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8年間続けてきた水泳が、自分の自信にならなかった理由とは

こんにちは!
鈴木綾恵です。


突然ですが、
わたしはとにかく何かを続けることが
大の大の苦手で、


仕事にしても、
何か新しく勉強するにしても
趣味にしても


『熱しやすく冷めやすい』
というところがありました。


なので、
『続けること』や『自分の向き不向き』について
やたらと悩んでいたんですね。


「続ける根性がないのがいけない…」と
ずっと自分に原因があるような気も
していましたし、


「何か本当はもっと自分に向いてることが
あるんじゃないか…?」という
考えも頭の中にありました。


皆さんは同じように
考えたことはありますでしょうか?


そしてこれは
自分の過去と改めて向き合ったからこそ
改めて思い出したことなのですが、


幼少期の頃わたしは
水泳を8年間も習っていました。


ですが、
自分にとって全く自信になっていなくて


「頑張った!」とか「やり切った!」
という感覚も全くなく、


むしろ「諦めてしまった…」と
感じてばかりいたんです。


とはいえ
「たかが子供のころの習い事だし…」
としか捉えていなかったのですが、


『8年間続けたことが
自分にとって自信にならなかった』

この事実の中に


『物事が継続できない理由』
隠れていたりしたんです。


なので今回は
「8年間続けたはずのことが
自分の自信にならなかった理由」
について
お話していこうかと思います。


わたしと同じように
続けることや自分の向き不向きについて
悩んでいる方に
少しでも参考になったら幸いです^^



幼少期の頃
小児喘息を患っていたのですが、


水泳が喘息に良いらしいからと
同居していた父方の祖父の妹(大叔母)が
習わせてくれていました。


ですが、わたしは
お風呂で泣き叫ぶほどの水嫌いで


そもそも自分が水泳を習いたい!と
思ったことなんて1ミリも
なかったんですね。


それでも水泳が嫌だとは言えなかったのは
『両親の様子』を見ていたからでした。


というのもわたしの両親は
大叔母に比べて経済的に余裕がなく、


わたしのためにお金を使ってくれる
大叔母に対して
「お前のためにやってくれてるんだよ、よかったね」
ということをよく言っていたんですね。


一度大叔母に買ってもらった服が
どうしても自分の好みじゃなくて、
着たくない!と言った時


「折角お前のために買ってくれたのに…
もったいない」
「折角だから着なさい」
と言われてから、


両親の顔色をうかがって
大叔母に対して「ノー」を言えなくなって
しまっていたんです。


そうして水泳教室に通い始めてからは
わけもわからず焦って
頑張っていたような感覚で、


その中でも覚えていたのは
『常に自分と周りを比べていたこと』でした。


水嫌いだったわたしは
通い始めは毎回毎回泣き叫んでいて、
しょっちゅう先生の手を焼いていたんです。


でも周りの子たちを見ていると
水を怖がってないどころか
楽しそうにしていたんですね。


そんな周りと自分を比べて
自分が「手のかかるダメな子」な気がして、
それから早く水に慣れようと


周りよりも「できる子」になるんだ!と
必死になっていました。


そして進級テストがある時は
決まって必ず進級できていたのですが、


ある一定のところで
つまずくようになってしまったんです。


何度挑戦してもどうしても
クリアできない課題があって、


『進級できない状態
=自分ができていない、自分はダメ』

感じてしまって、


水泳教室に行くことがどんどん
苦痛になっていったんですね。


そして、そのことを
先生にも両親にも大叔母にも
誰にも一切相談できませんでした。


「もう水泳をやめたい…」
「なんにも楽しくない…」


そう思い始めた小学6年生の時、
はじめて生理がきたんです。


わたしは、生理を理由にすれば
水泳をやめることを
納得してくれるかもしれない…と考えて、


「進級できないことが辛い」という
本音を隠したまま
水泳をやめたいことを伝えたんですね。


ですが両親は
「あれだけ頑張ってたから勿体ないと
感じちゃうけど…
生理なら、しょうがないよね…」と
残念そうにしていたんです。


そんな両親の反応を見て、
両親に自分の本音を言えず
生理を言い訳にしてしまったこと、


「水泳をやめたい」と
自分の意見を言ってしまったことに
とてつもない罪悪感と後悔を感じました。


「水泳をやめない方が
よかったのかもしれない…」
「自分のわがままだったんじゃないか…?」


そんな罪悪感と後悔を
ずっと整理できないまま
引きずってきてしまい、


8年間頑張ったはずのことも
とても悪い思い出として
残ってしまっていたんですね。



自分のことをつらつらと
書いてきましたが


なぜ、8年間習ってきた水泳が
自分の自信にならなかったを
まとめますと…


  • そもそも水泳は自分のやりたいことではなかった

  • 大叔母や両親のために水泳をやっていたようなものだった

  • 周りと自分を比べていただけで自分が水泳を頑張る目的は特になかった


…といった形で
『まるで自分の意思がなかったから』
なんですね。


さらに水泳をやることで
『自分がどうなりたいか?』
という目標も目的もなかったので、


どうやったら
進級試験を乗り越えられるか?など


水泳を続けるために
周りに相談したり対策することも
できなかったんです。


(そもそも相談する選択肢が
頭の中になかったような感覚でした。)


水泳をやってきたことが
自分の自信にならなかったのも
諦めてしまったなと感じていたのも


自分に根性がないから…
自分は熱しやすく冷めやすい人間だから…とか
そんな理由ではなくて、


ただただそこに
『本当の自分の意思がなかったから』
なんですね。


そして、
幼少期のことを振り返ったことで


両親や大叔母との間で
『自分の意見を言って困らせてはいけない』
『人が与えてくれたことに
文句を言ってはいけない』


“自分の意思を押し殺す癖”
ついてしまっていたことに気づきました。


実はこの
自分の意思を押し殺してしまう癖や
両親から影響を受けてできた考え方、
思い込みのようなものを


心理用語で
“リミッティングビリーフ”
言ったりします。


わたしは自分にそんな
リミッティングビリーフがあったと
知れたことで


8年間習ってきた水泳のことを
「自分の意思を押し殺しながらも
頑張ってきたんだ…!」


子供の頃頑張ってきたことが
やっと自分の自信になったように
感じれたんですね。


だからこそ思うのですが、
嫌々始めたものだったとしても
自分の意思に背いていたとしても

『挑戦した』ということは
その人にとって大事な大切な経験だと
わたしは思うんですね。

それに水泳をやっていなかったら
今の健康状態が全く違ったかもしれなくて、
大叔母には本当に感謝していたりします。


ただ、本当は頑張ったはずのことを
「諦めてしまった」とか
「頑張れなかった」とか


ネガティブな思い出のままにしておくのは
凄く勿体ないなと感じていたりするんですね。


そしてこの水泳の経験から
自分の意思がなかったことや
何かを続ける自信がなくなっていたことに
気づくことができて、


「自分は何を頑張りたいのか?」
「何を大事にしたいのか?」
「自分はどうなっていきたいのか?」


その自分の意思を尊重することが
できるようになったんです。


だからこそ
「続けることをとにかく頑張る!」
というよりは


「自分がどうやったら続けられるのか?」
「続けるためにはどうしたらいいのか?」


と自然と考えられているような
感覚だったりします^^




もし今、
何かに挑戦してみたものの
なんか違うかな…と思っていたり、


今やっていることが
なんだか自分に向いてないかもしれない…と
感じていたら


自分がなぜ頑張るのか?
自分がどうなりたいのか?


ぜひ、一度考えてみてくださいね^^


そして、考えてみたものの
自分の意思がわからない…


本当に自分がやりたいと
思ってるのことなのか、


「本当に自分の意思なのかが自信がない…」
と感じていましたら、


自分の意思を押し殺す癖、
“リミッティングビリーフ”
あなたの中にも知らず知らずに
あるのかもしれません。


そのリミッティングビリーフが
どうしてできるのか
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それでは、この記事が少しでも
参考になったら幸いです^^


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