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ああ、電車に通過される

各駅停車しか止まらない駅、入構してきた快速は速度を緩めもせずビュンビュン通過していく、ホームに立っている人たちは総じて体をちょっと引き、通り過ぎる電車をやり過ごす。
わかっているんだけど、もちろん。
ここは乗り換え駅でもないのだから、快速は止まらない。

でも、電車に乗ろうとしている当事者として、乗れもしない電車が通っていくこと、乗れない電車が豪速で通り過ぎること、当然のように警笛を鳴らされ、体をひいてやりすごすことに、わずかに傷ついてしまう。
わかっているけれど、もちろん。

当事者の感情というのは、そういうものだし、それはおかしいと、そういう気持ちを覆そうとするのは、ちょっとどうだろう。そんなこと考えてもみなかった、システムを承知の上でその駅を使ったなら、そんな感想を持つのはおかしい…そう思ったなら、飼いならされている。切符を持っている私を電車に乗せないのは、選択がそうさせる、その選択はその人の社会力の問題だと。格差なんだと。それはそうなの、クレームじゃないの。

ただ、毎回、ホームで電車に通過されてしまうことに、悲しみを感じる。ビジネス上の都合だから仕方がないと諦めることと、電車に無視されてしまうことを悲しいと感じる感情を自覚することは全く違うんじゃないだろうか。

私は、通過されながら、毎回悲しい。私を乗せてくれない電車に秋波を送る、ああ、やっぱり、行ってしまうのね…と。一年に一度くらい「快速なので停車しなくてごめんね、あなたが見えていないわけじゃないんだ」とかいう気持ちで警笛を鳴らしてほしいな。