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梅田哲也展 待ってここ好きなとこなんだ@ワタリウム美術館

先月の27日に予約して観に行った梅田哲也展。別府の芸術祭には行けなかったので気になっていたのだ。美術展にしては高額の2800円、完全予約制のツアー???ツアーそのものが観客参加型の作品だった。受付をすませて、時間になったらエレベーターで上階に送り込まれて…旅が始まる趣向。

しばらく放置される。エレベーター前のスペースにはトイレと階下をのぞく吹き抜けがあるだけで、作品的なものは見当たらない。隠された仕掛けがないか、ツアー参加者が各々ヒントをさがすが大したものは見つからない。双眼鏡とか、ちょっとしたオブジェとか。見逃している?可能性はある、見つけられなかったのならそれまで。
メンバーがどう動くか観察する。こういうのはノリが大事だ。みんな冷静、私も調子を上げて盛り上がるのはやめておこうと思った。そういう空気感だった。

次の展開は暗闇と炎と方角が示される。

次にはワタリウム美術館のリアルバックヤードと歴史がわかる小さな部屋

移動中に最終到着地を予感させる仕掛けが合ったり…

そして足場が組まれた空間で、美術館ごと船のように、世界に向けて出帆していく…ここはかなりリアルなダイナミズムが味わえる。

次はまたバックヤードとアーカイブス

気がついたら建物の向かいにわたっていて、対岸の島からぼんやりと美術館を眺めることでツアーが終わる。「これで終わったんですよね?」ガイドもいないので、メンバーがなんとなく確認して、解散した。

シーンはいくつか展開するが、演劇的というには、没入するための仕掛けが少ない。目に入るものはアート作品が展示されていないオフの美術館のようで、展示なのか日常の設えなのか、どちらにも見えるように調整されている。美術館をまるごと時間経過やロケーションごと、青山キラー通りも含めて囲っている感じ。お約束の及ぶ範囲は計り知れない。この台は美術館の備品なのか、作家の作品なのか、どちらでもあり、どちらでもなし。案内人として道程を示す数名のキャスト(俳優らしい)のセリフは、段取りを淡々と説明する場合もあるし、時に演劇めいてもいる。ただの足場を波止場のように言ったり、動く台を「船」と呼んだりする。キャストだけVRをつけていて(もちろんつけてはいない)別世界にいるみたいに。ツアー客も妄想に参加しないと船には乗れないし、大海に船出もできない。

これはツアーメンバー次第、そういう気もする。私のメンバーたちは内気な女性たちと玄人っぽい男性だったから、ノリが悪かった。悪いことでもないが、玄人の傍観的な態度が「ごっこ遊び」の温度を下げていた。作家が望む態度はそういう温度感だったのかもしれない。こういう作品鑑賞に没入感を求めるのは幼稚なのかも。人を憎むとか、諍いを起こすとか、紛争につながるような盛り上がりは、こういうノリにつながる幼稚さと関係が深いという気もする。玄人の冷静な目があること、リアルな社会には錨のような人が必要だ。いや、恐ろしいのは、全くの正気で人を殴れる玄人だけれど、そしてその冷静な暴力性を是とする社会だけれど。私の中にある暴力性と、忘我没入への欲望と、観察眼を意識する。

小学校の15分休み鬼ごっこをするときメンバーは重要だった。ベストメンバーは、目ざとい俊足、策士、すぐ泣く子、大声で喚くやつ、馬鹿笑いするやつなど、鬼ごっこワールドを増幅しうるハイテンションな人とやりたかった。鬼に捕まったとて生死にかかわるわけじゃないが、全員が本気でやらないと面白くない。冷めたやつが混じると白けてしまう。入れないとは言わないけれど、我々の鬼ごっこの温度を下げるな、と念じる。お前、鬼に捕まっても動揺しないのなら、鬼がいる世界に入ってくるな。演劇鑑賞にも通じるけど、そして観客は多種多様でいいけど、ここ重要です。

旅は仲間次第。でもネット予約なので選べない。まるでリアルな人生のような座組、それもまた面白い。自分以外がものすごくクールでも一人熱く没入するもあり、アート史の一コマとして傍観するもありだ。 

ただわかったことは、面白さとダイナミズムはかなりリンクしているということ。私はまだ鬼ごっこがやりたいみたいだ、ということ。

2期は1月16日から28日まで
ArtStickerで要予約 https://artsticker.app/events/18455