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妄想なのか、現実なのか。狭間で客観視したら?


ここ数週間以上、周囲の人々に
見られていると感じる日々。

はっきり言って自分は大人しく目立たない
性格だと思っているし、
住んでる地域には子供のPTA関連で
役員を引き受けられない場合には
事情など全て病気のことなど説明文を
くじ引き前に書くように言われた。

出来ない事情で双極性障害であることや
母子家庭、生活保護を受けてること、
子供が不登校などを洗いざらい
書いたことが私にとっては
裸で歩いているようなもの。

しかし、引き受けられない以上
書くしかなかった。

それ以来、今までPTAの役員を引き受けて
全う出来ず失敗したり批判を受け
仕事も出来なくなり引きこもるように
なってしまっている。

病名により、言葉が踊ってしまい
たくさんの偏見や差別もあったと思う。

実際、前に話していたことのある人との
繋がりはほとんどないし
会っても辛い気持ちにしかならない。

他にも、自分が住んでいる地域で
失敗したかもと思う数々のことを
思い出しては自責の念に駆られ
地域の人々から批判や叱責を受ける
気持ちが拭えず一歩外に出て
人に会う度、私は知らないのに
相手は私を知っているように
振り返って見られることが連日続いて
色眼鏡で見ている気がして
吐き気や動悸、時にはパニックになる。


こんなことが一生続くのかと
思うと生きていることが辛い。

病気がいきなり回復することは
考えられないし、すぐに働けるように
なって生活保護を抜けられるとも
思えない絶望感。

知らない集団に私を知られていて
何か自分自身が侵される危機感と
戦う毎日が本当に妄想なのだろうか。

信頼出来る人にいくら話しても
私の感じたり見えている世界は
誰にも見えない。

いくら言葉で上手く説明できたと
しても、それを判断できるのは
誰だろう。

現実に起きないと言い切れないから
怖いところ。

私自身の状態としては
こんなに切羽詰まっている心なのに
体は最低限の家事と子育て
人との簡単な会話はできているし
支援機関にも相談も出来ている。

けれど、心の奥深くで
信じているのは自分なんだと思う。

自分をねじ曲げ信じられないと
感じている人を無理に信じることは
やっぱり出来ないし

今は人を信じられない自分でいる
ことを自分だけでも許したい。

ぜひ悪夢のような見ているこの世界
が妄想であって欲しいと望む。


子供とは安心な関係になれてきたけど
大人で人を信じられる安心な世界が
存在しているなら私も味わいたかったと
思う。

こんな状態の自分が存在している
ことにも何か意味があるんだと私は信じている。

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