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羽化ーートランクスをめぐる冒険

物心ついたときから穿いていた純白のブリーフ。
ボクサーパンツなどなかった時代、中学生になった私の前に現れたのは、トランクスという大人のパンツだった。

母親の買ってきた白ブリーフから、自分で選んだトランクスに穿きかえる。それはせみの羽化と同じだった。大人への階段である。

『ドラゴンボール』にもトランクスというキャラクターが登場するが、未来からやって来たやはり髪がサラサラのイケメンだった。

当時の私にとって〝トランクス〟とは憧れの存在だった。

中学1年の夏休み、陸上部の私は毎日学校のグラウンドで練習していた。
私はスプリンターで、ルーキーの4番手だった。もうすぐ試合が迫っていた。

その日、顧問からユニフォームが配られた(もちろん自費である)。
ライバルのT君にタイムでり勝った私は、アジア大会でメイン会場にもなったスタジアムで出場の機会を獲得していた。花形の100メートルはエースが出るので、たしか200メートルだったはずである。

部活終わり、水飲み場でキャッキャとはしゃぐ阿呆あほうがいる。指で蛇口を押さえ、水を霧状にして「虹が見える!」と騒いでいる。

オトナの私は、「中学生にもなって、そんなガキみたいな遊びやめろや」と同級生をたしなめるわけでもなく、もとい白ブリーフの私は、キャッキャキャッキャと一緒にはしゃいでいた。
部長に注意されるころには、体操服はパンツまでびしょ濡れだった。

帰りは制服に着替えるものの、夏とはいえ、びしょびしょの下着で帰るわけにもいかない。

――妙案が浮かんだ。先ほどもらったユニフォームの短パンを、下着代わりにはいて帰ろうではないか! 憧れのトランクスの感覚も味わえて、一石二鳥である。

制服の長ズボンの下にはいたユニフォーム。サテン地で妙に肌触りがよく、そして股間がスカスカだった。なんたる開放感! 自由が現前していた。
私はひと息に大人の仲間入りした気がした。無敵だった。スーパーサイヤ人になった気分だった。

蝉の抜けがら(白ブリーフ)をカバンに突っ込み、私はルンルン気分でおうちに帰った。
うれしはずかし、私にとっては冒険だった。

帰宅してからも新しいブリーフには着替えず、その日はそのまま〝トランクス〟をはいて一夜を過ごした。母親には内緒だった。

私はパジャマと一緒に〝秘密〟を抱えて風呂場に向かった。そして10分後、また同じ〝トランクス〟をはいて部屋に戻った。

カギをかけ、パンツ一丁で過ごしてみる。風呂あがりは格別だった。
だが、ときおり〝トランクス〟の隙間からコンニチハする息子に目がいき、気分をがれた。羽化にはまだ遠いようだった。

翌朝も〝トランクス〟をはいて学校に行った。結局、三日三晩、同じパンツを穿くことになった。

しかし夏場で、しかも毎日部活で汗を流して、さすがに常軌を逸したニオイを放つようになった。

やむなく愛しの〝トランクス〟を洗濯に出した。つらい別れになると思われたが、案外、出戻りのブリーフは居心地がよかった。

ユニフォームの〝トランクス〟を穿いて、家と学校を行き来する。そんな冒険の日々を過ごすうちに、陸上の試合当日となった。

前日、母親に洗濯してもらった〝トランクス〟を、その日はユニフォーム然とカバンに入れ、チャーター・バスでスタジアムに向かった。

蝉しぐれとアナウンスが鳴り響くスタンドにて、私は乾いた口でカロリーメイトをかじりながら、自分の出番を待っていた。

まわりでは私のライバル、T君がみんなにチヤホヤされていた。

私が本大会のチケットを手にした一方で、5番手の彼は、スタジアムわきの補助グラウンドで行われるサブ大会に出場し、みごと優勝したのだった。

「T君、1位なんてスゴイじゃん」

女子の先輩から声をかけられ、「いや、サブですから大したことないですよ」と謙遜けんそんしつつも、顔はまんざらでもない様子である。

私は苦虫をみ潰したような顔で、出場選手の集合場所へと歩き出した。

――試合を終えた私は、トラックのはずれのベンチに座り、コンクリートの地面を見つめていた。視界には親に買ってもらったスパイクと、蝉の死骸しがいが映っていた。

茫然ぼうぜんとしながら、私はしばらくそこで時間を潰していた。

5万人収容のスタジアムで、最下位というのはなかなか身に応えた。みんなに合わせる顔がなく、スタンドに戻るに戻れなかった。

私は緊張と羞恥心しゅうちしんで、普段どおりの走りができなかった。
ひと夏を経て、私のなかでユニフォームの短パンは、すでに〝トランクス〟になっていたのだ。

5万人収容のスタジアムで、トラックを下着姿で走るのは、思春期の私には非常な恥辱ちじょくだった。
私の前を行く7つのゼッケンを見送りながら、内股気味にトコトコとついていく、滑稽こっけいな姿がありありと浮かんだ。私は死にたくなった。

1時間ほどしてスタンドにやっと戻ると、女子の先輩から、「箱男くん、ジョグ(ジョギング)みたいな走りだったよ」ライバルをほめそやした同じ口でそう言われた。

2学期に入ると、T君のなかで〝ドベ〟の私は格下扱いになっていた。

3番手のエースが野球部に転部したのだが、T君は自分のことを〝ナンバー3〟と呼称しはじめた。私に反論の余地はなかった。

1年生が終わると、私はスパイクとユニフォームを部室に残して、陸上部から姿を消した。
ひと夏をともにし、そして押し入れにしまいこんだ〝トランクス〟も置いていった。

その後、私は陸上部から卓球部に転部して、3年生になると、さらに将棋部へと移籍した。部活のカーストを転がる石のようにちていった。

もっとも卓球部も将棋部も名ばかりで、実態は幽霊部員だった。卒業アルバムの部活紹介にすら写っていない。(いや、絶対に写らないよう苦心した結果だ)

中学1年の夏、私の大人への冒険は無残なかたちで幕を閉じた。

いまではボクサーパンツに転向してしまったが、ひと夏を過ごしたあのサテン地の感触を忘れない。
ルンルン気分でおうちに帰った、あの少し背のびした夏のことを。

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