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通訳者の「続ける」ということ

いわゆる駆け出しの頃、「どうしたらセンパイみたいになれますか?」とセンパイに聞いていた。こっちは右も左も分からずに緊張で半分固まっているのに、先輩方は何でも知っていて、何でも通訳できて、先が読めているのだ!すると「まず、続けることですよ」とにっこりアドバイスを下さる。「これさえやれば一人前の通訳者になれる」秘訣があるとはさすがに期待していないけど、(失礼ながら)なんとなく拍子抜けしたものだった。
あれから何年か、続けてみた。いや、気づいたら何年か経っていた。今になって、「続ける」ことがどれほど大変か分かってきた。アドバイス下さった先輩方、本音は「その質問、百年早いわ!」だったに違いない。


どんなに憧れの仕事でも、いざ生活の一部になってしまえば、楽しいことばかりではない。自分の能力が及ばないときもあるし、評価も直接返ってくるし、思わぬところで足をすくわれそうになることもある。要するに、通訳だって数多ある仕事の一つで、他の仕事でぶち当たるであろう壁は、この仕事にだって当然あるのだ。漫然とこの業界で息をしていれば経験値が自動的に上がるというわけでもないし、求められるものは刻々と変化する。続けたからといって必ずしも報われるとは限らない。
しかし少なくとも続けなければ土俵にも上がれない。「続ける」ことは最低条件なのだ。


続けることはもちろん大事だが、「継続は力なり!」と自分を叱咤しても、そうそう続けられるものではない。この期間だけ頑張れば何とかなるというものもないから、自分を突き動かし続けなくてはならないし、それでは一生続く苦行になってしまう。むしろ、気がつくと自分の意識が向かっている先、そういえば昔からこれ好きだったなと思えるもの、そういうものを大事にしていくことが、「続く」なのではないかと思う。たとえ一時的に離れてしまっても、自分の人生からは完全に消えたのだと思っても、どこかでまた思い出したり、つながりができたり、機会が巡ってきたりするかもしれないからだ。


すぐに結果のでることばかりではないし、思うようにいっていなくて、もうやめようかな、と思うこともある。それでも「続ける」というのは、細々でいいから、気持ちを持ち続けることではないかと思う。流れが来たと思えばそこで乗ればいいし、ひらめくものがあればそこから加速すればいい。
そのくらいで構えている方が、結局は長く続くのではないかと思っている。

執筆者:川井 円(かわい まどか)
インターグループの専属通訳者として、スポーツ関連の通訳から政府間会合まで、幅広い分野の通訳現場で活躍。
意外にも、学生時代に好きだった教科は英語ではなく国語。今は英語力だけでなく、持ち前の国語力で質の高い通訳に定評がある。趣味は読書と国内旅行。

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