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リナ・ボ・バルディと悠久のイス

休日で、天気がよくて、そんな日は時代も時間も飛び越えてうしろから知らない人に呼び止められることがしばしばある。そうして私は、彼女に出合ったのだ。

建築家で家具デザイナー、ジャーナリストでもあるリナは32歳のときに美術評論家のピエトロ・マリア・バルディと結婚してブラジルへ渡った。そして1992年に亡くなるまでブラジルで活動した。日本へは二度、1973年と78年に来日したことがある。1回目は京都へ、2回目は東京を中心に鎌倉と日光をまわった。なんて建築家らしい旅の日程だろう。その人がその人らしく暮らしている様を見ると心から安心する。それだけで私はすっかり彼女のことが好きになってしまった。

リナの建築の魅力はなんといっても生まれ育ったイタリアの近代建築と、もう一つの故郷ブラジルで出合った素材を組み合わせた、力強くてやさしい、そしていつまで新しくて古い、モダンな作品だ。

展覧会は鎌倉の円覚寺でひらかれた。
ここはリナがかつて旅した土地のひとつだ。垣根の脇、階段の段差、建物の裏、境内のあちらこちらにリナのイスが点在している。土木作業員の粗末な仕事台や汚れた車両、周囲に散らばった花に身を預けるようにしてリナのイスが、ただ、そこにある。長い路を歩いてきた旅人が肩を丸めて座り込んでいるような、そこにいながらどこか遠くの一点を見つめているような佇まいが妙に懐かしい。

赤土、藁、植物、木材。
自然物への造詣が深かったリナはかつて合板ではなくブラジル産の無垢材を採用した家具を製作したことがある。
代表作のGirafa Chairは、直訳するなら「キリンのイス」。ニューヨークの近代美術館(MoMA)の永久収蔵品である、なんて書いてしまうと急に立派に思えるけれど、無論そういうのは作品を評価するための文言のひとつにすぎなくて、一本の楡の木みたいに佇んでいるこのイスは、たっぷりと明るい日差しの注ぐ庭先のほうがずっと似合う。土のなかから顔をだしたようにチャーミングなリナのイス。それはほとんど自然物にちかい。人の手から生み出された神様のイス。

リナが日本に強く惹かれていたことはまちがいない。
そうでなければ何処へでも自由に旅することのできる身分の人間は、同じ国へ2度も足を運んだりはしないから。私の考えでは一度目は好奇心、二度目は、おそらくなにかを確かめるためにやってきた。

雑誌か新聞だったか忘れてしまったけれど、リナは日本の伝統的な木造建築と建具に興味があったと読んだことがある。この旅行が創作活動に影響を与えたことは確かで、二度目に来日した際には当時設計中だった公共施設〈SESCポンペイア文化センター〉の窓のデザインを直線から雲形へ、つまり曲線を用いた形状へと変更している。円覚寺で見た園路を敷地内の歩道に取り入れることもした。

“わたしたちは誰しもみな日常生活のなかで小さな芸術を表現している” (リナ・ボ・バルディ)

邪魔をしないように、旅人を起こさないように、こっそり前を通り後ろをふり向くと、旅人はまだそこにいた。ここからまた、長い時間を歩いていくのだろう。


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