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ミュウツーが教えてくれること

天気の子は公開日に観に行き、『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』もなんと公開日に観に行っていたいっぴです。

しかも一人で(笑)

やはり、ポケモン映画を侮るなかれ、本当に良い映画でした。パンフレットも買っちまいました。

この映画は1998年に公開された『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のリメイク版であり、3DCGによるよりリアル感溢れるアニメーションとなっています。

ダイヤモンドパールまでしか知らない非ガチ勢ですが、感想をここに書き留めます。

ネタバレ含みます!!観ていない人はここまで!

【クローンの苦悩】

ミュウツーは、伝説のポケモン「ミュウ」のまつげから採取したDNAを基に人工的に造られたポケモンです。エスパータイプということもあり、超能力のような技を使って暴走を始めます。

その際、念仏のように繰り返す言葉が

「私は誰だ。私は何のためにここにいる。」

という、自分の存在意義を自問するものでした。そして、最終的に思い詰めた結果、

「誰が生めと頼んだ。誰が造ってくれと願った。私は私を生んだすべてを恨む。」

という、おっかない言葉とともに人類への逆襲を決意します。

ここで重要なのは、クローンの生みの親は人間であり、しかし人間ではないという不可思議な逆説です。

DNAの交配合によって人工的に造り出されたクローンは、その生命の造り手である人間から生まれてきたと言える一方、人間の身体から直接的に生まれてきてはいないので、直接的な親は人間ではない誰かとなります。

これはクローンだけではなく昨今話題の人工知能(AI)に当てはまる話でもあり、生みの親が不明確という事実が、その存在のアイデンティティを大きく揺るがすという悲劇を、ミュウツーは身をもって示しているのです。

【「クローン(AI)VS 人類」の構図】

ミュウツー率いるクローンポケモン軍団と、サトシたち率いるオリジナルポケモン軍団のバトルが今作の大目玉です。ミュウツーによる、どちらが強いか決着をつけようというわがままから始まったこの戦いでは、ミュウ(オリジナル)VS ミュウツー(クローン)の場面もあり、その二項対立に目が離せませんでした。

そして特筆すべきは、そのバトルに決着はつかなかったということ。

当然ながらオリジナルとそのコピーは実力に差が無いため、終始互角の戦いとなりました。ピカチュウ同士がビンタしあうシーンは心痛いものです。同士討ちとなったポケモンたちは、次々と体を重ね合うようにして倒れていきました。

フィールドで戦っていたのはポケモンですが、チームとして捉えれば、ミュウツーと戦っていたのは人類となります。

さて、このバトルが示すものとは一体なんでしょうか。それは、近い未来、人類が直面しようとしている危機の風刺そのものに他ならないでしょう。

自分たちの生活を豊かにしようと技術革新を進める人類は、誤った方向に進んでいることに気づかず、自らが生み出した技術そのものと共倒れする。そのような皮肉がこの映画を通して表現されているように感じます。

そして、もう一つ重要なポイントは、このバトルを終わらせたのはサトシ(人類)だということです。

たとえそのような悲劇に発展しても、「止められるのはやはり人類」という一縷の望みを託したメッセージなのでしょうか。ここに関しては様々な解釈があると思います。

【まとめ】

ミュウツーの逆襲は、クローンの苦悩と、技術革新によって生命を軽視する方向に傾く人間への警鐘を描いた作品であることを述べました。

また、ミュウツーたちクローンの悲しさが強調される一方、これが家族向けのファミリー映画であることは非常に有意義だと思います。親子がこの映画に内包されている数多のメッセージを感じ取ることができるはずです。

そして、「コピーかどうかは関係なく、そこに在るんだから在る。いるのだからいる。」という登場人物(誰が言ってたかは忘れました汗)の言葉に表されるように、異質な他者を認める、言い換えると「多様性の是認」、「存在そのものの肯定」という現代の社会に揺るぎなく通ずるものも読み取ることができます。

また、エンディングでミュウツー率いるクローンポケモンたちが目指した先に、一瞬だけ島が映りました。これはミュウがいた島で、ミュウツーたちが帰巣本能で故郷へ帰った————と勝手に解釈しましたが、これは続編に登場する島だそうです。全然関係なかったです(笑)

ポケモン映画は年齢問わずに誰でも楽しめる奥が深いものですね!

貴重なお時間いただき、ありがとうございました。




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