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TVアニメ『ビルディバイド』の健全なる人間讃歌:「春のとまりを知る人ぞなき」についての一解釈

はじめに

根にかへる花とは聞けどみる人の心の中にとまるなりけり
――太宰大貳重家

(『校註 国歌大系 第7巻(十三代集 三)〔復刻版〕』講談社、1976年、233頁)

 2021年10月期と2022年4月期に全24話が放送されたTVアニメ『ビルディバイド』は、実にいぶし銀のカードバトルアニメであった。
 本作は株式会社アニプレックスが初めて手掛けるTCG×オリジナルアニメーションプロジェクト「ビルディバイド」の一環として制作・放送されたオリジナルTVアニメだ。本作では、ビルディバイドの強さがすべてを決する街・新京都を舞台に、新京都を統べる「王」と呼ばれる存在にまつわる種々の因縁が描かれる。新京都はビルディバイドの優劣による秩序を社会基盤としつつ、王が民衆の意思を統合して社会の方向性を決定するという「超民主主義体制」に依拠しているが、現王の掲げる「劣等排他主義」によって、弱者と強者のあいだに深刻な分断が生じるようになっていた。いまや新京都では、弱者は外周地区に追いやられて貧窮に喘ぐ一方で、強者は中心市街で豊かに暮らすことを許されている。しかも、新京都の外には文字どおり何もなく、人々は街から逃げ出すこともできない。そんな閉鎖空間で数年に一度開催されるのが「リビルド」と呼ばれる特別なカードバトルであり、リビルドに勝ち抜き、21枚のキーチップを集めた者は王への挑戦権を得られる。王に勝てば願いが叶う――そんな噂にすがって、人々はリビルドに挑む(リビルド挙行の触書は以下のとおり)。

新京都王陛下ノ命ヲ奉シ
現王即位ヨリ星月巡リ京ハ益々繁栄シ候
以テ王下人民ノ呪力鋭気其ノ向上ヲ感ズルニ至リ候ヘバ
則チ此処ニ
リビルドノ挙行ヲ宣言ス
陛下ヘノ挑戦ヲ志ス王下人民ニ於イテハ
其ノ意志ヲ定シ刻日迄ニ王府ヘ表ス事ト申入候也
定シ刻日トハ本状公開ノ日ヨリ一週後ノ宵トシ候
 新京都王府

(第1話、第23話より)

 新京都に流れ着いた記憶喪失の少年・蔵部照人(CV: 上村祐翔)は、王を倒すという衝動のまま街を彷徨ううちに、謎の少女・晩華桜良(CV: 渡部紗弓)にビルディバイドの腕を見込まれ、桜良の願いを背負ってリビルドに参戦することになる。本作の原案を担当するのは河本ほむら・武野光の『賭ケグルイ』原作者兄弟であるが、照人のギャンブラー的戦術や、「魂を賭けられないやつに勝ちはない」(第2話)、「魂を賭けられない者に未来への道は開かない」(第23話)といった信念からは、原案の両名を含む制作スタッフの「賭け」へのこだわりが見え隠れする。
 本作の美点は、前半と後半で主題の一貫性を保ちつつ、作中の時間経過とそれに伴う主人公の交代によって、異質なムードを取り合わせている点に認められる。前半の『ビルディバイド -#000000-コードブラック(第1話~第12話)は、才能への嫉妬に起因する兄妹間の確執を軸とした照人の成長譚となっている。前半の中盤から終盤にかけて、新京都の現王が照人の双子の妹・蔵部菊花(CV: 芹澤優)であること、新京都が実は仮想都市であることが明かされる。照人は仮想都市に囚われた妹を救い出すためにリビルドを勝ち上がり、強敵となった菊花と対峙する。照人は自分の弱さと向き合い、ビルディバイドで菊花を降して王位から解放することに成功するが、今度は自分が囚われの身となってしまう。後半の『ビルディバイド -#FFFFFF-コードホワイト(第13話~第24話)は、菊花の解放から3年後の新京都を舞台に、二人の少女が手を取り合って照人を救い出す物語となっている。王の使い・KUGE衆の跋扈によって荒廃した新京都で、照人の弟子・棟梨ひより(CV: 古賀葵)と照人の妹・菊花のダブル主人公が衝突と和解を経て、過去を乗り越え未来のために共闘するさまは、バディものとも「百合」とも言いうる「冷静と情熱のあいだ」を存分に楽しませてくれる。
 本作の構成についてはこのくらいにとどめ、本作のモチーフに論点を移そう。本作を虚心坦懐に見て最初に目につくのは、新京都の中心に王府が所在しており、現王が「菊花」という天皇家の紋章を想起させる名前をしているという点だ。また、王が民衆の意思を「統合」するという言い回し(第2話)も、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という日本国憲法第1条を思わせ、本作における「超民主主義体制」とは、立憲主義においても皇室の「おことば」が世論形成に事実上の影響力を持っている現代日本の鏡像のようにも見える。しかし、本作の最終回(第24話)のタイトルが「春のとまりを知る人ぞなき」であることを踏まえると、天皇というモチーフはまた別の色彩を帯び始める。このタイトルは崇徳院が詠んだ歌の下の句であり、歌の全体は「花は根に鳥はふるすにかへるなり春のとまりを知る人ぞなき」(千載・122)という。本稿は、本作が崇徳院の詠める春歌の歌意を前提としつつも、人間讃歌とも言うべき未来志向の解釈に一歩踏み出していることを明らかにしたうえで、若干の私見を付け加えるものである。

仮想都市の実体なき少女

 まず、分析の端緒として、本作の舞台である仮想都市・新京都について概要を述べておく。新京都システムは娯楽興行会社ビルモンが開発した仮想都市システムであり、サーバの演算のために人間の脳を増設メモリとして使用している。人々は溶液に満たされた樽に収容され、樽のなかで眠りながら仮想都市上で本物の意識を持って生活している。この仮想都市を安定的に運営するために必要とされるのが「王」という名の生贄である。ビルディバイド能力が高い生命体をシステムのメインCPUに据え、プログラムと融合させて「王」とする。しかし、当該生命体の寿命は急速に減少するため、定期的に生命体を入れ替えるべく、「リビルド」によってビルディバイド能力の高い者を見極めなければならない――そんなディストピアこそ、新京都の実態であった。
 ビルモン社の代表を務める樋熊万里生(CV: 関俊彦)は、かつては純粋にビルディバイドの勝負に明け暮れるプレイヤーであった。しかしある日、「京都以外全部沈没」の大災害が起こり、世界は一変してしまった。樋熊はビルディバイドのカードに宿る不思議な力に注目し、皆がまた遊びに夢中になれる日のため、人類を保存する研究を始めた。樋熊は研究過程で高次元の存在「ウィル」と出会い、「ウィル」の力を借りて新京都システムを完成させるにいたる。しかし、樋熊はプレイヤーが引き出すビルディバイドの呪力によって次元を渡り、まだ見ぬ新世界へ行くことに取り憑かれてしまう。やがて体を失い、意識だけの思念体となった樋熊は、現実世界での自分の器を求めてバイオトークンの開発を進めるとともに、ビルディバイドで高い戦績を残した者に自分の意識の上書きを行うことも画策するようになった。樋熊の器として目をつけられたプレイヤーこそ、本作前半の主人公・照人であった。
 照人と菊花は小さい頃、仲睦まじい双子の兄妹だった。照人は大好きなビルディバイドを菊花に教え、二人はビルディバイドで遊ぶようになった。当初菊花は弱かったが、程なくして非常に高いビルディバイド能力を開花させ、照人を打ち倒すまでに成長を遂げる。菊花に勝てなくなった照人は才能への嫉妬から菊花を避けるようになり、とうとう菊花のデッキを埋めて隠すという行為に及んでしまう。この隠匿によって「いつもの神社で待ち合わせね。また明日ね」という菊花との約束の成就は妨げられ(第8話)、両親の都合で兄弟は離れ離れになったのだった。その後、照人はリビルドで王に勝利を収め、樋熊から目をつけられて現実世界の京都で目覚める。照人はそこで仮想都市・新京都の真実を目の当たりにし、菊花が自分を追って王位に就いたことを知る。照人は菊花に謝罪するため、再び新京都へ舞い戻ることを決めたが、システムへの強制接続によって記憶を一部失ってしまい、王を倒すという衝動だけに突き動かされて、桜良との邂逅を果たすことになる。
 照人・菊花・ひよりの三人を結びつけるきっかけとなった桜良は、照人ともう一度会って話がしたいという菊花の願いから生まれた実体なき少女、すなわち菊花の「もう一人の私」(alter ego)である。菊花はプログラムと融合して王になる寸前に、次のように願った。「私と会ったら、照人は嫌がるかもしれない。それならもう、会うのは私じゃないほうがいい。お願い、私じゃない私。照人のところへ行って。照人が楽しく遊べるように、あなたが照人のそばにいて。お願い、私の代わりに」(第12話)。しかし、菊花の願いは「ウィル」によって不完全なかたちで叶えられてしまう。菊花の記憶は桜良に完全に引き継がれず、桜良は王が自分の体を奪ったと誤解して、王から自分の体を取り戻すという願いを持つにいたる。実体を持たない桜良はリビルドに参加できない。だから桜良は、自分の代わりにキーチップを集める凄腕のプレイヤーとして照人を見出したのだった。桜良は照人からキーチップを奪って菊花に挑むが、結局返り討ちに遭って消滅してしまう。紆余曲折を経て記憶を取り戻し、桜良の消滅を見届けた照人は、菊花に「兄妹の決着」をつけることを宣言する。これに対して、菊花は「さあ、戦いましょう。二人だけの契りを結ぶの、永遠に」と応じる(第10話)。
 以上述べたように、本作前半には兄妹間の確執や幽体離脱のような現象が顕著に見られるが、これは上田秋成『雨月物語』巻之一に着想を得ているように思えてならない。『雨月物語』巻之一は「白峰」「菊花のちぎりの二編から成る。「白峰」は、歌枕をめぐりつつ諸国行脚を敢行する西行が、保元の乱で敗れ讃岐へ配流となった崇徳院の怨霊と対話を繰り広げる物語である。崇徳院は弟の雅仁(後白河)への怨みを滔々と述べ、「只あまとぶ雁の小夜の枕におとづるゝを聞けば、都にやゆくらんとなつかしく」(上田秋成(長島弘明校注)『雨月物語』岩波文庫、2018年、35頁)、「筆の跡だもいれ給はぬ叡慮みこゝろこそ、今はひさしきあたなるかな」(同書36頁)などと都への未練を隠さない(崇徳院は易姓革命論に依拠して保元の乱の正当性を主張し、西行はこれに王道や仏教の立場から反論するが、本稿ではこの議論には立ち入らない)。
 「菊花の約」は、儒者のはせ左門が軍学者の赤穴あかな宗右衛門と義兄弟の契りを結び、「重陽こゝぬかの佳節〔注:陰暦九月九日の菊の節句〕をもて帰来る日とすべし」(同書49-50頁)との約束を交わして別れる物語である。しかし、義兄の赤穴は新城主に仕えることを断ったかどで幽閉され、生身で義弟の左門のもとを訪れることができなくなってしまう。赤穴は「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」(同書57頁)という言葉を思い出し、自刃して霊魂となって左門のもとへ駆けつけることで信義を尽くす。
 お察しのとおり、新京都の玉座にまつわる照人と菊花の確執、そして一度新京都を離れた照人が再び舞い戻る展開は「白峰」を、菊花が実体を持たない分身(alter ego)を照人のもとへ送り届ける展開は「菊花の約」を彷彿とさせる。ここで、本作後半が崇徳院の歌で締め括られていること、「菊花の約」というタイトルが蔵部菊花の名と呼応することに鑑みると、『雨月物語』巻之一が本作の着想源の一つである蓋然性は高いと言える(それにしても、節句を人名に読み替える作業は巧い)。だとすれば、本作後半で前景化するひよりと菊花の「百合」的関係についても、「菊花の約」にちなんで「義姉妹」的構成と定式化する余地は十分にありそうだ。次節からは本作後半に軸足を移して、作品の分析を進めていく。

過去と未来の結節点

 本作前半のクライマックスにおいて、照人は菊花をビルディバイドで降して王位から解放することに成功するが、今度は自分が菊花の代わりにプログラムに取り込まれてしまう。照人は弟子のひよりに対して、「ここからはお前の、お前だけの道だ。一番面白いことは自分で決めろ」と言い残して闇のなかに消える(第12話)。こうして主人公のポジションは照人からひより――愛称は「ひよこ」――に引き継がれ、本作後半が幕を開ける。
 本作後半は、照人が消えてから3年後の新京都を舞台に、ひよりと菊花が再会するところから始まる。新京都史上最強の王と恐れられた菊花は、自らの所業に対する罪の意識からビルディバイドに拒絶反応を示すようになっていたが、王の使い・KUGE衆が人々を蹂躙する様子を見るに見かねて、戦場に舞い戻ることを決意する。「もう誰も失いたくない」(第14話)――そんな思いからKUGE衆と対峙した菊花は、3年間のブランクに苦しみつつも、「どんな状況でも引いたカードから次の道は必ず見つかる。諦めさえしなけりゃな」という幼き日の照人の言葉に鼓舞されて、勝負の勘を取り戻す(第15話)。そして、菊花はひよりと組んだタッグバトルを経て、もう一人の主人公のポジションへとのぼっていくことになる。当初、菊花は「全部私一人でなんとかする」とスタンドプレーに固執していたが(第16話)、それはひよりに対する負い目がさせたことだった。

ひより ねえ、私だって一緒に戦ってる! 一人で背負わないで、私のことも見て!
菊花  見てないのはひよこのほうだよ。自分のことをちゃんと見れてない。無理して私のそばにいようとしてる。
ひより どういうこと?
菊花  カードが強くて、前の王様で、照人の妹で、桜良の仇。照人を助けるために、私と仲良くしなきゃって思ってても、本当は許せない。(中略)もっとちゃんと自分と向き合って私を見て。一緒にいてつらいはずだよ。

(第17話より)

 菊花から思いの丈を打ち明けられたひよりは、菊花に真情を吐露する。

確かに、菊花は先輩〔注:桜良〕のことを傷つけた。でも、いまの菊花を見てたら恨めるわけないよ。だって、誰よりも先輩に謝りたいって思ってるのは、菊花でしょ? 先輩のことを思って、涙して、私と同じくらい悲しんでて……戦えなくなってもまた立ち上がって。そんなあなたを見てたら、もっと知りたくなった。菊花って本当はどんな子なんだろうって。それに、私だって先輩に謝りたいことがあるんだ。菊花と仲良くなりたくなっちゃってごめんなさいって。

(第17話より)

 ひよりは続けて、「責めたい気持ちがかき消えるくらい大好きになりたい」、「師匠の妹とか関係ない。私の友達として、一緒にいて」と菊花に伝える。これに対して、菊花は「私もひよこと一緒にいたい」と応じ、とうとう二人はタッグバトル中に抱き合って和解する(第17話)。こうしてダブル主人公となったひよりと菊花は、照人を救い出すためにKUGE衆の守る王府を目指して、仲間たちとともに進んでいく。
 本作後半の終盤、菊花と並んでスポットライトが当たるのがバイオトークン8号・円城直光(CV: 田丸篤志)だ。菊花と直光は王府のなかで幻覚に囚われ、自らの過去に苛まれる。どうあっても過去は変えられない。菊花は照人に敗北の苦痛を刻み込み、王として人々に暴虐の限りを尽くした。直光は樋熊の器となるという特定の目的のために作られたが、実験の失敗によって打ち捨てられ、樋熊への復讐以外に生きる意味を見つけられずにいた(サルトル風に言えば、直光は「自由の刑に処せられた」)。幻覚のなかで、直光は若き日の樋熊の思念と出会い、「人生はカードゲームに似ている」という言葉を授けられる。若き日の樋熊の思念は次のように言葉を続ける。この言葉が、直光が自己否定のループから抜け出して前進するきっかけとなる。

皆生まれたときは、空のデッキケースだけを持っている。けれど、さまざまな経験を経て、カードは少しずつ増えていく。私もそうだった。一枚一枚カードを重ね、一歩一歩前へ進み、自分のやりたいことを見つけていった。君も何枚かはもう持っているだろう。(中略)一歩ずつ前に進み、君というデッキを作れ。そのデッキとともに、いつか生きる理由も見つかるだろう。

(第21話より)

 菊花のほうも、ひよりの「一緒に行こう、師匠のところへ」という言葉に導かれ、「子供の頃の私も、照人を追いかけていた私も、王様としてみんなを苦しめていた私も、どれもちゃんと私だった」、「過去の私も本当の私。いまの私になるには必要な私だった。でももう戻らない。私は前に進む」という渋い結論に到達する(第21話)。菊花と直光は、現在の自分を形作る過去を単純に否定するのではなく、現在の自分にとっては必要な過程だったと認めたうえで、未来に向かって前進するために過去を過去に返す道を選んだ。過去と未来を現在に結びつけることができるのが人間の特質であり、だからこそ現在には後悔や未練が残りがちである。しかし、現在が過去と未来の結節点であるというアクチュアリティを意識できれば、過去だけに囚われる負のループを脱却する道も見えてくる。
 菊花と直光が幻覚と戦う一方で、ひよりは王府の上階で照人の姿をしたプログラムと対峙する。叶わない夢など無意味だとひよりを嘲るプログラムに対し、ひよりは「聖なる炎は過去を焼き、新生の種となる。そして種は芽吹き、新しい花が咲く。自ら咲かせる思いが尽きない限り、夢もまた決して終わることはない」と反論する(第22話)。ひよりは激戦の末にプログラムを打ち倒し、師匠の照人を奪還することに成功する。それとともに、消滅したはずの桜良も復活を遂げ、ひよりは思わぬ再会に感極まって涙を流す。
 このように、過去が未来への糧となるという思想が本作には満ちている。本作は切断や忘却ではなく、継承や昇華を是としており、過去と訣別してきれいさっぱり生まれ変わるという潔癖な理想や、過ちに対する責任を取ってこの世を去るといった自己陶酔を許さない。未来へ向かって再始動するためには、いったん過去を受け止める必要がある(許す必要があるとまでは言わない)。人間はたとえ傍から見て無様であっても、あがいて生きていかなければならない。そんな強烈にポジティブな人生観、きわめて健全なる人間讃歌をいともあっさりと提示する本作は、この上なく爽やかな出来映えと言えるのではないだろうか。

花は根に鳥は古巣に

 本作後半の最終局面、ひよりによって解放された照人は再び主人公のポジションに戻り、王と融合した樋熊と世界の命運を賭けた最後の戦いに挑む。照人は樋熊の圧倒的な攻勢に追い込まれつつも、土壇場で逆転勝利を収める。樋熊を打ち倒した照人たちは拓かれた現実世界への道をとおって新京都を後にするが、実体を持たない桜良は照人たちに同行せずに新京都にとどまることを決める。その後、桜良は「ウィル」の力によって生み出されたため、次元を超えて現実世界に進出することもできたと明らかにされるが、それでも桜良は照人たちのもとに戻らず、「そうね、どこにでも行くわ。面白いことがあるのなら、どこにでも」と語り、旅に出るのだった(第24話)。このように桜良との別れをもって閉幕する本作の最終回に「春のとまりを知る人ぞなき」というタイトルが付けられていることは、実に意味深長と言わなければならない。
 「花は根に鳥はふるすにかへるなり春のとまりを知る人ぞなき」(千載・122)という崇徳院の歌は、「春が終れば、花は根に、鳥は古巣に帰ると聞いているが、春の行き着く泊りを知っている人はいないことだ」という意味であり、『新日本古典文学大系』では「春はどこへ行くのかと自問し、遥か時空の彼方に去り行く春を愛惜している」と解釈されている(片野達郎/松野陽一校注『新日本古典文学大系10 千載和歌集』岩波書店、1993年、46頁)。ここで「花」が菊花、「鳥」が「ひよこ」という愛称で呼ばれるひより、「春」が桜良を指すと仮定すると(本作の第15話のタイトルが「花と鳥」なのも単なる偶然ではあるまい)、兄/師匠という帰るべき場所に帰り着いた菊花/ひよりと照人たちのもとに戻らなかった桜良を対比し、後者を愛惜するという解釈が一見成り立ちそうである。しかし、本作が終幕の間際、桜良自身に「どこにでも行くわ」と言わせてみせたことは看過できない。春の行き着く泊りがどこなのかは誰も知らない。だがそれは、春自身の側から見れば、行き先を自由自在に決められる、望めばどこにでも行けるということでもある。本作は「春のとまりを知る人ぞなき」を愛惜の一節というよりは、むしろ希望のあらわれとして解釈しているのではないだろうか。この未来志向の解釈は人間讃歌とも言うべき本作の基調にも合っている。
 また、「春のとまりを知る人ぞなき」を桜良に対する愛惜の念と捉えるとしても、別の未来志向の解釈も成り立つ。桜良は菊花の願いから生まれた「もう一人の私」(alter ego)なのだから、桜良もまた「花」に含まれると考える余地もある。「ウィル」の端っこである狂言回し・石乃目巽(CV: 松風雅也)も菊花と桜良の二人を「花」になぞらえて、「君がいま会いたいのは、君の過去に色づいている花、君に未来を見せた花、どちらかな?」と照人に問いかけていた(第10話)。「花」が菊花のみならず桜良をも指すのなら、「根にかへる花とは聞けどみる人の心の中にとまるなりけり」(風雅・253)という別の歌を想起することも許されるのではないだろうか。確かに桜良は照人たちのもとに戻らなかった。でも、桜良は視聴者を含む「人の心の中」にとどまっている。菊花は桜良に対して、別れの間際に「絶対、忘れないから」と言った(第24話)。照人たちは桜良との出会いを糧にして、未来へ歩みを進めることだろう。それでは、視聴者の我々はどうだろうか。このように考えをめぐらせてみると、行き着く泊りを知らないという意味で、誰もが「春」であるようにも思えてくる。本作をいぶし銀のカードバトルアニメと評した所以はここにある。
 なお、本作の健全なる人間讃歌は、時間の経過に伴う変化を一人の声優が演じ分けることによって、音声面でも説得力を帯びている。菊花役を演じる芹澤優は、無邪気さと残酷さが表裏一体となったドスの利いた王の声と、ときに自信なげでときに頑ななところを見せる、自らの罪に苦悩する等身大の少女の声を使い分ける。ひより役を演じる古賀葵は、天衣無縫で甘えん坊な、庇護欲をそそるやや舌足らずの後輩の声と、数々の死線を越えて、泣きたい・逃げ出したい気持ちを抑圧することによって張られた、凜としたリーダーの声を使い分ける。そして何より、関俊彦は樋熊の若い頃と円熟した現在を一人で担当しており、仕上がりについては往年のファンに感想を聞いてみたいところだ。『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨や『キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦』(通称『キミ戦』)のサリンジャーで示されたような深めの方向性が続くのかと思いきや、関俊彦はいまだ現役であることを見せつけられたような心地がして、筆者は自らの不明を恥じた次第である。現在が過去と未来の結節点であるというアクチュアリティを役者が体現してくれることで、本作はだいぶ見やすくなっているのだ。

おわりに(追記あり)

 「人生はカードゲームに似ている」――樋熊は作中でそう言った。この台詞に対して「人生はゲームではない」とか「カードゲームで人生訓を語るな」といった反発を覚えた人は、本作が「ビルディバイド」というTCGの販促アニメであるという事実を今一度認識してほしい。本作はTCGの販促アニメという縛りのなかで説教臭さや口煩さを維持した「大人の仕事」と言うべきである。アニメおよび連動するスマホアプリがそれ自体「コンテンツ」として一次的な商材となることが常態化し、話がチープでも絵はゴージャスという扇情的な見掛け倒しが氾濫するなかにあって、このような真っ当な「大人の仕事」を評価しないでどうするというのか。
 念のために附言するが、「大人の仕事」とは「大人の鑑賞に堪える」こと(たとえば「哲学的」であるとか)を主目的とした仕事ぶりを指す言葉ではない。本作はTCGの販促アニメの矩、すなわちアニメが従であるということを形式的には守っている。数々の愉快な賑やかしキャラクター(特にカード教授とKUGE衆は必見)、回想シーンのみ画面の比率が4:3になるニクい演出、各キャラクターの性格や信条を反映したテリトリー描写(巳春ぺあのテリトリーは出色の出来映えだ)、バスターカードやショットカードの混入による「運ゲー」的要素、クイックタイミングによる手に汗握る攻防、芹澤優が「アイリス」(本作後半の菊花のエースカード)を連呼する面白さなど、多元的なイングリーディエントによって「ビルディバイド」というTCGを盛り上げることに心を尽くしている。そのうえで、奇をてらわない「健全なる人間讃歌」を添え物として提示している。これぞ「大人の仕事」の好例なのである。この「大人の仕事」はライデンフィルムの華美ではない(悪く言えば野暮ったい)作画に彩られて、胃もたれを起こしにくい塩梅で提供されている。多くの人に勧められる面白いアニメがまた一つ生まれてしまった。

(2022年10月7日追記)
TVアニメ『ビルディバイド』が上田秋成『雨月物語』巻之一(「白峰」及び「菊花の約」)を着想源の一つとしているという仮説を立てるにあたっては、ライターの東條慎生さんによるツイートを参考にいたしました。

参考文献

片野達郎/松野陽一校注『新日本古典文学大系10 千載和歌集』岩波書店、1993年。

上田秋成(長島弘明校注)『雨月物語』岩波文庫、2018年。

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