「インドには行くべき時期がある、その時期はインドが決める」

日に日に息が苦しくなった。


砂埃やガスが立ち込める路上ではタクシーが捕まらずいつもリキシャに乗った、むせかえるような汚い咳が止まらなくなった。
紅くのぼせ上がるような熱が身体の芯から出て、リキシャや列車が揺れる度に頭のネジがキリキリ緩むように痛かった。元々気管が少し過敏な僕にとって今までのどの国よりも辛かった。
なんでこんなところに来たんだろうかと何度も思った。声に出していたかもしれない。
少し前から、僕は旅なんて言葉が少し小っ恥ずかしいくらいの大人になったのだ。
覚束ない足元で、日差しの強いオールドデリーを歩き続ける時間が果てしなく長く感じられた。
けれども、旅をすること自体が持つ魅力はその時だって、そして今でも微塵も疑っていない。

「人を信じてはいけない国」とは少し前のインドのことだと思う。
かつて沢木耕太郎の放浪したカルカッタに神の子はもういないし、物価も日本円の価値と相対すると当時より10倍近くまで上がっている。
世の「インド」の虚像を捉えたまま、全てを拒絶してしまえばインドは僕には見えてこない。僕はいちど全部を嫌いになるくらい子供のように目の前のことをひとつひとつ感受していく。

値切ったり騙されないように交渉をしたりする小手先の楽しさは数日で飽きてしまう。
そのうちに、優しく話してくれたバラナシの船頭やホテルのポーターが廊下や船上で寝ていることに気づき始める。当たり前のように、ホテルの汚れた床や冷たい風の吹く船で昨日と同じ服を着て横になっている彼らがいる。

ハイジーンは言うまでもなく劣悪で、チフスや赤痢が今も蔓延している。
これが半世紀前の日本の状況だったという物の本を思い出す。
そっくりそのまま同じはずはもちろんないが、疾患の罹患率が当時の日本と近く、また路上・船上生活者が東京・地方を問わず溢れていたことを僕はいくつかの近代文学の中の世界から想像することができる。もう一度目の前の光景へ目を向ける。それを繰り返す。


フィールドワークや研修を除けば、純粋に国外へ出たのは学生ぶりだった。
どうしてこの時期にこの国に行ったのかは説明がつかない。バラナシを旅した三島由紀夫はかつてインド行きを迷う横尾忠則にこう言ったそうだ。

「インドには行くべき時期がある、その時期はインドが決める」

僕にとってはそれが今だったのだ、と甘いナルシズムに浸ることができるのが、旅の持つ麻薬みたいな魅力のまたひとつなのだと思う。

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