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百八十話 歸宅

 戦死したら公報が届く。
 例え生きているのが確実と思っていても、その噂だけでも先に知りたい。
 
 ラジオでは復員船情報のほか、尋ね人のコーナーも開設していた。
 何年何月どこそこで空襲に遭い、離れ離れになったという人の名前を書き、その人の消息が知りたいと放送局に投書すると、コーナーの時間に流してくれる。リスナーからの反響は大きく、戦後しばらく続いた。

 芳枝は尋ね人コーナーに投稿した。
 コーナーのとりことなり、熱が高じて葉書ハガキ職人となった。
 すでに帰國している軍人の中に、浅井の消息を知る者が居るのではないかと思ったから。
 あの手この手で息子の安否を知ろうとした芳枝であったが、的外れな探索法も多く、手応えはからきしだった。

 そんな八方塞がりに思えた芳枝の元へ、ある日ひょっこりひょうたん島のようにして、浅井が帰って来たのだ。
 第一目撃者は女中。
 自分より先に女中が浅井の帰りを知った――今までの努力はなんだったんだと、芳枝は思うも、目出度いことには変わりない。
 驚天動地とはまさにこのことで、芳枝は慌てて玄関に飛び出した。

 癌か尋常ならぬほど日焼けした浅井が一匹、三和土たたきに突っ立って居る。
 ウッ・・・即座に鼻が捻じ曲がるほどの悪臭が漂って来た。芳枝は勢い鼻をつまむ。
 生きて帰ってきたはいいが、何故浅井が斯様かようにおい立つ汚れた軍服を着ているのか意味不明だった。
 
 「しらみが一杯いるから家に上がれないよ。庭に回るから上から下まで全部持って来てくれ。それと風呂が沸いていればいいんだが」
 年季の入ったホームレズの臭いをプンプンさせて、浅井は半ば平然を装って言った。

 「何言ってるの!今時お風呂のある家はお大臣様だけだよ。庭に回って御覧なさい。塀なんか一枚も残ってなくてびっくりするわよ。みんな誰かに持っていかれちゃったんだから」
「そんなもの持っていってどうするんだ?」
「薪にされちゃってんのよ。兎に角その靴を脱いで下駄履いて銭湯に行ってらっしゃい。知ってるでしょ、踏切の向こうにあるお風呂屋さん。あの辺り全部焼けたのに、あの風呂屋の辺だけ焼け残っているからすぐ判るわよ」

 三年近い空白があったと思えぬ会話だった。
 しかしその間、芳枝は幸せに酔っていた。突然訪れたミラクル。
 汚い軍服の袖から覗く、拳一つ分程出た腕。また、日サロに毎日通っても到底出せない全身の焼け具合(何層に重なった垢によるものだったが)。
 我が子の成長に目を疑った。
 僥倖。満腔のよろこび――何もかもが夢うつつの芳枝は、それほどまでに嬉しくてならなかった。

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