも憎いやつだ。

なに「女性=かわいそうな存在」にしようとしているんだよと思う人もいるだろう。

多分女性自身もここまで思っていない人が多い。

出産(の痛み)に対するメンタリティーがそもそも俺とは全然違うし。


もしかしたら「玉の輿に乗って出産して専業主婦になれるから女で生まれてよかった」と思っている人もいるかもしれない。(男でそれは難しすぎる)

まあ確かにそれは一理ある。子供を育て終えた後の奥様方の平日昼ランチ姿は無敵感半端ない。

でもそれはそこまでに至る人生を無視しすぎている。

妊娠、出産、育児、それにまつわる人生の選択肢の狭まり


やっぱり僕はかわいそうだと思う。超痛い苦しみと育児の間あるいはそれ以前に様々な不利を被るなんて。

まあ、だからどうってわけではないけれど、ここに記すことで女性へのリスペクトくらいは忘れない人間になりたい。そのリスペクトこそが(出産育児プロセス間での)男側の労働がリスペクトされることにつながるだろう。


出産の痛みを味わう機械を経験してやっと、「妻の大変さがわかった」と言う感じも避けたい。あんな機械が誕生するのがそもそもおかしくないか?

おれは小学校の時から気づいてたぞ?



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