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百六十七話 意外な展開

 聯隊は出発した。國府軍による武装解除を受けるために。

 無理を強いた自責の念があるのか、報復を恐れたのか――将校達は兵隊に姿を見せることを嫌っていた。そのため、意を汲んだ先任下士官達が、中隊の指揮をとる。
 
 先の号泣といい、将校達は浅井にとって意外な面を見せ続けた。
 一方、兵隊達は余裕綽々。小銃を持っていても敵の攻撃を受ける心配はないし、食糧も補給される。永修、徳安を経て、廬山東南にある景勝地・鄱陽湖を通る時など、観光気分に浸っていた。これまでどんな風光明媚な名勝を通っても、どこから敵弾が飛んでくるか判らず、そんな余裕は露程もなかったので、突然別世界が現れたかのようだった。

 九江から船に乗った部隊もあったが、浅井ら支那駐屯歩兵第一聯隊は揚子江に沿って行軍を続けた。安慶の対岸から、徒歩部隊だけ船で下航し、そこから列車で無錫に到着。無錫で國府軍による武装解除を受けた。
 聯隊の大部分の兵が、ここで捕虜収容所に入れられる。道路工事などの使役に従事させられた。
 一方、それらの使役を免除された者もいた。歩兵砲中隊から選ばれた十名である。彼らは、國府軍の兵営内に小屋一軒与えられ上、朝夕食事付きの生活を満喫する。この破格の待遇は、國府軍の兵士に四一式山砲の扱い方や観測器材の使い方を教えるためで、精鋭が求められた。幸運にも浅井は、吉野中隊長によってその十名に選抜されたのだ。

 國府軍の兵営内で過ごすことになった十名は誰からの干渉も受けない。とても捕虜とは思えないフリーダムな環境である。無錫市は隣が蘇州で米が美味い。浅井は朝になると単身一人、國府軍が飯を作るところを見に行った。
 炊飯担当の兵は、米を大きなざるに入れ、兵営の脇の揚子江に通じた運河で米を研ぐ。すぐ近くで女が洗濯していようと全く気にしない。炊事場に戻ると、ドラム缶を輪切りにしたような釜から湯がたぎっていた。その中へ研いだ米を入れ、釜の蓋を閉じる。かまどの火を消した後は、余熱でさらに温める。出来上がると釜ごと営庭に出す。
 兵隊達は常時食器と箸を腰にぶら下げていた。飯時は、腰に下げたアルミの食缶に米を盛り、皆立ったまま食べる。田村班長以下十名もそれに従った。群れに入って同じ釜の飯を共にすると何気に楽しい。通じているかどうか判らない支那語チャンゴを使っても相手にしてくれる。
 昨日までの敵同士、互いに一人でも多くを殺し合っていたとはとても思えないミラクルな状況――辺りは類稀な陽気な雰囲気が醸成されていた。

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