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創作(2022/2/20 10:00)『人事天命』Part1

原作『堕天作戦』

山本章一『堕天作戦』1巻

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『人事天命』Part1

『渦中之人』

 

ビル・スミスという魔人がいた。

 

彼は生まれつき、共感能力を欠き、気力にも乏しかった。

学校で魔人同士の暴力事件に巻き込まれ、反撃の末に不可逆的な障害を与えたことがきっかけで、決して長くはない人生を踏み外すことになった。

更生施設で明らかになった氷の魔法も、その後大して活かされることはなかった。

就職先の中央(マデイヤ)合衆軍でも、決して望んだわけではない将校用アイスクリーム冷却係として、ぱっとしない日々を送ってきた。

 

***

 

欲しいもの、やりたいこと、人との関わり、生まれてきた意味。

そういうことを思う時がないではなかったが、それ以上心の中で形を結ばなかった。

 

耳や目や魔法や寿命など、生物学的にいくつか異なるところがあり、相争う人間と魔人。

とはいえ、共通することは多かった。

たとえば、人間であろうと魔人であろうと、共感や意欲で得られるものはたくさんある。

広く人の世界において、そこに特に違いがあるようには見えなかった。

 

自分にはそもそもどちらも持たない。

だから、成果も、手に入らないのが道理だ。

このような人生も、やむを得ないところであろう。

 

特に疑うこともなく、そう思っていた。

文句一つ言わず、不遇に生きていた。

 

軍が恐れる、天からやってきた不死者、ヘリオスと出会うまでは。

 

***

 

人間と同じく、魔法を持たないが、魔法を以てしても殺せない。

肉片や血の一滴からであろうと、触手めいた蔦を生やして、最終的には人の形を伴って蘇生する。

人間や魔人を問わず、各国軍にとって、恐るべき敵であると共に、垂涎の研究対象である者たち。

ヘリオスは、地上で確認された不死者の、13号だった。

 

不死者を殺すことのできる、数少ない魔法を、たまたまビルが持っていた。

ビルの氷の力。その本質は、目に見えぬほど小さな粒子の微細な運動を減衰させ、熱を奪う力だった。

何かを弱め、削り、無くす魔法。当時は軍ですら知らず、注目もされなかった力。

虚術。

不死者であろうが関係なかった。脱走のため暴れ回っていたヘリオスを、ビルはたったの一触で鎮め、次の一触で冷たい肉に変えた。

 

軍としては脱走騒ぎの失態だった。明るみにさせたくない動機があった。

ビルは相変わらず軽く見られていた。功績どころか、持ち場を離れた旨で叱責されたのだった。

どうでもいい話だ。久々に力を振るったので、ひどく疲れていた。

空虚な脳内を、珍しく雑然とした想念でかき乱されながら、一人帰路についた。

 

***

 

そして、蘇生したヘリオスが、ビルを待ち構えていた。

 

傷つくことを恐れず、自ら危険を冒す、荒々しい生命力。

有無を言わさず、己の欲を力ずくで実現する、暴虐そのものの行動力。

広く人の世界から隔絶し、およそ人の力の及ばない、存在としての圧倒的な強さ。

 

同胞たる魔人たちが、旧い人間の迷信と嗤う、「神」の如きもの。

そういったものを、この恐ろしい美貌の青年の中に視た。

 

ヘリオスはビルをいたく気に入り、軍からの離脱と、相棒としての同行を、事実上強いた。

ビルには新しい名前が与えられた。不死者をも脅かす、恐るべき氷結能力者。「氷地獄」、コサイタス。

これを断ると言う選択肢はなかった。何より、ビルが、否、コサイタスが、同行を強く望んだ。

激しく輝く太陽が、ぼんやりと凍えた世界の全てを、光と熱で塗り潰した日だった。

 

******

 

『吉兆凶兆』

 

戦いと遍歴は続き、万物は流転していく。

 

ヘリオスとコサイタスによる、武装勢力の結成。

拡大。

他の組織との衝突。

吸収合併。

組織力に優れた人間との出会い。

 

万人を高みから焼き尽くすヘリオスが、人間や世俗に対して、少しずつ理解を深めていく。

 

世間的には、人倫を持たない者が、人倫を獲得していく、素晴らしい出来事であろう。

だが、コサイタスの目には、それは天にまします存在の、ただの人への堕落として映った。

 

あれほどの隔絶存在が、隔絶存在をやめていく。

しかもこれはヘリオスが自ら望んでのことだ。

だったら、自分も、誰も、もうこれを止められない。

 

何でこんなことになってしまうのであろう。コサイタスにはそれが哀しかった。

ヘリオスを、広く人の世から隔絶されたまま、永遠に神聖に保つことはできないのか?

そのために何ができる?

 

***

 

途方もない混乱の果てに、コサイタスは二つの目標を見出した。

 

一つ。

ヘリオスが人に堕して、自分が全てに絶望する前に、自分がこの手でヘリオスを殺す。

だからこれは他の誰にも託せない。他の誰かに殺されるようなヘリオスが死んだとしても、それはヘリオスが人に堕したという意味しか持ちえない。

自分だけがヘリオスを殺せるうちに、自分の手でやるべきだ。これでしか自分の精神は平衡を保ちえないだろう。

 

だが。

ヘリオスを殺す? 自分が? そんなあまりにも狂気に満ちた、そして哀しむべきことを、本当にやるのか?

やった後で、自分は逆に精神の平衡を失い、永遠に戻らなくなるのではないのか?

 

もう一つ。

ヘリオスが人に堕していこうが、あくまで人とは距離がある。人はヘリオスを仰ぎ見るだろう。

そう確信できればよいのだ。

 

納得が欲しかった。

人間がヘリオスを仰ぎ見ることを、確証しなければならなかった。

コサイタスの安心のためなのだから、当然これは彼自らの目で見て実感しなければならない。

 

どうやって?

 

コサイタスが人になればいいのだ。

人となったコサイタスが、ヘリオスを仰ぎ見る。

こうすれば、ヘリオスがどれほど人に近付こうが、相対的にまだ人である自分よりは天の側に輝いていられる。

 

だが、これは途轍もないことだ。

自分が人間に到る。

そんなことが、できるものなのか?

 

自分に元々理解できないことを、理解できるようにする。

これは一般に、激烈な摩擦と不安と苦痛をもたらすものだ。

ヘリオスはそれをやった。哀しいことではあるが、やはりそれはそれで素晴らしいと言うべきであろう。

そして、この脳の脆弱な自分に、そんなことができるとは到底思えない。

 

しかし。

ヘリオスが神威を失い、再びこの人の世が下らないものでしかなくなる。

その辛さに比べたら、これはまだ、耐えられる方の苦痛なのではないか?

 

***

 

そんなことを考えていたら、当のヘリオスに見咎められた。

 

「シケた顔してんな。どうしたんだよ?」

「いつもの通りだが…」

「シケた顔してんだよ。分かるんだよ、付き合い長いからな。」

 

おそらくそうなのだろう。自分には分かっていないだけだ。ヘリオスにはお見通しだ。

 

「妙なことを考えている。」

「あ?」

「最近、お前はどんどん人に近づいた。人らしくなった。」

「おう! 俺はすごいからな。人の真似事、楽勝!」

 

いつもの通りだ。少し、安心した。

 

「それはそうだ。しかし…」

「何だよ。何か、俺のこと、心配してくれてんのか?」

「そこもお前にはお見通しなのだな。

皆がお前を人に近い者とみなしたら、皆はお前を軽く見るのではないか。お前ほどの者を。

そういうことで、最近は悩んでいる。」

 

ヘリオスはぽかんとした顔をすると、ややあって心の底からおかしそうに笑った。

 

「ハハハ。何だそりゃ。

そんな奴は全員思い知らせてやってきただろ。

これからだって同じことだ。そこは何一つ変わんねえよ。」

 

実にヘリオスらしい回答であった。

 

「人の世に近づいたら、誰も彼もが、俺の威光を直々に見られるって訳だ。皆、まぶしくて目をやられるかもな!」

 

頼もしい言葉だった。不安が一瞬のうちに溶けていくのを感じた。

 

「ヘリオス、ここか。」

「おう、オスカー。」

 

ふと。

天辺の禿げた、長い白髪の老人が、そこにいた。

 

「今回接収した連中、どうにも質が悪い。みっちりしごいているが、まるで言うことを聞かん。」

「あぁ!? いいぜ。俺がヤキ入れてやる。また後でな、コサイタス。」

 

無言で手を振って、ヘリオスを見送った。

 

胸中の低温の塊。

きしむような痛み。

 

ヘリオスは、やはり、人に溶け込みつつある。

神威が人の世に完全に溶け切ってしまう前に。

 

やはり。

何らかの手を。

打っておく必要があるのではないか。

 

そういった思考が、結局は消えずに生えてくるのだった。

まるで、枯れない蔦のように。

 

***

 

『獣神機傀』

 

予期せぬ出会いがあった。

 

人間の新興勢力・メイミョー技研団の実験動物にされ続け、不信と敵意に満ちていた魔人の少年。トニー。

広く人並みの知能を持たない代わりに頑強な体力を備えた、人の隣接種にして家畜である鵺と、魔人との間に生まれた、込み入った出自の子。

知能と理性を補い、獣性を統御する、胸に埋まったメイミョーの機械の制御脳。

コサイタスに通ずる、空間を削り、他の物を吸う魔法。

彼もまた、この世で稀な、虚術使いの一人だった。

 

異端の故に不遇。

コサイタスには、彼のことが、どうにも他人とは思えなかった。

 

思惑があった。

子育てを通じて、人というものを、やれるだけやってみよう。

これは、そういう奇縁、星の巡り合わせである。

そういうことにしよう。

 

この子にはこんなことに付き合わせて、悪いとは思っている。

せめて、悪いようにはしない。

身勝手な誓いだ。だが、やるからには、そこは死守しよう。

 

トニーの名を好まない少年に、コサイタスはシヴァの名を与えた。

この地域で人間が崇めていた、かつてコサイタスも名前は聞いたことのある、強大な破壊神。

そのうち、自分たちの領有地域には、これと同じ名前が多いことが分かったため、煩雑さを避けるため改名することで本人の同意を得た。

新たな名前は、シバ。

 

***

 

シバは聡明で、コサイタスに忠実だった。いい子だった。

コサイタスの信頼に値し、それに応えられる、得難い出会いだった。

彼なら託せる。

コサイタスの下手くそな子育てに付き合わせることも。

 

そして、ヘリオス暗殺も。

 

シバが暴れていた時に、ヘリオスとの交戦があって、ヘリオスは何度かシバに殺されている。

その件以降、ヘリオスとシバはお互い苦手意識がある。

コサイタスにとっては哀しいことではあるが、考え直してみれば好都合とも言えた。

コサイタスがヘリオスを凍らせきるのに、躊躇が伴うことは、自分のことだからよく分かっていた。

だが、他人であり、反目し合っているシバなら、ヘリオスを完全に削り切ることも可能であるかもしれない。

 

***

 

とはいえ、シバにヘリオス暗殺を託すことについては、そのうち早々に諦めた。

子供に殺されるようでは、ヘリオスを偉大に保つことはできない。

そうシバに言われたことが、どう考えてももっともだったからだ。

 

自分と似た、不死者をも殺せる虚術使いであろうが。

自分の託した存在であろうが。

自分以外が手を下すのは、やはり、違うだろう。

 

子供のシバから、そういったことを、改めてはっきりとした形で思い知らされたことになる。

得難い知見だった。

 

とはいえ、それを呑み込むのに、随分と葛藤があった。

 

こういうデリケートな話を、育ての子に育てながら託すのが、そもそも間違いの元なのであろう。

そんなひも付きの育児など、育てられている側はたまったものではあるまい。

 

***

 

コサイタスが実際にやってみた子育ては、上手く行くことの方が、むしろ珍しかった。

 

シバはコサイタスと違い、察する能力に長けていた。

それでも、コサイタスの言っていることが、シバにうまく通じていないことは、多々あった。

というよりも、コサイタスが、シバに通じるように喋れていない。

コサイタスもそのことに気づいてはいたが、どうにもならなかった。

 

コサイタスは思いつく限り親らしいことをしたが、その大半は失敗であるということを、否応なしに思い知らされた。

はるか昔にはコサイタスにも父母がいたが、彼らがどう自分に接してくれたか、思い出せない。最早顔すら朧気だった。

ある時期からは周囲の人に訊いてみて、そのいくつかは成功したが、いくつかはより深刻な失敗をもたらした。

仮にも、自分よりも人らしい人が、人に関する領域で、いい加減な助言を言うな。そういう苛立ちをどうすることもできなかった。

 

***

 

そのうち、そうした周囲の人から、

 

「無理してやってないか?」

 

と言われた。

 

まずは、組織の実質的な要にして、人間力の権化たる人間最高幹部、オスカー・シャクター将軍に。

オスカーの人間力に心酔し、人間のオスカーにはできない魔人絡みの実務を一手に担う、優秀な魔人幹部、ナサニエル・ギョーマン参謀に。

自分の直属の部下たちに。

 

酷く堪えることだが、自分の養子であるシバ本人に。

 

そして、もっと堪えることだが、ヘリオスに。

 

***

 

自問自答をする時間が増えた。

 

素晴らしい存在の堕落を見たくないがために、自分の人生のつまらなさを恐れるあまりに、素晴らしい存在の素晴らしいままでの死を願う。

その思考が、世間的に見て異様なものであることくらいは、コサイタスも分かってはいた。

 

コサイタスには、意味として理解はしていないまでも、形の上では何となく把握している事柄があった。

 

愛。

という感情があるらしい。

 

熱情を伴うが、しばしば醜くわがままで恨みがましく、あまり魅力的には映らない、性的な事柄。

または、温情や慕情を呼び起こすが、しばしば束縛をもたらし、一般に性的な熱情との間で認知的不協和音を奏でる、家族という関係。

 

それらは、愛というものの、ある種の核心にして、真実ではあろう。

が、それでは全体を捉え損なう。

愛の本質たるごく一部でなく、愛の全体そのものの話は、やはり見なければならない。

そういうことを怠るから駄目なのだ。

 

相手や、相手と切り離せない何らかの属性に対する、肯定。

そういう湯気の立つ肉のような愛の全体こそが、乾いた骨のような愛の本質よりも、大事なのであろう。

 

では、自分のやっていることは何だ。

相手と切り離せない隔絶された神聖さを肯定するために、相手の生存を否定しようとしているではないか。

それも、自分の脳裏の、虚ろな激情のためだけに。

 

愛の本質を死守するために、愛の全体を死なせたら、愛の本質は残ったりはせず、実際にはことごとく死ぬのだ。

自分はそんなことをしようとしていたのか?

少なくともこれは、愛ではないのではないか?

 

自分だけでなく、広く人の世では、こういう混乱はよくあることらしい。

そして、やはりそれは、世間的にも忌まわしいものでもあるようなのだ。

 

つまり。

自分のこれは、忌まわしい想念だ。

 

コサイタスの乏しい世界理解の中でも、そこはかなりはっきりと、間違いないことのように思えた。

 

******

 

『天変地異』

 

いくつもの大きな出来事があった。

 

お互い多忙を極め、コサイタスとヘリオスが会って話す機会は、どんどん少なくなっていった。

伝えたいこと、伝えられてないこと、伝えにくいこと。たくさんあった。

 

そんなコサイタスに、久々に会ったヘリオスはこう言った。

 

『「聞こえねぇ。愛してるぜコサイタス。」』

 

コサイタスは奇妙なことに、ある種の感銘を受けていた。

ヘリオスは、コサイタスを、ちゃんと肯定して、大事にしてくれているのだ。

愛を、ちゃんと分かっている。そこの理解に、ちゃんと辿り着いている。

コサイタスには未だにできていないことだ。

やはり、ヘリオスは、素晴らしい存在ではないか。そう、呑気にも思っていた。

 

***

 

ヘリオスにも、伝えたいこと、伝えられてないこと、伝えにくいことがあったのだった。

コサイタスは直ちにそれを思い知ることとなった。

 

ヘリオスの突然の訃報。

領有している四都市の一つ、チャムで、爆弾テロに巻き込まれたという。

 

ヘリオスの葬儀。

コサイタスは錯乱の極みにあった。

 

『「不死者だ。死ぬわけがない。」』

 

だが、棺の中から抱きかかえた亡骸は、コサイタスの体温よりも冷たいまま、もう二度と動かなかった。

 

ヘリオスには寿命が来ていたのだという。

葬儀後に、ヘリオスが雇った医学者、アマチから聞いた。

 

馬鹿な。

不死者に寿命があるものか。

 

否。不死者は未知の理由で不死だが、未知の理由で死ぬ。少なくともいくつか観測されて推測されている事象だ。それが起きたのだと考えざるを得ない。

少なくともヘリオス本人にはその自覚があった。自分の再生能力が低下していることも。自分の寿命が、実はもう常人とほとんど変わらなくなっていることも。

 

ヘリオスが言ったあの言葉は、だから彼の最も伝えたい、他のいかなる全ての言葉にも優先される、心からの遺言だったのだ。

コサイタスは今更ながらもようやく理解した。

分かった時には、全てが遅すぎた。

もう、終わってしまったのだから。

ヘリオスは、彼と共に過ごした日々は、二度と戻っては来ないのだから。

 

世界が、再び、無に閉ざされた気がした。

コサイタスにも、シバにも、他の何者にも関係なく、ヘリオスは死んだ。

 

******

 

『現状否認』

 

後のことは旋風の如く過ぎて行った。

 

当時、コサイタスらの属していた武装勢力は、実際にはオスカー率いるセイロン共和国進駐軍であった。

人間のセイロン共和国正規軍の軍人であるオスカーが、本国からは未承認のまま、己の野望のためにあちこち版図を広げていたのだ。

そして、名実共に独立する話は以前からあった。今は亡きヘリオスの命名を、かつてコサイタスが手入れして、戴天党と名付けたのだった。

戴天党発足直後の最初の大仕事のうちに、発起人たるヘリオスの葬儀が含まれることになるは、誰も夢にも思わなかったのだが。

 

当然、そのような独立を、本国が容認するはずもなかった。

流れるように勃発した、本国討伐軍との交戦。

 

当時の戴天党の兵力、二千五百。

対する討伐軍の兵力、八千。

正攻法では太刀打ちできない数の差。

 

しかし。

シバの初陣。虚術による空間攻撃。討伐軍司令本部の消失。

散開していた討伐軍は、戦場の内に分断された多数の孤軍となった。

後は、これを狩り尽くすのみとなった。

 

コサイタス単騎による掃討中に、横から攻撃があった。

隣接する魔人新興大国、オーパスからの威嚇。

自分に勝るとも劣らぬほど強い、一個連隊にも値する魔法使い、若き炎の当千術師との出会い。

 

セイロンを退け、オーパスとの無用の戦いから離脱。戴天党は勝利し、独立を守り抜いた。

奇妙なことだが、コサイタスは大体この辺で平衡を取り戻していった。

あの傲慢そうな、そして極めて優秀な炎の当千術師の若者は、しかしヘリオスと出会うことも、道を共にすることもなかった。

彼と違い、ヘリオスと出会えた自分は、運に恵まれたのだ。

あれは、他の者には成し得なかった、ヘリオスと自分だけの、かけがえのない日々だったのだ。

 

理解できているはずもないシバが、唖然とした表情でコサイタスを見ていた。

だが、コサイタスの中では、それまでの喜びや苦しみの日々のことは、それでやっと折り合いがついた。

そういうことだ。それで、いい。

 

***

 

そこからが問題だった。

ヘリオスから受け取ったこの輝きを胸に抱えた以上、自分はこれから、死ぬまでは生きて行かねばならない。

かつて恐れていた通り、ヘリオス亡き後の人の世のことは、およそ真面目にやる気になれなかった。

そうした想いはさておき、戴天党と称することになったこの一大武装勢力の総裁として、手段である人たちを食わせなければならなかった。

 

(なぜ?)

(彼らは何のための手段なのか?)

(主体たるヘリオスは、最早この人の世にいないのに?)

(ならば、自分と、彼らと、この組織の存在意義は、一体どこにあるというのだ?)

 

あまりの下らなさに、およそ付き合っていられなかった。

だが、そう言ってもいられない。存在意義など無くても、そこに組織は在り、人は居る。である以上、それらは何とかせねばならない。

 

(自分が?)

(この世界に、どこまでも果てしなく失望している、この私が?)

(いかなる理由でそんなことができるのか?)

 

***

 

そして、馬鹿げたことを始めた。

この世に付き合うだけの、新たな理由を探し始めたのだ。

 

それは戴天党にとっても、決して無意味なことではなかった。

 

仕事組織は、大きくなることがある。特に、安定した存続のためには。

いったん大きくなった組織の拡大を止めることは難しい。不用意な自制が組織の存続を損なうことも多々ある。

 

大きくなった組織は、単なる存続のためだけでも、途方もない費用がかかる。

誰もが顔見知りであるとは限らない規模の組織の、単なる存続のために、集金をするのは難しい。

誰しも、まるで親しくない他人のために、望んで捧げるとは限らないからだ。

 

それ以上の、しばらくの存続を保証する、潤沢な資源の調達のために。

人々が支持するに足る、迫力のある目的と計画。

そういうものが、大いに必要とされていた。

 

***

 

かつて、ヘリオスが語っていた、途方もない話。

天にまします、とはいうもののかなり低い軌道を周っていると推測される、五芒星型の奇妙な人工衛星ら。

三ツ星衛星。

記憶が曖昧だった頃の、ヘリオスのいたところ。

 

超人機械。

人間が作り出した超知性体。その知性は、自らで自らを高め、遂には人間の理解が及ばなくなる地点まで到達したという。

人間は超人機械に様々な超人的な奉仕を要求したが、超人機械は人間の望んでいない、理解に苦しむ形でそれらを実現したという。

なぜ超人機械がそんなことをしていたのかは誰にも分からない。

ともかく、コサイタスら魔人や、人の隣接種にして家畜たる鵺や、竜やその他の様々な生体兵器や、ヘリオスら不死者は、そういった過程で超人機械が造った存在だという。

不死者を造ってしばらく後、超人機械からの音信は途絶えた。行方は誰も知らない。

 

まともな魔人の感覚では、そんな理解不能な超知性体を神の如く信じ、あまつさえ地上を地獄に変えられた後でも従っていた人間は、賭けに身を委ねて破滅する愚物とさして変わらない。

とはいえそもそもコサイタスはまともでないので、かつて魔人学校の教師の語った、超人機械だの神だのの話に、反感以前に興味を持てていなかった。

宗教の克服は魔人が人間に精神面で優越している証拠である、という自種族中心主義に帰着する話に、自種族からの外れ者としてはおよそ共感を覚える余地がなかったとも言える。

 

ヘリオスの故郷たる三ツ星衛星は、超人機械の居城か、そうでなくても最先端技術のある牙城であろう。

それに到達すれば、莫大な資源と知見が手に入るに違いない。それらは自分たちの地位を盤石にするだろう。

ひょっとしたら、その資源と知見は、この下らない人の世界を覆すものかもしれない。

というのが、ヘリオスのしばしば語る、壮大な野望であった。

 

人の世でない、ヘリオスの故郷、天国というものがある。

 

ここではないどこか。

それは人の世における地獄を直ちに救ってはくれない。

だが、素晴らしい何かがただ単に存在することで、別の呪わしい何かにうんざりした人の心を、少しは安らかにして慰めてくれることがある。

 

それはそれで、いい話ではないか。

というより、そういうのが人間にとっての、神や天国の効用のうちなのであろう。そういうことなら、まあ、分からなくもない。

そんな程度のことを思った記憶がある。

 

***

 

かつて夢物語の如く聞いていたそれが、もはやコサイタスの寄りすがるべき、新たな指針となっていた。

 

魔人が馬鹿にしていた信仰というものを、こうして自分が胸に抱いている。

 

「人のためとは何なのか。」

 

そこの価値観からして、当の人全般のそれとはかけ離れている、余計なことしかしない超人機械ではなく。

天啓をもって運命をもたらし、つまりは見守ってくれているヘリオスへの、自分だけの信仰。

 

自分がヘリオスと出会い、あの当千術師がヘリオスと出会ってなかった偶然が、意味のある符号に見えてきた。

これは天啓だ。コサイタスは試されている。

 

「お前はヘリオスに選ばれた者である。その価値を胸に、生きよ。」

 

それこそが、自分に与えられた神からの任務、天からの使命なのではないか。

そのように思われてならなかった。

 

自分にそんな奇妙な思考が芽生えるとは、コサイタスのまるで予想の外にあった。不思議なものだった。

自棄になっていたのは否定しがたいところだった。

 

***

 

人の世の現実を生きる多くの部下は、コサイタスの話を聞かされて、ついていけない、という困惑の表情を浮かべていた。

技師や科学者たちの一部は、意外にもこれに強い魅力を感じたようだ。彼らは以前よりはるかに熱心に自分に付き従った。印象を改めた、といわんばかりの、輝く表情を見せていた。

 

「そうか……ヘリオスの夢を、お前が継ぐのか。

お前にもそんなところがあったのだな。

ヘリオスも喜んでいるだろう。」

 

奇妙にも、やはり生き残りのオスカーが喜んでいた。

世俗世間の、全身人間力の塊で、およそうわついた夢に興味のない男だったはずだ。

しかし。

 

「大きな組織をやるためには、大きな経営と、そのために役立つ、大きな目的が要る。そうだろうオスカー。」

 

そもそも、これは、この男がよく言っていることだ。

自分の口からこのような言葉が発せられるとは、よもやオスカーも思っていなかったようだった。

感心したような、困惑したようなオスカーの顔を、しかしコサイタスは、もう見ていなかった。

 

コサイタスもオスカーとは決して短い付き合いではない。知らず知らずのうちに影響を受けているのは、こうしてみると認めざるを得ない。

そして、必要とあれば、コサイタスもオスカーのような真似もする。もちろんおよそできているとは言い難いし、柄にもないことをしているのは確かだ。

 

そして、この男自身も、知らず知らずのうちにヘリオスの影響を受けていたのだろう。

だから、柄にもなく、ヘリオスの野望に動かされ、ヘリオスの野望を継ぐコサイタスに感銘を受けているのだ。

ヘリオスの遺志が、直接的にも間接的にも、自分に伝わっているのだ。そのようにコサイタスには感じられた。

 

***

 

とはいえ。

 

(そうか。まぶしいのか。自分の世迷い言が。そんなにも。)

 

コサイタスの心は、依然冷えていた。

 

自分は、手段である人たちを食わせ、失われた主体であるヘリオスの夢を追うための、ただの機能だ。

やりたいことのない自分が、不毛な現実、下らない人の世を受け入れられないから選んだ、それなりに意義のある道を進んでいるはずだ。

しかし、本心からやりたいわけではない。あの素晴らしいヘリオスに付き従い、まばゆい視界と共に、充実した生を実感できた、あの日々に比べたら。

こんなものは、生き残ってしまった者による、後始末のような余生でしかない。

 

ひどく、殺伐としてきていた。

 

******

 

『迷走思考』

 

自分に付き従うシバに、思うところは多かった。

 

彼に付き従われていること自体は、大変有難い。

だが、自分は付き従われるような分際の者ではない。

そして、結局、彼に頼ることは多い。やはり有難いとしか言えない。

とはいえ、突き詰めれば自分ですら本気になれていない目的のために、あたら若いシバの人生を消耗しているという事実が、コサイタスを酷く苦しめた。

 

思い通りにいかなくなることがあり、苦悩が募ることは多々あった。

そんな時、哀れなシバに、しばしば当たり散らすことがあった。

 

「不死者を処分!? また!?」

「済みません。今回も完全に非協力的な態度で、攻撃されたんで、応戦するしか……」

「……お前が生還したのは良かった。だが、分かっているだろう!? 私がどれほど不死者を求めているか……」

「本当に済みません……」

 

酷い話である、という自覚はあった。

悪いようにはしない。という己の中の誓約を、こうして何ら死守できていないではないか。

 

「なぜだ!? 仲間として受け入れるには、下らぬ者だったのか?」

「それは、その……まあ、あれは完全に敵っス。一緒にやっていく気もなさそうでした。」

「……まあいい。お前はお前なりに考えたのだな。そういう者なら、私も失望していたかもしれない。お前の優しさだと思うことにしよう。しかし……やはり納得はできない……」

「本当に本当に申し訳ないっス……」

「……まあいい。だが、次は極力粘り強く交渉しろ。少しでも仲間として受け入れられる余地があるなら、是非引き入れたい。不死者は我々虚術使いと同様に希少だ。惜しい……」

「……」

 

沈黙が場を支配した。

シバがいたたまれなくなっているのは見て取れた。

こういうところも、コサイタスとシバとでは違う。

 

***

 

コサイタスは黙考し、ややあって口を開いた。

 

「夢を実現しろ。シバ。」

 

それは手段である人たちを食わせ、素晴らしい存在を失った自分を人の世に留めてはいる。

達成も解消もされない、そこに残ったまま在ることに意味がある、仮初の下らない夢だ。

だが、本当は。

 

「お前はそんなものから解放されなければならない。

だからこそ。

さっさと終わらせてしまえ。

問題は解決するまで消滅しない。ならば、解決するまで、やるしかないのだ。

そうすれば、お前は自由になれる。私の夢からも、私からも。」

 

そういう混乱したことを、コサイタスはしばしば口にした。

 

シバは、困ったような、聞き飽きたような顔で、その話を聞いているのが常だった。

こんなことが常であるような時点で、だいぶどうかしていたとも言える。

 

「俺は、総裁から束縛されているとは、かけらも思ってないっスよ。

総裁には恩義があるし、尊敬もしてるんで、俺の心からの気持ちで仕えてるんス。

真剣に心配してもらってるのは有難いっス。でも、負い目を持たれるのは、正直嬉しくないっス。」

 

かつて彼に劣悪な環境を強いていたメイミョーの研究員たちの軽い口調が、未だに残ったままで、シバは真摯にもそう答えていた。

 

「そうなのだろうな。

しかし、そういうことではないのだ。結果的には束縛しているのと同じことなのだ。

こんなことは早く終わらせなければならないのだ。分かってくれ。」

「はぁ……」

 

***

 

そういうことではないのは、自分の方だった。

本当は分かっていたのだ。

シバを解放したいのならば、そんな自分のかけた呪いなど放棄して、自分のことも他の者たちのことも顧みず、直ちに解き放てば良かったのだ。

 

彼は自分の側に留まりたがるだろう。

だが、彼は自分とは異なる自我がある。

自分にはない共感能力もちゃんとある。

そして、自分なしでもどこにでも行けるだけの強さがある。

 

彼にもやるべきことがあるのだ。

呪うべき母国、メイミョーへの復讐。

それを、やりたいように、やらせてやればいいではないか。

 

その後、迷いながらも、彼の道を行けばいいのだ。

懐かしくなったら帰って来て、一人の人同士として語らってもいいのだし、もちろん彼一人の道を進んで、そのまま帰って来なくてもいいのだ。

多分、それが、親離れ、子離れということなのだろう。

 

「私はお前に、自由に羽ばたいて欲しいのだ。

私の手で飼い殺しになっていてはいけない。

それではメイミョーと同じだ。」

「もう既に自由に羽ばたかせてもらってるっス。

あの頃に比べたら、マジで天と地ほどの差っスよ。」

「そうかもしれない。

尽くせぬまでも、そうしてきた。

だが、こんなものでは足りない。」

 

ヘリオスも、自分を解き放とうとしてくれていたのだろうか。

愛していて、しかも解き放とうとしてくれたのだろうか。

ヘリオスは決して親ではなかった。

だが、ある意味、コサイタスとの間の子離れを、済ませたことになる。

そう言うことを、没後も、コサイタスに教えてくれる。

やはり、素晴らしい存在だったと思う。

 

それでも、コサイタスは解き放たれなかった。

自分の中に依然吹き荒れる虚無の旋風を、最早止められなくなっていた。

自分を顧みず、仮初の夢を捨てる、そんな勇気はやはりなかった。

既に、シバも含め、他の者たちを大規模に巻き込んでいるのだ。

今更、あれは虚構だ、などとは言えないではないか。

 

***

 

「ヘリオスの夢、私の夢に、私が付き合うのは簡単だ。

それに、戴天党は、大きな活動に値する、大きな目的を必要としている。

私の夢に彼らを付き合わせているのには、そういった意味もある。」

 

違う。

これは、他の者たちのことを内心言い訳にしているだけだ。

本質的にはやはり、自分は自分だけが大事な、下らない者である。

そこはせめて、自分は自分を欺いてはならない。いつだって欺いてばかりではないか。

 

***

 

実のところ、気付いてはいた。

仮初の夢に少しずつのめり込んでいく、自ら欺かれていく、そんな自分の変容に。

我がことながら、奇妙としか言いようがなかった。

 

ずっとやっていくうちに、それがもはや自分と切り離せなくなってきたからなのか。

そんなことで、人は本気になっていってしまうものなのか。

理解に苦しむが、現にこうなのだ。

 

ならば、認めるしかあるまい。

自分にはそういうところがある。

自分で自分を、進んで、望んで、欺いている。

 

かくして。

今や、星への意志は、コサイタスなりのささやかな熱意と執着を帯びたものである。

 

***

 

ひょっとしたら、自分の知らない、ヘリオスの手がかりがあるかもしれない。

 

生前のヘリオスが語ったように、三ツ星衛星には不死者の生えてくる大樹があって、そこにヘリオスの本体がいるかもしれない。

あるいは、新しいヘリオスが生まれ直しているかもしれない。

単純に、死んだから天国に行った、否、還ったのかもしれない。

 

地上にも似たような樹海がいくつかあった。不死者の生える木はないが、魔力に影響のある、魔人にとっては有害な地。

三ツ星衛星は、それら樹海の親である。そう、アマチは言っていた。

 

ヘリオス本体や、新しいヘリオスが、自分のことを覚えてくれている保証は一切ない。

だが、それでもこの世に生を受けて、生きていてくれていること。それだけで、大きな意味がある。

 

もし。彼が彼のままで、自分のことを覚えていたとしたら。

 

会いたい。

会って、また、話がしたい。

 

***

 

馬鹿なことを。

そんなのは自分で自分を騙しているだけだ。

という思いが、コサイタスの中にも、もちろん強くある。

 

だが、虚構が人の意志を動かし、新たな事柄を可能にすることがあるのを、コサイタスもいい加減もうそろそろ理解してきていた。

何しろコサイタス自身が、夢という名の絵空事の力を、こうして縦横無尽に振るっているのだ。

そうした欺瞞は、現実や真実と同様、これはこれで力強く、たいしたものなのであろう。そう、認めるべきであった。

 

自分もそれに、自分の意志で乗せられている。

否。

乗っていくのだ。

 

たとえそれが欺瞞であり、虚無であり。

その向こう側に何もなくても。

自分は、もう、構わないのだから。

 

***

 

「とはいえ、お前をそれに巻き込んでいることについては、やましく思うのだ。」

「水くさいっスよ総裁。俺は……俺が望んで、総裁の夢に付き合ってるんス。」

「そう。お前にそこまで言わせている。

それはお前の尊重すべき自由意志だ。

だか、私が余儀なくしたものではないのか。

自由意志に濁りをもたらすことを、お前にしてはいないだろうか。

そこだ。やましいのは。」

 

誰にもねじ曲げられない自由意志。

そんなものがあるか、ないのか、どうなのか、コサイタスにはよく分からなかった。

 

誰かの声に呼応することは、自由意志であるように思える。

では、己の声に相手を呼応させた場合、それは相手の自由意志になるのだろうか?

そこがどうにも引っかかる。

程度の問題というのが、あるのではないか。

 

己の声の他に、何も与えず、何も手に入らないようにする。

そういった類いのことを、してはいないか。

平たく言えば、自分のある種の身体の延長、操り人形にしてはいないか。

宿っているのは、自分が歪めた、自分の精神の延長に過ぎないのではないのか。

 

それでは、シバの精神だったものは、既に染められ、汚され、損なわれ、失われているということではないか。

論外だ。

自由意志以前のところで、完全につまづいていることになる。

 

そんなことは何としてでも避けねばならなかったはずなのだ。

シバのためと称するなら。

死守すべきシバを、己の手で破壊してはならないに決まっているではないか。

 

だが。

 

「そんな!

それに……いろいろあって、いろいろ考えた上で、結局俺はこうしてるんス。

だったら、それが全部っスよ。

本当っスよ! マジっス!」

 

シバは仰天と困惑がぐちゃぐちゃに混ざったような顔で、胸に手を当てて、訴えるようにそう叫んでいた。

 

なぜかはよく分からないが、コサイタスの目頭と鼻腔の奥に、湿度を伴う刺すような痛みがあった。

 

ああ。

真っ直ぐな青年が、目の前にいる。

出発点も軌跡もねじれてはいたが。

よくぞここまで持ってきた。育った。

彼もまた、こうして形を備えた、この世の一つの奇蹟だ。

心から、そう、思った。

 

「ああ。

シバ、お前はたいした者だ。

そう、本質ではなく、全体が大事なのだ。

自由意志の全体を、お前はやっている。」

 

そして、愛の全体をも。

 

素晴らしい日々をくれたヘリオスや、こうして自分に尽くしてくれるシバ。

彼らに愛された自分は、過分な果報者である。

 

***

 

「そして、お前は私に、本心から仕えてくれていると思う。

私はお前に、それほどのことをしてやれているのか、しばしば確信が持てなくなる。

どうすれば報いてやれるだろうか……」

 

そう。自分が大事なのは簡単だ。愛などなくてもできる。

どんなに自分が無能でも、下らなくても、忌まわしく感じられても、いとも容易く行えるみすぼらしい行為だ。

少なくとも、自分にはそういうところが、かなりはっきりとある。よく分かっていた。

 

そして、もちろん、それだけでは駄目なのだ。

自分と関係なく、他人が大事だと言い切れるようでなければ、依然として自分に愛は備わっていない。

 

では。

自分は本当に、ヘリオスもシバも、愛していると言い切れるのか?

ふと、そう思う時がある。

冷たくなった死体に触れる時にも似た、震えるようなやましさが、常にあった。

やはり、自分のヘリオスやシバへの感情は、愛ではない、もっとおぞましい何かであるのか。

愛でないなら、それは一体、どういった妄執なのか?

 

そんな、答も出口もない思考が、コサイタスを常に苛んでいた。

 

「総裁のお気持ちも、俺へのお気遣いも、本心っスよ。

そこは俺にはちゃんと伝わってるっス。」

 

コサイタスは無言でうなずいた。

伝わっているが、理解はされていない。そんな手応えがあった。

もどかしさはあるが、それはそれでやむを得まい。

他人のことが分かると、軽々しく思ってはならないのであった。

それは、他ならぬシバを育てていて、極めて強く学びのあったところなのだ。

 

そのシバに、なおもこうまで想われて、むしろ有難いと言うべきなのだろう。そういう認識があった。

 

とはいえ。

依然。

納得からは、程遠かった。

 

******

 

『消息不明』

 

シバを自分の呪いの夢から解放することは、遂に叶わなかった。

 

領有都市イスパノへの、魔人国家ダルガパルからの奇襲。

時を同じくして、領有都市サーデリーへの、メイミョー技研団・魔人国家ハイデラバード連合勢力からの奇襲。

 

メイミョーらとの交戦による、シバの負傷。

帰投、なし。

 

余程の深手と判断された。

生きて帰れぬ致命傷なのか。

それとも、メイミョーに埋められた、制御脳の破損か。

 

***

 

知能と理性を失いたくなかったら、制御脳は修理せねばならない。

そんな技術はメイミョーにしか存在しない。

だが、彼らの靴底を舐めに降るなど、真っ平御免だ。

 

そして、獣に戻ることは、到底受け容れがたい。

シバはコサイタスに人としての喜びを教えてもらったのだから。

 

だから、制御脳を損なった場合、人のまま、自ら死を選ぶ。

 

そう言うことを、シバは口にしていたことがある。

 

「そうか。」

 

コサイタスはその時の、砂を噛んだような困惑をよく覚えている。

 

「いざとすれば、好きにしろ。お前の一番やりたいことをやれ。

もはや、私や、他の者のことは、気にするな。」

 

そうした類いのことを、言ったような気がする。

 

武装勢力の長としては、勢力均衡も何もあったものではない、無責任な言葉ではあるのだろう。

しかし、子の呪いを解く、その一点においては、これしか言えないとも感じた。

 

***

 

人の世に在りたかったシバ。

そんな彼が、人でなくなる。彼でなくなる。

そしておそらくは、メイミョーに駆除されるか、あるいは再び実験動物として鹵獲されて、避け難く死ぬ。

そのことを思うと、なぜかはどうにも分からないが、ひどく胸が痛んだ。

 

***

 

後に、報告があった。

メイミョー首府中枢消失。

広域に渡る、えぐれたような穴。

シバの虚術による空間攻撃と考えるのが最も自然だった。

 

人間たちの世界連合軍との関係を巡って、メイミョーの中では離脱派と残留派の間で対立があり、挙国体制は取れない。

まして、意思決定者たちがいなくなったのだ。当面は動けなくなるだろう。

 

とはいえ、少なくとも一国家と一国家との間として見れば、戴天党とメイミョーとの交渉の余地はかなり深刻に損なわれたと言えよう。

この手の成り行きを嫌うオスカーは、さぞ苦悩することだろう。

そのくらいのことは当然考えた。

 

様々な思いが浮かんでは消えた。

 

だが。

 

「やったなあ。シバ。」

 

ぽつり、と呟いた。

 

とにもかくにも、シバはこうして、本懐を遂げたのだ。

 

そして。

 

養父としてのコサイタスにとって、これの意味することは一つ。

シバに、いざという時がきたのだ。

メイミョーへの復讐を優先したということは、まともな形での戴天党への帰還は、もはや叶わぬということだ。

 

******

 

『自殺行為』

 

無で満たされた空間が、少しずつ縮んでいき、遂に根こそぎ削り取られた。

そんな、恐るべき閉塞感があった。

ひどく奇妙なことだが、肩を落としたり、首を垂れたり、頭を抱えたりした。

 

これが自分のやってきたことか。

自分は彼の人生を、結局はただ呪いで染めて、しかも終わらせただけではなかったのか。

ヘリオスに続いて、シバまで喪うのだ。

がらんどうのコサイタスにとって、およそ耐えられる事態ではなかった。

 

自分は恥ずべき存在だ。そして、罪深い。取り返すべき自尊心も、償う術もない。

素晴らしき存在との過去も、信頼できる存在の未来も、こうしてただ在るだけの自分も、何もかもが無駄だった。

すがるべき過去も、目指すべき未来も失われた現在が、こんなにも苦しいものだとは思わなかった。

 

全てが閉じている。

何も、ない。

これでは、在っても、何の意味もないではないか。

 

そうした虚無への、逃れ得ない恐怖だけがある。

 

***

 

そして、義務感も、わずかながら残っていた。

生きることをやめたいのだとしても、それはそれで、自分は機能を全うせねばならない。

 

後続たちには、自分の仮初の夢を、できるだけ整えた状態で託さねばならない。

そして、これからを生きる者たちには、武装勢力の長として、脅威を可能な限り削ってやらねばならない。

自分には未来はもうないが、彼らには未来がある。

 

自分ならできる。自分にしかできない。

自分がやれるだけのことを、全部やろう。

 

***

 

そして。

緊急事態は足元にも迫っていた。

 

最大の脅威、敵一大勢力、クメル軍閥。

戴天党に比べ、技術力には劣るが、兵力の多さにおいては赤子と大人ほどの開きがある。

 

そして向こうも馬鹿ではなかった。

戴天党が奇襲を受け、主だった人員が命を落としたこの時点で、正面から総攻撃を仕掛けてくる動きがあった。

その数、二万超。

ふつうに考えたら、絶対に勝ち目はない。

 

コサイタスは直ちに最後の仕事に取り掛かった。

進軍するクメル軍閥方面軍に向けての、たった一人の反攻。

 

かつて、ヘリオスからの示唆を受けて、我が物とした大技。

交渉や賠償の余地をなくし、敵から永遠に忌み嫌われ、全てを終わりにしてしまう、破滅への道。

だからこそ、戴天党となってから、長らく使ってこなかった。

だが、全て終わることを己が受け入れるなら、数的にも物理的にも、これが最も効果のある手段だった。

 

何もかも巻き込み、凍結させる、絶対零度の低気圧。

気象災害攻撃。

『ゼロ旋風』。

最大出力。

 

(後続に道は受け継がれた。)

(私はここで終わる。)

(これでいい。)

 

禁忌廃術、解放。

『ロアテックロード』。

 

***

 

本当のことを言うならば、サーデリーに侵略してきたメイミョーらを、その時点で可及的速やかに撃退せねばならなかった。

だが、それは間に合わなかった。

しばらく、流民が発生する。

適正に対処する余裕が、または流民たちが指示に大人しく従うほどの権威が、果たしてこの時点で戴天党にあるかどうか。それすらもおよそ疑わしかった。

何せ、流民たちは現に住む家から放逐されたのだから。信頼は失墜していると考えた方がはるかに自然だろう。

 

領有都市にして首府、戴天市の防衛を実質的に放棄、戦力を分散した。

やむを得ない。この非常時に、戴天市は大人口を支えきれない。

それに、クメルが即断即決で行軍行程を切り替えて、万一コサイタスが彼らを全滅しきれず、そして残存兵力の数が多かったら、戴天市の防衛戦力の方が全滅させられるだろう。かなり高い可能性として考えるべきだった。

もしそうなったら、戴天市陥落後、ゲリラ戦による抵抗の方が、まだ目があるくらいだ。

 

住民が逃げているらしい。コサイタスの行軍行程とは別の道だ。それはいい。

彼らがサーデリーの流民と出会うこともあろう。事態を把握したサーデリーの流民たちは、戴天市への避難を断念する可能性が高い。

その代わり、戴天市とサーデリーの流民たちは、混乱と恐慌の激流に叩き込まれることになるだろう。

棄民政策と言われても、何一つ仕方がないところだった。

 

また、ゲリラ戦をやるにせよ、長引けば長引くほど、協力者であるそこの住民たちの信頼を損なうことはどうあっても避けられまい。

戴天党のさらなる弱体化が待ち受けているだろう。

 

これらを取り返すために、オスカーにはさらなる苦労をかける。

星への道が成就すれば、この逆境も、いずれは盛り返せるのだろうか。

そうであるにせよ、ないにせよ、当面は厳しい時期が続くだろう。

 

(頼むぞ、オスカー。無理を強いるようだが。)

 

そして、なおも、コサイタスの中では、そういった流民たちの苦しみについての感慨よりも、やるべきことを全てはやれていない口惜しさの方が勝るのだった。

こんなことで総裁だとは、おかしな話だ。さぞや皆も迷惑してきたことだろう。

 

***

 

オスカーはシバの救出を考えている。未だ諦めていない。

 

やはり、生者の側の発想だ。

 

この男は、己の人生を進むことに長けているから、ここまで来られたのだ。

どうすれば己の人生を全うできるかについて、たまに口にすることがあった。

が、それも、気にかかっている程度で、そこまで深刻には考えていないように見えた。

それはそうだろう。武装勢力の長の一人としては、状況を先に進めることの方が、常にはるかに優先される。

 

だが、コサイタスは、シバは、何かあるとそのことばかり考えていた身だ。

妙な話だが、ここについては、自分たちにはオスカーより一日の長があった。

コサイタスに限って言えば、武装勢力の長の一人としては、やや奇妙な思考なのかもしれないが。

 

シバは死に瀕しており、だから死の前に悲願を果たした。

もちろん、シバが生きていれば、それは素晴らしいことだ。奇蹟と言っていいだろう。

死ぬとしても、やりたいようにやった後なら、きっと悪くない。悔いを残して死ぬよりは、はるかに。

彼は、少なくとも、全うしたのだ。

 

***

 

それとは別に。

 

自分はシバに報いてやれなかった。

シバは自分で自分に報いた。

そうしてシバは報われた。

自分にはできなかったことだ。

自分は、確かに、安堵した。

 

そんな自分の身勝手な思いを、恥じる自分がいた。

 

自分はシバより長らえたくはない。

子である彼が死ぬ前に、親である自分が先に逝くべきだろう。

手遅れになってはならない。という想いが強くあった。

間に合ったらしい。と、そう自分で納得して死ぬなら、きっと悪くない。おそろしく身勝手な話ではあるが。

 

***

 

あるいは、もうシバは死んでいるのかもしれない。手遅れなのかもしれない。

だが、そうだとしたら、なおさらこうして生きている理由が存在しなかった。

一刻も早く死ぬべきだ。養子を先に死なせた養父としては。

これもまた、酷く身勝手な想いであろうが。

 

***

 

武装勢力の長として、養父として、やるべきこと。

敵をできるだけ多く滅ぼすこと。

そして、養子を自分より先に死なせないこと。

あるいは、養子を自分より先に死なせた罰を、もはや償えなくとも、果たすこと。

 

それらの総和としての、クメル軍団との心中。

これがぎりぎりの妥協点であると同時に、最善の選択肢であろう。

 

とはいえ、最悪の中で採りうる最善だ。

こんなものを最善とせねばならない時点で、駄目な事態であるとしか言いようがなかった。

 

***

 

つくづく、下らないことをやっている。

考えてみれば、どれもこれも、全て人の世の事ばかりだ。

人の世は、やはり、下らない。

 

とはいえ。

(結局自分は、人らしいことを、最後までまともにやれてはいなかったな。)

そんな他人事めいた後悔が、コサイタスの胸中に、確かにあった。

 

(続く)

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